
教育無償化や選択的夫婦別姓といった国内の課題から、トランプ政権発足後のアメリカとの関係をはじめとする国際情勢まで、今後の日本のあり方そのものを問う大きな政治テーマが日々議論される国会。衆議院では与党が過半数割れし、野党の発言力も高まっています。
今回のインタビューでは、かつて政権与党に身を置いた経験も持つ津村啓介議員に、日本が目指すべき教育や外交、社会制度の大きな方向性についてお聞きしました。
(取材日:2025年2月18日)
(文責:株式会社PoliPoli 秋圭史 )
津村啓介(つむら けいすけ)議員
1971年岡山県生まれ。東大法卒。1994年日本銀行入行。
2001年オックスフォード大学MBA取得。2003年衆議院議員初当選(7期)。
民主党政権で内閣府大臣政務官。2024年立憲民主党ネクスト文科相就任。
イギリス留学中に興味を抱いた日本の政治
ー政治家になる前は日本銀行に勤めていました。もともと政治に興味をお持ちだったのですか。
どちらかといえば、最初は学者をめざしていました。伯父が物理学者ということや、当時からノーベル物理学賞を受賞する日本人が多かったことから、「世界的な仕事ができるのは物理学の分野だ」と考えていたのです。ただ、理科2科目めの化学で赤点を取ってしまい、理系分野での自分の才能に限界を感じて、高校3年生のときに文転しました。
急いで日本史や世界史を勉強し直したのですが、そのなかで日本の経済やその背景にある歴史への興味が高まっていきました。敗戦国、かつ非常任理事国の日本が世界をリードしていくことは考えにくい一方で、当時は世界2位の経済力があり、Japan as No.1ともいわれていた時代です。ニューヨークとロンドンが世界の2大市場と言われるなか、24時間取引を実現するには時差の谷間を埋めるアジア地域に3番めのグローバルマーケットが必要で、それこそ日本が担うべき役割ではないか。そんな思いが「日本経済の中心で仕事がしたい」というモチベーションにつながり、日本銀行に就職することになりました。
ー日本銀行ではどのようなことを学びましたか。
私が入行した1994年は、バブル崩壊の後遺症がどんどん出てきた時期です。信用組合や地方銀行が相次いで破綻し、山一証券や北海道拓殖銀行といった名のある金融機関の崩壊も間近で見てきました。そんな中、当時の大蔵省と日本銀行の管理職が不祥事で逮捕される事件も起こりました。「ノーパンしゃぶしゃぶ」での接待が世間を騒がせた「大蔵省・日銀接待汚職事件」です。
この時代はまだ「みんなで一緒に悪いことをして仲間意識を持つ」という古い文化が残っていて、接待を受けていた店でも「一緒に下品なことをして仲良くする代わりに機密情報をこっそり教えてもらう」ということが行われていたようです。私は本当にショックでした。それまで自分が信じてきた「世の中の役に立つ」という価値観が完全に否定された気がして、職場が家宅捜索を受けた日は人目もはばからず泣きながら帰宅したのを覚えています。
ーその後、政治に興味を持つきっかけになったことは何ですか。
汚職事件の2年後にイギリスへの留学が決まりました。ただ、英語がそれほど得意ではなかったので、部屋に引きこもってインターネットのニュースばかり見ていたら、ちょうどその時期に「加藤の乱」が起きたのです。自民党一党支配が終わるかもしれない、そう思いながら連日のニュース報道を食い入るように見るうちに、政治にどんどん興味が湧いてきたのです。まもなく小泉純一郎政権が誕生し、小泉旋風が吹きました。民主党も負けじと力を伸ばそうとしている時期でした。偶然にも留学仲間に自民党代議士の娘さんがいて、その方に「政治に興味がある」という話をしていたら、帰国後にご紹介いただくことになりました。
30歳で帰国した後、実際にその議員の方と2回ほどお話をする機会があったのですが、そこで言われたのが「津村君は自民党には向いていない」という言葉でした。要は「世襲でもなく、ガッツで政治家になろうという人は今後は民主党から出るべきで、これからは自民党と民主党が切磋琢磨して日本を良くしていく時代だ」と。私もイギリスの保守党と労働党の二大政党制に惹かれるものがあったので、このご意見には共感しました。それで2002年に民主党の公募に応募したのです。
日本にとって最大の陸上資源は「人材」
ー2003年に初当選された後、2009年には民主党政権になりました。当時の活動で印象に残っていることはありますか。
科学技術予算の改革です。内閣府大臣政務官として取り組んだ科学技術予算の基金化(複数年度化)は、マスコミにも大きく取り上げられました。日本は財政単年度主義を採用しており、予算は年度内に使い切らないと翌年の予算が取れません。しかし、科学の研究は成果が出るまでに何年もかかるケースがあります。その中で研究環境を守り、予算獲得のための無駄使いをなくすため、複数年度化に取り組ませていただきました。「予算の総額は増やせないが、年度末使い切りのムダを削ることで、実質的に可処分予算を増やす」というアイデアは、その後のさまざまな予算の複数年度化の先駆けとなった施策です。
ー現在はネクスト文部科学大臣ですが、科学技術分野を含めて教育についてはどのようなお考えをお持ちですか。
