
2020年の新型コロナウイルスをはじめとした社会情勢の変化により、各国の安全保障に関する方針や国際関係も大きく変化しました。日本においても、2024年通常国会で成立したセキュリティ・クリアランス法案や、防衛力の強化などを進めており、今後の国際関係のあり方が問われています。
そこで今回は、アメリカのシンクタンクや研究機関で日本の外交・安全保障を研究していた経歴をもつ太栄志衆議院議員に日本の国際的な立ち位置や今後の東アジアをとりまく外交・安全保障の方針についてお伺いしました。
(取材日:2024年9月10日)
(文責:株式会社PoliPoli 秋圭史)
太栄志(ふとり ひでし)議員
1977年生まれ。中央大学法学部卒、同大学院修了(政治学修士)。
国会議員秘書を経て、米ハーバード大学国際問題研究所研究員、米シンクタンク研究員などを歴任。
2021年第49回衆議院議員総選挙で初当選、2024年第50回衆議院議員選挙で当選(2期)。外務委員会理事、拉致問題特別委員会委員、国際局副局長。
フルマラソン2回完走、柔道黒帯、高校時代はラグビー部に所属。
政治家を志す転機は1995年
―太議員が政治家を志したきっかけをお教えていただけますか。
はじめて意識したのは高校3年生だったと思います。私が高校3年生だった1995年には、阪神淡路大震災や地下鉄サリン事件など、社会について考えさせられる出来事がたくさん起こりました。また、戦後50年の節目の年でもありました。
私が通っていた鹿児島の高校では、戦争に関連する映画を観たり、本を読んだりする機会が多くありました。振り返ると、戦後50年という時期はやはり特別な意味を持っていたと思います。
もともとは、教師や医者を目指していましたが、歴史を学ぶ中で、戦争によって教壇に立てなくなった先生がいたことや、社会に多くの不条理があったことを知りました。そして、この状況をつくり出したのは、やはり指導者の判断であり、政治の力であると感じました。この頃から政治に興味を持ち始めたのです。
みなさんも悩まれたように、高校3年生はちょうど進路を考える時期です。政治家になるためにはどうすればいいのかを考え、地元の議員の経歴などを調べるうちに、法学部に進み、まずは政治を学問として学び始めることが最良だと判断し、進学を決めました。
大学では様々な先生方から学び、平和を守るためには他国との関係をどのように維持するか、外交の重要性を痛感しました。当時は2000年頃で、国際関係に積極的に取り組む議員はあまり多くありませんでした。
その頃、国際関係含め世界に広く関心を持っている長島昭久議員の存在を知りました。当時の私の住まいの近くの選挙区で活動されていました。大学4年生の時に、長島さんのお話を直接伺う機会があり、外交の重要性やその方向性に強く共感し、手伝ってみたいと政治活動をサポートするようになりました。
米中の間で適切なバランスを取るための対中戦略が必要
―外交や安全保障といった分野は関心を持ちづらい分野という印象があるのですが、どのようなきっかけで課題感を持ち始めたのですか。
地理的な要因もあったと思います。私が育った鹿児島は沖縄の近くですから、戦争の犠牲者や被害について、より身近に学ぶ機会が多かったと思います。先ほどお話したように、戦後50年のタイミングで、南西諸島のような本土から離れた地域に対する関心も高まり、安全を確保するために何が必要なのかを考えるようになりました。
その後、外交・安全保障分野を専門に学ぶため、アメリカに留学をしようと考えていましたが、その前に少し政治の現場を体験することにしました。そこで、長島議員のサポートをするようになり、住民の方のさまざまな思いや悩みを知るなど、政治家の仕事に対する理解がさらに深まった大切な期間になりました。長島議員のそばで約8年間、外交・安全保障問題に精力的に取り組む姿を間近で見て、またサポートしてきました。
アメリカでは、東アジアの安全保障を研究するため、いくつかの研究機関に在籍しました。最初はナッシュビルのヴァンダービルト大学で、日米関係の専門家のジム・アワー先生のもとで学びました。彼は、元アメリカ海軍の軍人で、レーガン政権時にはペンタゴンに所属しており、その後研究者となった方です。そこでの学びを経て、ハーバード大学の国際問題研究所に移り、その後はハワイを経てワシントンDCに移動しました。
2014年に日本に帰国したとき、民主党政権から自民党政権にかわり、安倍さんが再び総理大臣となり、少し経った頃でした。当時、日本は失われた20年が30年に近づく過程で、GDPは世界3位に後退し、中国の存在感が急速に増していました。
アメリカで開催されたアジアに関する研究会のテーマは、ほとんどが中国の台頭に関するもので、日本の存在感が低下していることを強く感じた日々でした。それと同時に、アメリカ国内で、日本に関する研究予算が削減されていました。日本にとっての重要な同盟国であるアメリカで日本に関する研究が減少していること、また研究者が日本研究をしても食べていけない状況を目の当たりにし、大きな危機感を抱きました。
このようなアメリカでの経験を活かし、政治の側から日本の国力を強化しようと決心しました。外交や国防の政策を再構築し、日米関係を超えた新しい視点から日本の国益を最大化するための方策を追求したいと考えたのです。
