「人たらし」と取るか「品がない」と取るか
かつて、田中角栄は「人心掌握の天才」「人たらし」と絶大な人気を集めました。現代でも、残した言葉、エピソードなどは広く伝えられています。
田中はその人心掌握術と合わせて、政治の面でも豪腕をふるい多くの公約を実現させていきました。
明治23年(1890年)から始まった普通選挙に国民も慣れた昭和初期になると、選挙で票を得るためだけの政治家が散見されるようになり、当時の政治評論家たちが苦言を呈しています。
ある代議士の話。
自身の選挙区を秘書数名とともに歩いていると、途中でひとりの老人と出会いました。代議士は立ち止まって話しかけます。
「おじさん久しぶり、私は○○だ。しばらくだったね、目の具合はもういいのかい?」
突然話しかけられた老人は面食らいながらも、答えます。
「はい、ありがとうございます。おかげさまで、こうして出歩けるようになりました」
「それはなによりだ。おじさんがもしも失明してしまったらどうしようと、国会に出ていても気が気ではなかったよ。しかし、ずいぶん長くかかったね」
「治るまで1年ほどかかりました」
「大切な身体なんだから、大事にしてよ」
「ご親切にありがとうございます」
こうして老人と別れた代議士でしたが、秘書たちは怪訝な顔をしています。あれは誰かと尋ねると、「全然知らない人だ」とのこと。
ならば、目が悪いのはなぜ分かったのかを聞くと、「顔つきを見て」と返します。
また別のある代議士の話。
彼の選挙区は、日蓮宗信者が多い地区でした。
支持者の家を訪れた代議士は、出迎えた主人に目もくれず仏間へと一直線に進み、まずは仏壇で手を合わせていたそうです。
ひとしきり手を合わせ終わると、そこで初めて主人に対して挨拶を述べる。
すると主人は感激して、
「ご丁寧にありがとうございます。仏もたいそう喜んでいると思います」
と話す。それに対して、
「誠に失礼した。しかし、この家に来たならば、仏になった親父さんを拝まずに話などできないではないか」
と言うので、一家揃って一層熱心な支持者となったそうです。
「票が取れれば良いというのは危険」と喝破
これらの代議士に対し、明治〜昭和初期に多くの大臣職を務めた三土忠造は、その著書「幽囚徒然草」(昭和10年発行)で苦言を呈しています。
「代議士または代議士にならんとする者が、選挙を有利に導かんとするあまり、その手段を選ばざるの弊風は、段々と甚だしくなるようである」
三土は、これらの風潮は「昭和の始めを一創期として、急にこの傾向が著しくなった」としています。
さらに「陋劣な手段」として、次のような候補者を上げています。
・演説を始める前に壇上で土下座をし、高座で有権者に訴える非礼を詫びる者
・演説の後、聴衆の後ろにまわって土下座をし、投票を懇願する者
・壇上で号泣して憐憫を誘う者
これらを指して「彼らはまったく選挙乞食とも言うべき」と、切り捨てています。
この言葉の背景には、いやしくも議員になろうとするものが、詐欺師や乞食のような振る舞いをするべきではない。そういった行為は、議員の体面を汚し、さらには立法府の威信を傷つけ、最終的には立憲政治を毒してしまうとの思いがあるようです。
また、そういった候補者が生まれてしまうのは、候補者や議員のせいではないとも断じています。
「(そのような候補者の)陋劣なる心中を看破することができず、かえってこれを喜ぶ選挙民と、このような行為を排せず看過している一般国民にも責任がある」とこちらもまた厳しい言葉を残しています。
では、有権者はどのような候補者に票を投じればよいのか。その基準に関しても、三土は言及しています。
・堂々と所信を述べ、いたずらに歓心を得ようとしていない候補者
・要望に対して、簡単に「やる」「できる」と安請け合いしない候補者
・冷淡に見えても、能力があり責任感が強い候補者
要望に対して簡単に安請け合いする候補者は信用できない。むしろ、その影響や実現可能性などを熟慮し、簡単には同意しない人間こそ信用できる、ということでしょう。
参考資料:「幽囚徒然草」三土忠造著(昭和10年刊行)