
自由民主党・吉田真次議員は3期12年の下関市議会議員を経て、安倍元総理の後継者として38歳で衆議院議員に選出されました。もともとは安倍元総理の地元応援団として活躍されていた吉田議員が後継として衆議院議員になるまでの経緯、そして憲法改正など注力する政策分野などについて伺いました。
(取材日:2025年1月21日)
(文責:株式会社PoliPoli 秋圭史)
吉田真次(よしだ しんじ)議員
1984年、現在の下関市豊北町生まれ。関西大学法学部政治学科卒業。
2011年より下関市議会議員(3期)、2023年衆議院山口4区補欠選挙当選(現在2期目)
2024年厚生労働大臣政務官。
地方議員の伯母の存在と大阪府議事務所へのインターン、政治家になった経緯
ー吉田議員は下関市議会議員を経て衆議院議員に当選されています。政治に関心を持った経緯を最初に教えてください。
私の両親は学校の教員で非常に多忙にしていました。そのため、幼い頃の私は伯父と伯母も住む祖父母の家によく行っており、保育園の頃には、伯母が地方議員をしていることを何となく知っていました。私の育った豊北町は当時人口1万強でしたが、町にいくらお金があって、どんなことにお金が使われて、その使い道について住民がどう思っているか、という話を伯母に教えてもらいいろいろと質問したのを覚えています。伯母とのこのような話が政治に興味を持つきっかけだったのかな、と今になると思います。
ー大学では政治学科に入られて、在学中に議員事務所でインターンシップもされています。早い段階から政治家を目指されたのでしょうか?
幼少期に政治に興味を持ったものの、明確な思いを持っていたわけではありません。しかし大学受験の時に、政治を学んでみたいと幼い頃に思ったことを思い出し政治学科のある大学に行くことにしました。
とはいえ、政治に携わりたいという考えは持っていたため、大阪府議会議員事務所のインターンシップに参加しました。インターンシップは本当に楽しくかつ勉強になりました。大学生という身分もあり、議員本人そして後援会の方々から大変よくしていただきました。インターンシップを通じて、議員の仕事は本当に大変と感じる一方で、日本を強くするためのやりがいのある仕事だとも思いました。この経験がきっかけで、何らかの形で人の役に立つ仕事がしたいという軸が生まれたのだと思います。
ーその後の就職活動にあたってはどのような選択をされたのでしょうか
大学3年生でのインターンシップ修了後も、当時通っていた事務所は自宅から自転車で10分ほど場所にあり、時々顔を出してお手伝いなどをしていました。就職活動の時期になり、議員に就職活動の状況をお話したところ、政治を勉強する気があるなら事務所に来たらどうだ、と声をかけていただき、ぜひ学びたいと政治の世界に本格的に踏み込むこととなりました。私は自分の人生や政治に大きなビジョンのようなものを持って政治の世界に入ったというよりは、充実した府議会議員事務所のインターンシップに参加して、政治家や政治に関わる仕事の意義を知り政治の世界に入りました。
ー大阪府議会議員事務所で働いたのち、どうして下関市議会議員に立候補されたのですか?
大阪では府議会議員の秘書としてさまざまな人間関係を築くことができました。時々どやされながらも、議員や事務所の方には本当によくしてもらいました。秘書として2年目に突入した際に、議員の方から大阪で人間関係もできただろうから来年の選挙に立候補したらどうだ、と声をかけていただきましたが、私がずっと気になっていたのは、地元である山口県下関市の元気がなくなっているということでした。自分自身が政治家になるのであれば、地元の下関市に帰り、地元に役立つことをしたいですと、思い切って打ち明けたのを覚えています。議員の方からは、「そうか、頑張れよ。」と快く送り出していただきました。
その結果、下関市に帰ったのが25歳の時で、1年後の市議会議員選挙を目指して活動を始め、地元のみなさんに選んでいただき、その後3期12年間市議会議員を務めました。
地域の教科書問題に取り組み、安倍元総理大臣の後継として衆院選に出馬
ー12年間の下関市議時代の印象に残っていることを教えてください
政治の最も大切な役割は教育だと私は思っています。ふるさとでしっかりと子供を育て、その人材が全国そして世界で活躍して欲しいという思いを強く持っています。そのためには、質の高い教育が必要です。
教育に関して、市議時代に教科書の選定問題に取り組みました。初当選の頃に下関市で選定されていたのは、ふるさとに誇りを持てないし、歴史的に正しい記述ではないだろうという内容の教科書でした。教育では政治的中立が前提としてあるため、下関市でこの教科書を選ぶべき、ということは私から言えませんし、実際に教科書を選ぶのは教育委員会です。教育委員会は教科書改定の際、市民にも開かれたオープンな場で各教科書の内容を見てもらい、アンケートを行いました。そのアンケートの内容を踏まえて、市議会で教科書問題について一般質問なども行いました。
安倍元総理も子供が使う教科書は大切と思われていたようで、地元に戻られた際に教科書の見本展示をしている施設を訪問されています。安倍元総理ご自身が教科書をご覧になり、自身の名前を書いてアンケートに1票を投じられた、と後日うかがいました。
残念ながら当時の選定では、安倍元総理や私が推していた教科書は選ばれませんでした。ただ嬉しいことに、その数年後の選定で、その教科書が実際に選ばれたので、礎になる活動ができていたのかなと思うと感慨深いです。
ー吉田議員は安倍元総理の後継として、2023年の衆議院補欠選挙に出馬されました。国政へのチャレンジは以前から考えていたのでしょうか?
