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政治ドットコムインタビュー政治家インタビュー立憲民主党・鎌田さゆり議員に聞く!「再審格差」のない社会を目指し再審法を改正するための提言

立憲民主党・鎌田さゆり議員に聞く!「再審格差」のない社会を目指し再審法を改正するための提言

投稿日2024.5.8
最終更新日2024.08.18

再審法とは、刑事訴訟法にある再審(裁判のやり直し)に関する規定のことです。誤判により有罪となった冤罪被害者を救済するための制度ですが、日本において再審法の改正はこれまで行われてきませんでした。個人の尊厳を守ることが憲法に記載されるにも関わらず、救済の手段が限定的であることが指摘されています。今回のインタビューでは衆議院法務委員会で再審法改正に熱心に取り組む、立憲民主党・鎌田さゆり議員に現在の再審法の問題点や改正すべき点、この問題に注力する理由などを中心にお伺いしました。

(文責:株式会社PoliPoli 秋圭史)(取材日:2024年4月12日)

鎌田さゆり議員インタビュー

鎌田さゆり(かまたさゆり)議員
1965年宮城県仙台市生まれ。東北学院大学卒業。
2000年衆議院選挙で初当選。現在3期目。立憲民主党政調副会長。
百人一首競技かるた七段の実力を持つ。

(1)自民党の党職員だった両親の影響で政治は身近

ー政治家を志したきっかけはどのようなものだったのでしょうか。

第一子を出産したことが直接のきっかけになりました。自分の目の前にいる赤ちゃんは人間ですが、言語が喋れません。ただそこに命があって、命がある以上、人権もあります。弱い存在は社会みんなで守っていかなければと思ったんです。

たまたま自分の両親が自民党本部の職員だったので政治は身近な存在でした。野球は巨人、山は富士山、政治は自民党。敵は生協と組合だ。そんな言葉が毎日、家庭の中で飛び交う家庭で育ちました。

父は自民党宮城県連の事務局長。母は自民党宮城県連の経理担当、金庫番でした。宮城県選出の自民党の国会議員や県議会議員、市会議員のハンコ何十本、通帳何十枚、バックに入れて毎日持ち歩いている母の姿をずっと見ていました。

今でも鮮明に覚えているエピソードがあります。ある時、家族四人で寝ていたところ、物音がガタッと鳴った。父親は「なんだ!」と立ち上がり、私たちを守ろうとした。一方、母はすっと起き上がって印鑑や通帳が入ったバックを抱えたんです。母にとってはそれほど大事なものなんだなとちょっとショックでしたけど。

私の父と母は当時、自民党の表に見えないお金を最前線で扱っていたのです。私が高校生の時、参議院選挙がありました。そのとき茶の間のテーブルの上に大きな紙袋がポンと置いてあった。これは何だろうと思って、父に聞いてみると「これはな、明日仙台に来る宮澤さん(※ 宮澤喜一首相)から候補者に渡す大事なものなんだ」と言っていた。その時はなんなのかよく分からなかったですが、今思えばどう考えてもお金ですよね。小さなころの私は政治は自民党しかないって刷り込まれていました。

ーただ現在は自民党ではなく立憲民主党で活動を続けていらっしゃいます。

たしかに私が子どものころの自民党は三木清さんや後藤田正晴さん、竹下登さんなど、国民の自由と民主的な制度を守ろうとする良心的な政治家が多く所属していました。

ただ根本のところで私はお金でモノゴトを動かすような政治のあり方を受け入れることはできませんでした。なので自分が30歳で仙台市会議員になった時も自民党の会派には入りませんでした。

すると自民党の市会議員の方々から、県連局長の私の父親に対し、娘一人をコントロールできない、自民党会派に入れることできない、そんな父親は自民党県連の局長にふさわしくないと攻撃を受けました。私本人にじゃなくて父に。私が生協や組合の人と意見交換する時も自民党に監視され、父への攻撃に使われたこともありました。

毎日責められた父は倒れて、寝たきりになるまで追い込まれてしまいました。自民党は私の周りにいる弱い立場の人を攻撃した。それはあるべき行為じゃない。卑怯です。

もう私は自民党とはさよならしようと決意を固めたんです。自民党は最後に札束を見せて「これで一緒にやりませんか」と言ってきた。100万円か200万円ほどの札束だったと思います。私の価値ってそんなもんか、と冷めました。