外交・安全保障を軸に活動する以上、地方議員として経験を積んでから国会議員になるという方法は地方自治に対して失礼だと思い、2015年から国政に挑戦しました。選挙区を決める際には、米軍に過度に依存する外交・安全保障政策を変えたいという思いから、米軍基地がある地域を選ぶことにしました。そうして、米軍の厚木基地とキャンプ座間がある神奈川13区から立候補することに決めました。
―2021年に当選してから国会議員として活動をする中で、アメリカでの経験はどのようにつながっているとお考えですか。
私が師事したジム・アワー先生は、先ほどお話しした通り、東アジアの外交・安全保障の専門家です。先生は、東アジアの安全保障と日米同盟の実践の場に立たれ、日米同盟の根本的な意義や重要性、そしてアメリカにとっての国益が何であるかを明確に教えてくれました。日本は地政学的に、当時のソ連や中国の台頭に対応する上でアメリカにとって非常に重要なパートナーであり、なくてはならない存在だとおっしゃっていました。それは日米同盟がアメリカにとっても、必要不可欠なものであることを意味します。
その中で、日本が国際社会でどう振る舞うべきかを常に考え、日本の国益を堂々と主張しなさいと繰り返し言われました。アメリカの機嫌を取るだけではなく、日米同盟の本質的な価値を理解し、それを基に行動し発言しなさいと。これこそ、日本の政治家としての使命だと教わりました。
日本にいると、どうしてもアメリカを通した世界観が主流となりがちですが、私の経験から言えることは、アメリカを相対化し、客観的にその関係を捉えることが重要だということです。その上で、日米関係をどのように日本の防衛や国益に活かしていくのかを常に考える視点が、今の私の政治活動に繋がっています。
―日本の国際的な地位の低下に関する話がありました。時代が変わる中で、今後の東アジアにおける外交・安全保障政策をどのように取り組むべきだとお考えですか。
まず、私は基本的に良い方向に進んでいると思っています。国家安全保障戦略3文書の改定含め、その方向性は間違っていないと考えています。ただし、私自身はアメリカとの関係をより深化させるために、防衛協力のためのガイドラインの再構築、再検討がさらに必要だと感じています。加えて、アメリカの核の傘や抑止力をどのように位置づけるかについて、国会でも審議を行い、政府・与党に提案してきました。政府も新たな動きを見せており、現状は基本的に良い方向に進んでいると思います。
一方で、中国との向き合い方については、国家安全保障戦略の3文書では十分に見えてこない部分があります。地理的に共存せざるを得ない隣国との向き合い方が不透明であることは、課題として残っています。アメリカの対中政策は厳しさを増していますが、日本がそのまま引きずられるのはよくありません。安全保障においては日米が共通する部分が多いですが、経済的な面では必ずしも同じ方向を向いているとは言えません。
アメリカは、過去の日米貿易摩擦の際にも見られたように、感情的に対応してしまうことがあります。私がアメリカで生活していた頃はバランスを保ちながらやっていましたが、現在の状況は異なっているように感じます。
米中の新冷戦が本格的に激化することは望ましくありません。日本がその間に立ち、関係を調整する役割を果たす必要があるかもしれません。安倍政権が掲げた「自由で開かれたインド太平洋(FOIP)」の概念は、アメリカとの関係では有効な戦略ですが、同時に日本はASEAN諸国との関係強化にも力を入れるべきです。習近平政権下の中国との共存は非常に難しい状況ですが、現状の日本の対中外交戦略は十分に機能しているとは言えません。見直しが必要です。
さらに、北朝鮮との関係においては、拉致問題が依然として大きな課題です。先日、外務省の担当者と意見交換を行いましたが、時間的な制約がある中で交渉の窓口を設ける必要があると感じています。20年以上も首脳会談が行われていない現状は大きな問題です。ロシア、中国、韓国、そしてアメリカとも対話の場が設けられている中で、日本だけが首脳間での直接交渉を持てていないのは不利な状況です。
拉致問題の解決には、北朝鮮だけでなく、中国やロシアにも働きかけることが非常に重要だと思います。
日本再建にオールジャパンで臨む
―ひとりの国会議員として、今後の活動についてどのような意気込みをお持ちでしょうか。
この国は残念ながら、衰退局面にあると思っています。私が幼少期だった頃と比べ、明らかに国力が傾いていると実感します。重要なのは、この下り坂にどのように歯止めをかけていくかです。国の豊かさはGDPだけで測れるものではありませんが、1980年代後半のプラザ合意以降、アメリカから厳しい対応を受けた時期と比べても、日本の経済的な存在感は明らかに低下しています。世界に占める日本のGDPの割合は、かつての16%程度から、今では5〜6%程度にまで下がっているのです。
この国際的存在感の低下を食い止め、再建を図るには、オールジャパンで取り組まなければなりません。ここで問われるのは、まさに政治の質です。裏金問題などで停滞させている場合ではありません。世界全体の繁栄に貢献するためにも、日本が再び力を発揮する必要があります。経済的にも、国力の総合的な強化においても、外交や安全保障の立て直しが不可欠です。政治が常に意識を持ち続け、何が本当に我が国にとってあるべき姿なのかを問い続ける姿勢で、国の再建に向けて取り組んでいきたいと思っています。
