苦学生におすすめの職業は「書生」
まずは本書が発行された昭和8年当時、貧しいながらも一旗揚げようと志を立て勉学に励む苦学生の立場はどのようなものだったでしょうか。著書の宗川久四郎は「現代の東京人には、苦学生に対する同情というか、理解というか、それがまったくない」と述べています。
かつては「どうか苦学生ですが、なにか買っていただけないでしょうか、本当に困っているのです」と家を回れば、なにがしかのものを購入してくれていたものが、昭和8年現在では「うちでは間に合っておりますから、この次にお願いいたします」と断られてしまうと、この世の無常を嘆いています。
その様はまるで「東都行商苦学生などは、押し売りやルンペンの物貰いくらいにしか思われない」「これでどうして食費、間代(家賃)、学費を得て勉強することができようか」と、貧しい苦学生たちに同情を寄せます。
当時、貧しい中で勉学に励んでいた学生たちが、どのように日々の糧や学費を調達していたのか、代表的な職業として以下の11種を挙げています。
1.書生
2.銀行会社の事務員
3.給仕
4.諸官庁の雇員
5.郵便局員
6.家庭教師
7.学僕
8.筆耕生
9.新聞配達
10.車夫
11.納豆売り
7の学僕とは、師匠としてついた人の家や塾に住み込み、雑用を務めるかたわらで勉学に励む人。8の筆耕生というのは代書屋さんを指します。11の納豆売りは、現在から見ると違和感をおぼえるかもしれませんが、明治〜大正時代から「苦学生といえば新聞配達か納豆売り」とされるほどスタンダードなものでした。
苦学生の最終目的は「世の中で成功すること」。
そのためには、日々の糧を得るために、学問と並行してどのような仕事をするべきなのか、本書では説明しています。
その1:雇先の人々が勉学に理解を示してくれること
その2:通学し勉強する時間を得られること
その3:肉体が疲労困憊しないこと
その4:それなりに収入を得られ、生活の不安がないこと
その5:就職が比較的容易なこと
これら5つの条件を満たす都合の良い仕事はあるのだろうか。ある、それは「書生だ」と、著者は説きます。
「政治家は変わり者」押せばなんとかなる
書生として住み込むにも、どんな職業の家に就くかが重要だとし、おすすめの職業として以下を挙げています。
1.弁護士
2.医師
3.政治家
4.大家富豪
5.書家(画家)
6.小説家
それぞれ、「各自志望に応じて、弁護士たらんとする者は弁護士の事務所に、医師たらんとするものは、医師の家に、書生として入ればよい」というのが著者の考えです。
将来、政治家として活躍したいと考える学生は政治家の家に書生として入ればいい。現在の感覚に当てはめるなら、政治家秘書または政治家の事務所に事務員として入る、というような感じでしょうか。
当時の政治家の書生の仕事内容についても紹介しています。
朝は夜明けとともに起床し、庭や応接間、玄関を掃除する。
飼っているペットの世話をする。
10時ころには来客があるので、お茶出しなどを行う。
電話番や小間使いといった雑用もこなす。
「(平時は)だいたい用事はこのくらいのもので、弁護士の書生のように書類を書くようなことはなく、裁判所に行くこともない。ただ、来客が非常に多い」と、おすすめしています。
もっとも多忙なのは国会会期中。現在の議員秘書同様に、質問演説や施政演説をするために必要な統計や資料を集めるのは書生たちだったそうです。
夕方から夜10時くらいまでは学校に通い勉強ができる。なかには、昼間の雑用も免除される家もあるとし、「政治家の書生には昼間通学をしているものがかなり多い」と、メリットを挙げています。
本書「書生と苦学」の読者に優しいところは、「どのようにして書生になればよいか」のノウハウもマニュアル化してくれているところ。
現代人はマニュアルがないとなにもできない、マニュアル人間だと年配の方々から揶揄されることもありますが、昭和8年当時にもこのような「ノウハウ本」は存在していました。
気になる「政治家の書生就職方法」では、2つの具体的な方法が説明されています。
その1:「同郷出身政治家訪問」
政治家の書生になる際にはもっとも良いと著者は勧めています。
これにも2種類あり、ひとつは郷里の知人に紹介状を書いてもらうケース。もうひとつは、政治家の名簿で出身地を割り出し、直接訪問するケースです。
いきなり訪問されても迷惑なのでは? との指摘には「政治家は法律家や医師とは異なり、ちょっと変わったところがある。すなわち清濁併せ呑むの気がそれである。故にこの方法で就職成功するものは数多ある」とのこと。
訪問の際には、履歴書、戸籍謄本、身元証明書、父兄の承諾書を携え、「私ははるばる、先生を慕って上京したものである」と根気よく頼み込むのが大切と説いています。
その2:「嘆願書捧呈」
これは、ひたすら当たるまで政治家に手紙を送り続けるという方法です。
「自分がいかに先生を敬慕しているか。私は先生の書生たる器ではないが、ぜひとも先生の訓育に浴したい。いかなる苦痛にも忍耐するし、先生のためなら氏をも恐れません云々」と、情熱的に、心を揺さぶる文章を「3〜40名の政治家に対し(中略)郵送するのである」とのこと。
もはや、「死をも恐れぬ」の大安売り感は否めませんが、下手な鉄砲も数撃ちゃ当たるを地で行く作戦です。
東京で一旗揚げて故郷に錦を飾る。
そんな志を持った若者には、政治家の書生は魅力的だったかもしれません。
現在ならさしずめ、学生ベンチャーを起業する若手起業家といったところでしょうか。
※参考資料:「書生と苦学 就職の秘訣と案内」宗川久四郎著(昭和8年・書生と苦学出版社)