(2)「再審格差」なき社会に向けて、再審法の改正を

鎌田さゆり議員インタビュー

ー現在、衆議院法務委員会に所属され、特に再審法の改正に熱心に取り組まれています。現状の再審法への問題意識を教えてください。

再審については刑事訴訟法の中にわずか19の条文から定められているにすぎません。再審に関して詳しい規定も設けられていない状態で、70年以上改正されてきませんでした。

再審を請求する権利は誰にでも認められるべき権利です。現在の日本の裁判制度は三審制で決着をつけるシステムです。ただ、裁判が終了した後に新しい証拠が出てくることもあります。その際、再審請求を認めさせるための証拠は被告人側が自らそろえる必要があり、被告人側に大きな負担となっています。

実際に新証拠が出てきたら再審請求をきちんと受け止め、「疑わしきは罰せず」の原則に基づき、公判を開始できることは当たり前です。

著名な再審事件として「袴田事件」があります。被告人として起訴された袴田巌さんは冤罪を主張し再審請求を行っています。袴田さんはもう50年も勾留されたまま、精神的なダメージも受けた状態です。

再審法改正については袴田事件もあり、今注目が集まっています。私はずっと法務委員会で再審法について質問してきました。袴田事件をきっかけに機運が高まっていることは事実ですが、一過性のものにしてはいけません。最近は再審法の早期改正の実現を目指す議員連盟(※「えん罪被害者のための再審法改正を早期に実現する議員連盟」)もできました。

改正に向けた大きなチャンスがきていると思います。

ー再審法が規定する現在のプロセスで大きな問題点は何でしょうか。

検察官が再審請求に対して不服申し立てできることと、証拠開示請求の規定がないことです。加えて通常審と再審の裁判官が重複する可能性に対する除斥と忌避を可能とする規定が明文化されることも重要です。この3点は最低限実現したいことです。

現行の再審法では再審請求は被告人側に非常に不利です。再審請求後に実際に再審が行われるかは、裁判官の裁量にゆだねられてしまいます。「裁量」という言葉を使っていますが、裁判官の当たり外れで結果が変わってしまうのが現実です。

「アタリ」の裁判官であれば、真摯に向き合って手続きを受け取って、公判を進めてくれる。「ハズレ」の裁判官であれば、なんの通告も何もなく、突然却下の通知が来る。裁判官次第で再審ができるか否かが決まってしまうのです。

そのような状態は健全ではありません。再審法を改正することで、裁判官の裁量に任せることがないようにしたい。「再審格差」をこの世から消し去りたいです。再審法の理念は冤罪被害者を出さないためですから、そのために再審格差をなくす大きな目標に向けて努力を重ねたいと思います。

ーそもそも法務委員会に入ろうと思ったきっかけはなんだったのですか。

私は法学部を卒業しているわけでもなく法曹でもありません。バックグラウンド的にはまったく畑違いです。ただ法務委員会に入らざるを得ない事件が地元の仙台で発生しました。それは地元の女子大生の戸籍が勝手に書き換えられた事件です。新たな被害者を生まないためにも戸籍法を変えなければと思い、実現に奮闘しました。

被害者とともに法務大臣に直談判しようと何とか調整しました。大臣秘書官と電話で押し問答し、マスコミをシャットアウトするという条件で面会が叶いました。何とか改正まで漕ぎつけたとき、山花郁夫 衆議院議員が「かまちゃんよかったね。鎌田法ができたね」と言ってくれて、本当に嬉しかった。

戸籍法を改正できた当時は司法制度改革が真っ盛り。ある意味、部外者の私が持ち込むことが楽しくて、法務委員会から抜けられなくなってしまいました。17年間、国政に戻ることを目指すための活動を続けられたのも「もう一回法務委員会に戻りたい」という想いからでした。

ー法務委員会で取り組んでいる他のテーマはありますか?

