政治ドットコムトピックス失言だけじゃない! 政治家の名言に学ぶ「人の心のつかみ方」

失言だけじゃない! 政治家の名言に学ぶ「人の心のつかみ方」

投稿日2021.3.25
最終更新日2021.03.25
この記事の監修者
山口和史
20年にわたって法律、税務、経営等の業界専門誌の編集長を歴任。
2020年から政治ドットコムの理念「政治をもっと身近に。」を実現するため、編集長に就任。
独自の視点と切り口で、政治にまつわる最新情報を発信する。

口を滑らせるとたちまち報道されてしまうこともあり、政治家の「言葉」はどうしても失言に注目が集まりやすいもの。
ですが、言葉こそ国民を引きつけ、自身の味方を増やし、ビジョンを明らかにする政治家にとっての最大の武器。歴史に名を残した政治家は、みな後世に残る名言を残しています。
我々の生き方にも通じる、政治家の言葉について見てみましょう。

田中角栄「政治は冠婚葬祭だ」

周囲の人々の心をつかんで離さない、人心掌握術に長けた政治家として「いの一番」に名前が上がるのが田中角栄氏といって良いでしょう。
田中氏が大臣や自民党の役職を終える際には、関わっていたスタッフが皆、本心からの涙を流して見送ったことは今でも語りぐさとなっています。
田中氏のコミュニケーションを巡るエピソードには事欠きません。

お金に困ったある政治家が田中氏のもとに支援をお願いに来た際、「いくら必要なんだ?」と聞かれ、「○百万円です」と答えると、田中氏はその倍の金額を渡した、「お疲れさまです」と挨拶されたスタッフの苗字を失念した際、「お疲れさま。ところで、君の名前はなんだっけ?」「鈴木(仮)です」「(あ、鈴木だった!)違うよ、下の名前だよ」と機転で乗り切った、大臣時代にはキャリア官僚が入省した年をすべて暗記していて「君ももう○年経ったな。そろそろ課長になってもいい頃だ」と語りかけ感動させた、これらのエピソードは数多い逸話の一端でしかありません。

田中氏はよく「政治は冠婚葬祭だ」と語っていました。
そのなかでも「婚」と「葬」をより大切にしていたと、田中氏の薫陶を受けた後輩政治家の多くが語り残しています。
関係者の結婚式と葬式には、多忙なスケジュールをやりくりしてできるだけ秘書任せにせず、田中氏本人が出席するようにしていました。
そのような行動が、地元の新潟県では名士や有力者の信頼を集め票につながる、東京では故人につながる人脈との出会いやつながりの強化になると理解していたからではないかと言われています。

結婚式と葬式を重視した田中氏ですが、両者を比較するとより「葬式」に重きを置いていたことが知られています。
後に総理大臣まで務める有力政治家となった田中氏の元には結婚式や葬式への出席依頼が殺到するようになります。
しかしいかに「できるだけ本人が出席する」と決めていても、日程が重なる日も出てきます。
もし、結婚式と葬式が重なった場合、田中氏は迷わず「葬式」に出席することを選びました。
「結婚式は欠席しても、その後のお付き合いで義理を果たすことができるが、お葬式はそうはいかない。長い間、お世話になった方との最後のお別れなのだから、お葬式を選ぶんだ」と、その理由について語り残しています。

大平正芳「見落とす、手を引く、話をそらす」

第68・69代の内閣総理大臣を務めた大平正芳氏。彼には多くのあだ名が付けられました。
付けられたあだ名のなかでも「アーウー宰相」が広く知られています。
大平氏は話をする際、必ず頭に「あー」または「うー」と発してから発言したことが由来です。
1978年から亡くなる1980年まで、マスコミや世間は大平氏の語り口をことさら大仰にモノマネし揶揄しましたが、後年、大平氏の演説や発言を分析したところ、この「あー」「うー」を取り除くと、論旨も文脈も完璧な文章になっていたことがわかっています。

政治家としての晩年は、壮絶な権力闘争に明け暮れる日々を送りました。
派閥の乗っ取り、福田赳夫氏と激しい戦いを繰り広げた総裁選(1978年)、総理の座に就いても自民党が分裂寸前にまで陥り、自民党史上最大の危機と呼ばれた「40日抗争」(1979年)が勃発、なんとかくぐり抜けるも、翌1980年には自民党内で造反者が出て不信任決議案が可決、衆参同日選挙が始まった直後に病に倒れ、投票日前に亡くなっています(1980年6月12日没)。

この戦いの日々を、大平氏はどのように過ごしていたのか。
死後、書斎からひとつのメモが見つかりました。
そこには「見落とす、手を引く、話をそらす。紛争の回避策はこれだ。むきになるものではない」と書かれていました。
大平氏は本心では紛争は好まず、回避しながら事を進めていきたいと願っていたことがわかります。
一方で、そう願いながらも現実的には紛争を回避するどころか、真正面からぶつかり、相手を叩き潰しながら歩を進めざるを得ない無念の思いもにじみ出ているようにも感じます。
「見落とす、手を引く、話をそらす」。政治家ではない市井の我々なら、実践できる名言のひとつではないでしょうか。

竹下登「汗は自分でかきましょう。手柄は人にあげましょう」

第74代内閣総理大臣を務め、ふるさと創生1億円、消費税導入などを行った竹下登氏。最近では、タレント・DAIGO氏の祖父に当たる人物としても知られています。

竹下氏は、常に温和な表情を崩さず、感情を表に出さなかったことで知られています。人がいる前で誰かの悪口を言うことも皆無。感情を押し殺し、粛々と自身の信条に則って政治を進めていきました。
目配りと気配りを張り巡らせ、難しい調整もいとわずじっと忍耐強く進めていく。そのような姿勢で望んだからこそ、戦後最大の税制改革である消費税導入が行えたというのが、没後の竹下氏に対する評価のひとつです。

竹下氏は生前「汗は自分でかきましょう。手柄は人にあげましょう」と語り残しています。
政治家はもちろん、一般社会で働く市民でも、他人が挙げた成果も「オレがやった」と言いたくなるもの。
竹下氏は永田町にはびこるそのような常識の正反対を貫くことで、周囲の人々の心を掴み、味方を増やしていきました。
自分で汗をかきながらも、その成果は他人に譲ってあげる。
言うは易く行うは難しではありますが、大事業を成し遂げるためには必要な考え方と言えそうです。

■参考文献
「永田町の回転ずしはなぜ二度回らないのか」伊藤惇夫著/小学館刊