政策を立案する時に大切なのは、「マクロ」と「ミクロ」の2つの視点をバランスよく持つことです。私は日銀時代も含めてずっと世の中をマクロの視点で見てきました。民主党政権時代も内閣官房の国家戦略担当政務官を拝命し、予算配分などの細かい仕事ではなくて財政金融や科学技術政策の全体的な枠組みを作っていました。その観点から言うと、今の日本の教育は視点が「ミクロ」に寄りすぎていると思います。もちろん定員や学校統廃合などの細かい議論は必要ですが、全体として「日本の教育をどうしていくのか」「10年、20年という単位で人をどのように育てていくのか」というビッグストーリーがあまり語られていません。
日本は世界で6番目に大きい海洋面積を持っているので、海洋資源には未来があると思います。しかし鉱物資源に恵まれない日本にとって、最大の陸上資源は「人材」ではないかと思います。戦後、大国に囲まれながら1人も戦死者を出さず、健康長寿国として歩んできた日本にとって、最大の陸上資源である「人材」に投資するためのビジョンは間違いなく必要です。その視点で教育を語ることが、私に課せられた使命だと感じています。
ー現在、自民党政権でも給食無償化や高校の授業料無償化などの議論を進めていますが、どのような印象をお持ちですか。
自民党は「とにかく今すぐ経済成長」という経済効率重視の視点から、「投資をする価値のある優秀な子どもをピックアップして優遇しよう」という優先順位です。その結果、格差が広がっていくわけです。私たちは逆で、短期的な投資効果は見えなくても、すべての人間の本来的な価値は同じで、全員が等しく大切にされるべきだという価値観が前提にあります。それに対して、自民党からは「選択と集中をすべき」という視点で意見が来るわけです。
私たちの議論の土台には「教育において選択と集中は悪である」という考えがあります。その背景には「機会を均等にすることによって長期的に人材が生かされることこそ、社会にとって価値がある」という思想があるのです。だから、自民党から「所得制限を設けた方が立憲民主党のいう“弱者救済”につながるでしょ」などと言われることもありますが、それはあくまで大人の発想であって、子どもの視点から見たら親の収入など関係ありません。生まれた家庭に関係なく子どもたちには同じサービスを提供したい、というのが私たちの立場であり、自民党との大きな違いなのです。
令和の政治家として、時代の価値観に沿った日本のグランドデザインを描く
ーこれからの政治を考える上で、大切なことは何でしょうか。
2024年の衆議院議員選挙でひとつ明確になったことがあります。それは「自民党一党支配の時代は終わった」ということです。言い換えると、野党が「アンチ自民」に専念する時代も終わりました。自民党は野党に気配りをしないと物事が進まず、野党も一定の責任を負わないと逆に居場所がなくなってしまう時代なのです。与党も野党も化学反応しながら社会を変えていかなければなりません。それが連立の組み換えになるのか、自民党と立憲民主党が時限的に協力する大連立的な状況も含むのか、というのがこの1~2年の重要なポイントだと思います。
ー具体的に注目されているテーマはありますか。
令和の日本人の新しいライフスタイルを応援する政治家でありたいと思っています。私は令和という時代は、日本社会が大きく変容し、飛躍する時代だと確信しています。
国内のテーマでいうと、明治時代に強化された前近代の家父長制に基づく価値観が現代の日本に大きな影を落としていると考えています。アメリカと対等に付き合おうとしている日本が、このアジア的な家父長制に足元をすくわれていることは大きな問題です。そのように考えると、選択的夫婦別姓などはやはり日本社会の曲がり角を象徴する問題だと思います。これは女性天皇の容認、愛子さま立太子など皇位継承問題にも通じる重要なテーマだと考えています。大きな曲がり角にさしかかっているにも関わらず、日本社会は曲がる勇気を持たず、角の壁に激突しそうになっています。今こそ覚悟を決めて曲がり角を曲がりきる必要があるのです。
もうひとつ、尊厳死の問題にも大きな関心を持っています。これはもう、世界が動いてるテーマです。今は厚生労働省の通達で「本人の意思が事前に確認できていること」、「家族の承諾があること」、「余命が長くないことを複数の医師が認めていること」といった3つの条件が完全に揃った場合には、ガイドラインによって延命治療のスイッチを切れるようになっています。ただ、ガイドラインという不安定な位置づけなので、変更された途端に罪に問われるリスクがあり、大半の医師はスイッチを切ることができません。
スイスでは「これ以上生きたくない」という人の死ぬ権利が認められていて、医師の立ち合いの下で自ら薬剤投与できるようになっています。本人が望んでいないにも関わらず、激しい身体的苦痛とともに生き続けないといけない現状は延命治療の行き過ぎた技術進歩が生んだ不条理です。尊厳死の問題は私たちの世代で決着を付けたいと考えています。
世界の3大軍事大国(アメリカ、中国、ロシア)の狭間に位置し、唯一の被爆国でもある日本は「世界の平和のハブ」になるべき国家です。歴史的な背景から考えて、日本が中国やロシアと同盟を組むことは考えられません。だとすれば「アメリカとの関係をいかに良いものにしていくか」が当面の日本外交の最大の基軸であるべきです。おそらくアメリカの言うことはある程度聞かざるを得ないと思いますが、基地の問題に象徴される不平等な条約は絶対に改正すべきです。従来のようにアメリカにベッタリなのか、少し離れて建設的な意見を対等に言い合える関係を築くのか、改めて問い直していく必要があります。私は「令和の条約改正問題」に取り組んでいきたいと思っています。
国内外に目を向け、「令和の政治家」として今の時代の価値観に合った日本のグランドデザインを描いていくことに今後も邁進していきたいと思います。