死刑制度の見直しや国内人権機関の設置もライフワークです。

再審法とつながる部分もありますが、死刑判決を出された人が万が一無実でも執行後は、もう取り返しがつきません。裁判は人間が人間を裁くもの。誤った判断は絶対あるという前提に立った上で法を整備するべきと考えます。冤罪で万が一にも死刑が執行されたり、人生の大半以上を奪われたりすることは絶対にあってはなりません。

再審法によって再審請求のプロセスを改善し、死刑判決を受けた人が再審請求中の場合には死刑執行をするべきではない、と考えます。

17年ぶりに国会に帰ってきたタイミングで執行された三名への死刑のうち、二人は再審請求中でした。

再審制度や死刑制度に関連して、政府機関などに独立して勧告を行うことのできる国内人権機関を作ることも重要なミッションです。日本政府は国連からも設置勧告を受けています。政府から独立した人権機関を設置するための提言も法務委員会の中で提出してきました。

(3)壁にぶつかりくじけた時に手を差し伸べられる政治を

鎌田さゆり議員インタビュー

ー今後注力していきたい政策テーマはありますか

重症心身障害者の医療的ケアのための体制整備に取り組んでいます。重症心身障害児の方々は最初は施設や療育園できちんとした医療的ケアを受けられますが、成人になると退所しなければなりません。保護者と当事者だけがポンと放り出されてしまう。

それは保護者の人にとっても負担が大きい。病院に行くにしても病状が重いので、循環器科の次は整形外科。次は脳神経外科…のように様々な診療科を回らなくてはいけません。

国は重症心身障害児から重症心身障害者への移行(移行的医療ケア)を支援していますが、現在の制度では不十分です。厚労省は移行的医療ケアセンターを全国に作ると言っているものの、全国にまんべんなく行き届いているわけではない。厚生労働省はセンターが設置されている地域で「移行的医療ケア」がうまくいっていると主張するのですが、まずは全国への普及を目指すべきです。私の地元の当事者の人たちの怒りも大きい。

武見厚労大臣にも質問しましたが、あまり興味があるようには見えなかったのは残念です。2021年に成立した「医療的ケア児およびその家族に対する支援に関する法律」は議員立法で作られました。草案の段階では「医療的ケア児」と「医療的ケア者」の両者に向けた法律だったのです。所轄する厚労省が「医療的ケア児」の統計は取っていたが、「医療的ケア者」に関する統計は取っていなかった。そこで財務省が予算を取らなかったのです。私としてはすべての医療的ケア者に向けた支援法にすることを目指していきます。

ー鎌田議員の活動の原動力はなんなのでしょうか

自分の性分に従っているだけなので、原動力は何かと聞かれても答えるのは難しいですね(笑)。よく言えばフットワークが軽い。悪く言えば後先考えず猪突猛進なところがあります。最近話題の悪質ホストクラブの売掛金の問題も同じです。弱い立場にある人を搾取するのをみると、なんとかしたくなる性分です。東日本大震災の時もヘドロかき出しに毎日石巻や南三陸に通いました。正直、弱い人を助けるための活動は選挙で票にならないこともあります。ただ自分のアクションが1票になるとか、10票になるとか100票になるとか、そういう計算ができない。泣いてる人、困っている人がいると、おせっかいにいろいろやってしまうんです。

たとえば高校生の援助交際被害を防ぐための活動を行いました。仙台は支店経済の都市で、出張族のサラリーマンが多いんです。1990年代の中頃、街中に自動販売機が突如現れ、3000円から1万円のカードを販売し始めた。

これがいわゆるテレクラ(テレフォンクラブカード)と呼ばれるものです。カードに書かれた電話番号に電話すると女子高生がホテルに派遣されてくる。今でいうデリヘルです。街中の至るところにばら撒かれていたピンクチラシを警察の方々と一緒にたくさん回収しました。

そのゴミ袋を衆議院の決算特別委員会でボンと見せた。これが仙台の現状だ、いたちごっこになるとしても、証拠があるんだから、国としてもなんとかしようと訴えました。テレクラの売り上げは暴力団の資金源になる上に女子高生が被害に遭っているので、何とかしなければならない、の一心でした。

ー政治家としてどのような社会を実現したいですか?

人はいつもいつまでも強く生きられるわけじゃありません。必ずどこかで壁にぶつかり、弱るときが、一回や二回、もしかしたら十回も百回もあるかもしれない。その弱った時に手を差し伸べられる。それが政治だと私は思います。もちろん調子のよい時にガンガン頑張ることは素晴らしいこと。ただ弱った時には一人で黙ってないで言ってもらいたい。何か力になれるかもしれない。それができる日本の社会、政治にしていきたいです。

この記事の監修者
政治ドットコム 編集部
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