全く考えていませんでした。地元選出の安倍元総理の活躍は政治家になる前から応援しており、安倍元総理が国の仕事に集中できるように、私たちも地元議会から支えよう、という思いで活動をしてきました。しかし、2022年7月8日に銃撃事件が発生し大きなショックを受けました。正直、しばらくは何も手につかなくなってしまいました。それでもその秋頃には、悔しい思いを抱えながら当時の下関市議の仲間たちと「地元をしっかり守っていこう」と話していましたが、2022年末に安倍昭恵夫人から安倍元総理の後継として出馬のお話をいただき、初めて国政を考えるようになりました。
ーどのようなお話だったのか、差し支えない範囲で教えていただけないでしょうか。
安倍元総理の父上の晋太郎先生が亡くなられたのは67歳の時、安倍元総理は38歳で初当選しました。2022年に安倍元総理も67歳でお亡くなりになりました。そして、当時の私は38歳。このような縁を含めて、安倍元総理と同様にしっかり日本のために貢献できる政治家になってほしい、というお話を昭恵夫人はされていました。
安倍元総理の後継として出馬することについて、正直なところ、安倍元総理を支えてきた多くの方々に本当に理解いただけるかと、その大きな背中に大変なプレッシャーを感じていました。しかし、安倍元総理が進められた国づくり、そしてその思いは誰かが引き継ぐ必要があります。悩んではいましたが、誰にでも声がかかることではないのだからしっかり頑張れ、という周囲からの応援もいただき決断しました。
自衛隊違憲論に終止符を、注目する政策は憲法改正
ー重点政策として憲法改正を掲げられています。憲法改正に対するお考えをお聞かせください。
現在の東アジアの安全保障情勢を見ると、ロシアと北朝鮮がウクライナ戦争を契機に関係を密にしており、また中国の軍事的な拡張は続き、韓国は国内で政治的混乱が起こっているという厳しい状況にあります。この状況下で、国家安全保障上の危機が生じた時、今の憲法で日本を守っていけるのか、という大きな課題があります。憲法は70年以上、変わっていません。それは真の独立国家と言えるのか、という思いもあります。
自分達の国の基本となる憲法は、国民がしっかり決める必要があります。しかし、この不安定な安全保障環境の中で、改正の機会すら与えられていない、ということに対して危機感を持つ必要があります。この面からも憲法改正は必ず行う必要があると考えています。
ー具体的には憲法のどのような部分の改正が必要とお考えですか?
先ほどの話でも挙げたように安全保障に関する改正、具体的には自衛隊の存在を憲法に明記する必要があると考えています。自衛隊は国防においても防災においても、国家の非常時に命懸けで駆けつけて国民の命や生活を守ってくれる存在です。しかし、自衛隊の憲法上の位置付けがあいまいで、専門家である憲法学者の見解も合憲、違憲の両方の意見があります。そのような状態をいつまで続けるのでしょうか。安倍元総理も仰っていたように、自衛隊違憲論に終止符を打つべきです。
また、緊急事態条項を定めることも必要であると考えています。緊急事態条項とは、感染症や大規模な自然災害あるいは武力行為など何か大きな問題が発生した時、立法の役割を果たす国会機能をしっかりと維持していくためのものです。これが本来の緊急事態条項の意義だと私は考えています。たとえば、大災害などが発生した際に国会議員の任期が切れると、国会は何も意思決定ができません。これは大きなリスクです。このような緊急事態には、任期を延長することで国家が果たすべき役割を確実に執行していく、またこのような緊急事態の際は、内閣の権限を一時的に強めることで、十分な対策を打つことができると思っています。このリスクに対する体制づくりについての議論の論点にして、しっかりと改正に向けて推進したいと考えています。
厚生労働政務官として、政治家としての今後の取り組み
ー2024年11月からは厚生労働政務官としてもご活躍されていますが、政務官として取り組みたい政策はありますか?
取り組みたい政策は2つあります。1つ目は医師の偏在の解消です。山口県下関市など地方の過疎地域に住んでいる者としては、医師の都市への偏在は非常に強く感じています。地方では、医師がいないから病院が運営できなくなる、そして地域に住む患者は医療を受けたくても受けられる環境にない、という問題が全国のさまざまなところで起こっています。
2つ目は医薬品に関する課題解決です。新型コロナウイルスをはじめ、2025年もインフルエンザが流行しています。現場で対峙している医師も薬剤師も、口を揃えて医薬品不足の問題を訴えています。医薬品を安定供給すること、そして日本が弱いとされている創薬力の強化に取り組みたいです。
ー最後となりますが、今後の政治や政策に対しどのようなビジョンをお持ちでしょうか?
私のスローガンは「美しく誇りある国へ」というものです。自分達が生まれた国に誇りを持てるようにしたい、というのが私の政治の主眼です。
その中では、やはり先ほども申した憲法改正が大きなポイントになると考えています。憲法改正自体は、他の国では当然のように何度も行われています。しかし日本では、これまで改正のチャンスすら一度もありませんでした。真の独立国家となるため、また私達が自らの国に誇りを持つために、憲法を改正して国の形を、国民自らの手で作る必要があります。自分達が生まれた国に誇りを持てるようにするため、憲法改正を目指して行きたいです。
