政治ドットコムトピックス明治から昭和まで活躍した議員が語る「こんな候補者は信用するな」

明治から昭和まで活躍した議員が語る「こんな候補者は信用するな」

投稿日2020.7.17
最終更新日2020.07.17

明治時代末期から戦前まで衆議院議員を務め、戦後の1947年まで貴族院勅選議員として強い影響力を保持した三土忠造が残した著書に「幽囚徒然草」があります。本書はその書名通り、三土が日々感じたことどもがまとめられていますが、そのなかで、刊行当時(昭和10年)の候補者の状況についても触れられています。

「人たらし」と取るか「品がない」と取るか

かつて、田中角栄は「人心掌握の天才」「人たらし」と絶大な人気を集めました。現代でも、残した言葉、エピソードなどは広く伝えられています。
田中はその人心掌握術と合わせて、政治の面でも豪腕をふるい多くの公約を実現させていきました。

明治23年(1890年)から始まった普通選挙に国民も慣れた昭和初期になると、選挙で票を得るためだけの政治家が散見されるようになり、当時の政治評論家たちが苦言を呈しています。

ある代議士の話。
自身の選挙区を秘書数名とともに歩いていると、途中でひとりの老人と出会いました。代議士は立ち止まって話しかけます。
「おじさん久しぶり、私は○○だ。しばらくだったね、目の具合はもういいのかい?」
突然話しかけられた老人は面食らいながらも、答えます。
「はい、ありがとうございます。おかげさまで、こうして出歩けるようになりました」
「それはなによりだ。おじさんがもしも失明してしまったらどうしようと、国会に出ていても気が気ではなかったよ。しかし、ずいぶん長くかかったね」
「治るまで1年ほどかかりました」
「大切な身体なんだから、大事にしてよ」
「ご親切にありがとうございます」

こうして老人と別れた代議士でしたが、秘書たちは怪訝な顔をしています。あれは誰かと尋ねると、「全然知らない人だ」とのこと。
ならば、目が悪いのはなぜ分かったのかを聞くと、「顔つきを見て」と返します。

また別のある代議士の話。
彼の選挙区は、日蓮宗信者が多い地区でした。
支持者の家を訪れた代議士は、出迎えた主人に目もくれず仏間へと一直線に進み、まずは仏壇で手を合わせていたそうです。
ひとしきり手を合わせ終わると、そこで初めて主人に対して挨拶を述べる。
すると主人は感激して、
「ご丁寧にありがとうございます。仏もたいそう喜んでいると思います」
と話す。それに対して、
「誠に失礼した。しかし、この家に来たならば、仏になった親父さんを拝まずに話などできないではないか」
と言うので、一家揃って一層熱心な支持者となったそうです。

「票が取れれば良いというのは危険」と喝破

これらの代議士に対し、明治〜昭和初期に多くの大臣職を務めた三土忠造は、その著書「幽囚徒然草」(昭和10年発行)で苦言を呈しています。
「代議士または代議士にならんとする者が、選挙を有利に導かんとするあまり、その手段を選ばざるの弊風は、段々と甚だしくなるようである」
三土は、これらの風潮は「昭和の始めを一創期として、急にこの傾向が著しくなった」としています。

さらに「陋劣な手段」として、次のような候補者を上げています。
・演説を始める前に壇上で土下座をし、高座で有権者に訴える非礼を詫びる者
・演説の後、聴衆の後ろにまわって土下座をし、投票を懇願する者
・壇上で号泣して憐憫を誘う者
これらを指して「彼らはまったく選挙乞食とも言うべき」と、切り捨てています。

この言葉の背景には、いやしくも議員になろうとするものが、詐欺師や乞食のような振る舞いをするべきではない。そういった行為は、議員の体面を汚し、さらには立法府の威信を傷つけ、最終的には立憲政治を毒してしまうとの思いがあるようです。

また、そういった候補者が生まれてしまうのは、候補者や議員のせいではないとも断じています。
「(そのような候補者の)陋劣なる心中を看破することができず、かえってこれを喜ぶ選挙民と、このような行為を排せず看過している一般国民にも責任がある」とこちらもまた厳しい言葉を残しています。

では、有権者はどのような候補者に票を投じればよいのか。その基準に関しても、三土は言及しています。

・堂々と所信を述べ、いたずらに歓心を得ようとしていない候補者
・要望に対して、簡単に「やる」「できる」と安請け合いしない候補者
・冷淡に見えても、能力があり責任感が強い候補者

要望に対して簡単に安請け合いする候補者は信用できない。むしろ、その影響や実現可能性などを熟慮し、簡単には同意しない人間こそ信用できる、ということでしょう。

参考資料:「幽囚徒然草」三土忠造著(昭和10年刊行)