政治ドットコムトピックス明治~大正の政治家たちの「トホホ」なエピソード3選

明治~大正の政治家たちの「トホホ」なエピソード3選

投稿日2020.7.17
最終更新日2020.07.17

大正5年に刊行された「列伝シクジリ代議士」(参政閑人編)には、明治〜大正
時代の政治家の「トホホ」なエピソードが紹介されています。
ここでは、本書の中から、犬養毅、原敬らの意外な逸話をご紹介します。

旅館の主人、憲政の貧乏神に怯える

「憲政の神様」といえば尾崎行雄ですが、「憲政の貧乏神様」とは誰を指すのか。大正時代の人々は、犬養毅をこう称していたようです。

大正5年に発行された「列伝シクジリ代議士」(参政閑人編)によれば、犬養がまともな布団で眠れるようになったのは50歳を過ぎてから。江戸時代末期の1855年生まれの犬養ですから、明治時代もようやく終わろうかという、1905年あたりで、人並みの生活が送れるようになったと伝えています。

そんな犬養がある日、房総半島の北条地区に、家族を伴って旅行に行くことになりました。
前もって、秘書から宿泊する旅館に連絡が入りましたが、「犬養さんは貧乏だ」と聞いている宿の主人は当惑します。「お金は大丈夫だろうか」。
とはいえ、無下にもできません。
仮に踏み倒されたとしても、犬養夫妻と子どもも3〜4人だろう、それくらいの金額なら、祓ってもらえなくてもしょうがないと腹を決め、犬養一行を迎え入れる準備をします。

ところが当日、やってきたのは家族に関係者一同を含めた総勢17人。これでは、半分のお金ももらえないだろうと慌てる主人を横目に、犬養は一向に平気な顔をしています。
投宿して4〜5日経つと、「近くに買い物に行きたい」と、犬養が10円札を出して両替して欲しいと頼みに来ました。
主人は「これは偽札ではなかろうか」と疑いますが断れず、細かく両替して返します。

また数日経つとさらに「また両替してほしい」と10円札を渡してきます。
ここに及んで主人も「貧乏神に似つかわしくない振る舞いだ。料理や応対に失礼があってはならない」と思い直し、旅館のスタッフにも言い聞かせます。

やがて1ヵ月ほど経過し、犬養一行が帰る日がやってきました。
帰る段になって、しっかりと全額支払った上に、過分なチップも渡されました。
主人はすっかり驚いてしまい、「犬養さんが貧乏だなんて嘘っぱちだ」と、以降、客が来るごとに語っていたそうです。

居丈高な元裁判官の候補者、総スカンを食らう

大正時代初期に逓信大臣を務めた元田肇の秘書、岩崎孝次郎は、元裁判官でした。
裁判官として将来を嘱望され、未来も明るいものでしたが一念発起、国政を目指すために政治家秘書へと転身します。
元田のもとで秘書としての実績を上げ、やがて迎えた1915年(大正4年)の第12回衆議院議員総選挙、岩崎は満を持して立候補します。

ところが、元裁判官としての振る舞いが抜けきらない上に、プライドもあったのでしょう。
演説の際、聴衆に向かって「君らが」「貴公らは」といった呼びかけを行う、せっかく応援してやろうと取材に訪れた新聞記者に対しても鼻であしらう、さらには、自身で用意した名刺には、裁判官時代からの仰々しい肩書がズラッと並でいるなどで有権者から完全にそっぽを向かれてしまい、残念ながら落選しています。

原敬、少女の長話に3時間付き合う

後に平民宰相として第19代総理大臣を務めることになる原敬が、内務大臣だったころの話。

その日、愛媛県で原が総裁を務めていた政友会の支部発足会が開かれました。
参加した原は、無事にイベントを終えると、東京に戻るためにまずは海を渡って広島へと至り、そこから電車に乗り込む手はずでした。

ところが、数日来の暴風雨で原の乗り込んだ電車は、広島県三原市の糸原付近で立ち往生。
ようやく電車が動き出そうかという頃には、我先にと乗り込む乗客で、1等席、2等席の区別もなくなる大混乱となり、気がつくと、原の隣の席には、木綿の縦縞の羽織を着た、15〜6歳に見える少女がちょこんと座っています。

その少女は、原をどこかの村の村長さんとでも思ったらしく、汽車がどうしたという話から始まって、村の田植えの話、お祭りの話などを、一生懸命話しかけてきます。
これは困ったと思いながらも、なにしろ少女が一生懸命に話しているものだからと、原も「うんうん」と聞くしかありません。

それを見ていた原のお付きのスタッフたち。
「あの原総裁が、少女の言葉に延々うなずいている」と、少女にバレないよう気をつけながら、大喜びで笑っていたそうです。

結局、3時間以上にわたって少女の相手を務めた原は後日、「議会の質問への対応よりも、こっちのほうが骨が折れた」と笑っていたそうです。

参考資料:「列伝シクジリ代議士」参政閑人編(大正5年刊行)