ザンギリ頭が普及するには時間がかかった
1871年(明治4年)8月9日、政府は「散髪脱刀令」を布告。「散髪脱刀勝手たるべし」として、いわゆるちょんまげを結う必要はないと、公式に宣言します。
「半髪頭をたたいてみれば、因循姑息の音がする。惣髪頭をたたいてみれば、王政復古の音がする。ジャンギリ頭をたたいてみれば、文明開化の音がする」、有名なこの歌が大流行したのはこの布告から遡ること数ヶ月前、同年5月に「新聞雑誌 第2号」に掲載されたことがきっかけでした。
すでに幕末に洋式の軍制が導入されて以降、ちょんまげを結わない風潮は広まっており、先述の布告はその風潮を後追いしたものです。
ザンギリ頭は文明開化の象徴とされ、逆にちょんまげは旧弊の生き残りと軽蔑されました。
しかし、ちょんまげは不要、髪型は自由、ザンギリ頭が最新モードとされたものの、長く伸ばした髪を切り落とすことに抵抗を覚えた国民も多くいたようです。
埼玉県のある村では、いまだにザンギリ頭にしていないのはみっともないと、庄屋が夜中にカミソリを持って家々を回り、村人29人を強制的にザンギリにしたという記録が残っています。
また、東京都の海運橋付近には、ちょんまげにはしないものの、髷をバッサリ切ったままザンギリにするわけでもない、いまでいう「ロン毛」にしてくれる床屋が1軒あり、「反ザンギリ派」に重宝されていました。
やがて、1873年(明治6年)3月、明治天皇が散髪を行いザンギリ頭に。
これに官吏が従うようになり、以降、国民に広く広がっていくことになります。
旧暦と新暦が併存し、社会生活に混乱も
1872年(明治5年)11月9日、明治政府は太政官布告337号を公布します。これによって日本は太陽暦を採用する運びとなりました。
とはいえ、旧暦からの切り替えはやっかいで、その年の12月3日を明治6年の1月1日にするよう、布告しています。つまり、明治5年の12月は2日だけ、ということになります。
しかし、公布から半月後、改めて新しい布告が出てきます。
「今回の改暦において、今年の12月1日と2日を、それぞれ11月30日、31日とする」
旧暦では11月は29日までしかありません。
「明治5年だけ例外的に2日くっつけて31日まであることにするから、よろしくね」と政府は国民に言っているわけです。なぜこんなことが必要だったのでしょうか。
理由は公務員の給料にありました。
たった2日間でも12月が存在してしまうと、政府は公務員たちに給料を支払わなくてはならなくなってしまう、それを避けたかったからというのが理由のひとつだったと言われています。
とはいえ、通常であれば1ヵ月あったはずの年末が、突然すっ飛んでしまった。
庶民も大混乱していました。
旧暦を徳川様の正月、新暦を天朝様の正月と呼ぶ習慣はその後も長く国内に残りました。現在でも旧暦の正月を祝っている地方があります。
明治時代初期、太陽暦に切り替わった直後の笑い話に、次のような話が残っています。
岡山県のある村での話。
ある家の息子がお嫁さんを迎えることになりました。
結婚式を9月の何日と定め、着々と準備を進めていきました。
いよいよ結婚式当日。
お嫁さんは嫁入り道具を一揃準備し、数キロ先の実家から婿入する夫の家まで向かいます。
てくてくと遠路はるばるやってきて、家まで着いたものの新郎の家は戸をピッタリと閉ざしたまま、人の気配がありません。
これは家を間違えたのかと、玄関をどんどんどんと叩いてみると、ブツブツ文句を言いながら起き出してきたから両者ともビックリ。
嫁が来た、嫁が来たと上を下への大騒ぎとなり、なんとか式の準備を整えて、無事婚礼を済ませたとのことでした。
新郎の家では旧暦、新婦の家では新暦のつもりで準備を進めていたことから起こったトラブルでした。
風呂の温度まで規定するものの……
1873年(明治6年)7月、東京府は府下の銭湯にお触れを出しました。
「お風呂はとても良いものだが、熱すぎると害になる。風呂屋は熱い湯を勧めてはならない」と、適温として華氏90度を推奨しました。
これは、現在一般的な摂氏でいうところの、約32度とかなりぬるい温度です。
このお触れは掲示板となり、東京府下の銭湯に配置されました。
とはいえ、これじゃぬるいと銭湯はなかなか守らず、さらには字の読めない銭湯客も多かったことから、なかなか90度になることはなかったようです。
さらには、意図が正確に伝わらないことも多かったようで、この掲示板を見たある男。早朝から何十回となく湯船に浸かっては出てを繰り返している。
首から下が真っ赤に茹で上がっているのを見かねた番頭が声をかけると、「掲示板に書いてあるじゃないか。90度が健康にいいんだろ? まだ60回しか湯船に入ってないから邪魔しないでくれないか」
また別の銭湯客は、90度推奨というのを「1年に90回お風呂に入ることを勧めている」と捉え違い、正確に4日に1回の割合で入浴しに来るといったこともあったと記録に残っています。
当時の新聞いわく「今までの習慣を改めようとすれば、このようなトラブルは起こる」。
政府が国民に新たなルールを強いる場合、いつの時代でもトラブルや混乱は起こるもの。
我々国民も、そのあたりを肝に銘じながら新たなルールに備えたいものです。