「私は自分が間違っていると思うことをするだけです」(2000年)
2000年のアメリカ合衆国大統領選挙のさなか、記者から経済対策について質問された際の回答。
単なる言い間違いなのですが、のちの彼の言動を省みるに、「単なる言い間違い」では片付けられないような、不穏な余韻を残す迷言です。
ブッシュ氏は在任中、2度にわたる大型減税と、低金利政策を推し進めました。
その結果、アメリカは2003年に約20年ぶりの高成長を達成しています。
その一方で、財政赤字が増大し、260万人の失業者を生み出したことは大きな批判を集めました。
「富裕層を優遇し、記録的な財政赤字を生み出したことで貧富の差を拡大させた」というのがブッシュ氏批判の常套文句となっています。
「私の知能が低いと思っている人々は、その事実をまだ甘く見ている」(2000年)
雑誌の取材で訪れた記者に対して発したパンチのある一発。
これもまた言い間違いのひとつに過ぎないのですが、ブッシュ氏が語るとその説得力の大きさが尋常ではありません。
「知能が低い」とは言うものの、ブッシュ氏自身は、名門イエール大学を卒業し、ハーバード・ビジネススクールで経営学修士を取得するという、「イエール&ハーバード」というアメリカ国内で双璧とも言える名門校の出身者です。
これは、歴代の大統領と比較してもかなりの高学歴。ただ、「成績がCでも大統領になれる」と自虐ネタを発する程度には成績はよろしくなかったようです。
「ブラジルにも黒人がいるのですか?」(2001年)
第43代アメリカ合衆国大統領に就任した2001年に生まれた迷言です。
訪米したブラジルの大統領との挨拶で、「ブラジルにも黒人がいるのですか?」といきなりのカウンターパンチを食らわせたブッシュ。同席していたスーザン・ライス補佐官(当時/彼女は黒人)が大慌てし、「大統領、ブラジルにはアメリカよりもたくさんの黒人が住んでいると思われます」とフォローしたことで知られています。
実際、当時のブラジルには1000万人を超える黒人が住んでいました。
「白いよ」(2001年)
イギリスに向かったブッシュ氏。ロンドンを訪れ、現地の子どもに「ホワイトハウスってどんなところですか?」と質問された際の回答がこちら。
ちょっとしたボケであり、このあと中身のあることを語ったのかと思いきや、回答は本当にこれですべてだったようです。
初代大統領のジョージ・ワシントン(奇しくも同じ名前)が18世紀後半に建造するも、19世紀の英米戦争で焼失、戦乱で崩壊した外壁を白く塗り直して建造し直したことから「ホワイトハウス」と呼ばれるアメリカの象徴のひとつ……なのですが、ブッシュ氏には語れる話がなかったのでしょうか。
同様の回答に、「今日は誕生日ですが、お気持ちは?」との質問に対して「少し年を取ったかもしれない」、「朝はなにをしていますか?」との質問に「毎朝起きています」と答える、「輸入品はだいたい、海外から来ている」など、禅問答のようなエピソードに事欠きません。
「イラクが武装解除しないのであれば、アメリカが武装解除するまでだ!」(2002年)
ブッシュ氏が大統領在任中にもっとも世界にインパクトを残したのは、2003年のイラク戦争でしょう。
1991年に父親のジョージ・H・W・ブッシュ大統領が起こした湾岸戦争の停戦に際してイラクに課せられた大量破壊兵器の破棄の進展義務違反を理由にイラクへ侵攻。当時のイラク大統領だったサッダーム・フセイン氏を処刑し、政権を倒しますが、イラク国内の治安は乱れに乱れ、戦争が正式に終結するまで8年以上の時間を要しました。
上の発言はこのイラク戦争に関するもの。
聴衆は皆、(オレたちが武装解除してどうするんだよ…)と脱力したことでしょう。
ブッシュ氏の迷言の数々や、文法的な言い間違いは「ブッシュイズム
」と呼ばれ、失笑の種になると同時に親しまれもしました。
ひとつの失言が政治家生命を奪ってしまうこともあれば、彼のように「あいつのことだからしょうがない」と受け入れられることもある。
その境目はどこにあるのか、考えてみるのも面白いかもしれません。