
銀行員をへて政治家となった松本洋平議員は、自治体システム標準化政策に早くから取り組んだことで知られています。しかし標準化の推進過程では、制度改正の頻発やベンダーの撤退などの課題も生じています。今回は、松本議員に銀行員から政治家となった経緯、そして自治体システム標準化政策に取り組んだ経緯に加えて、1973年生まれだからこそ今後取り組みたいとする政策課題について伺いました。
(取材日:2024年12月20日)
(文責:株式会社PoliPoli 秋圭史)
松本洋平(まつもとようへい)議員
1973年東京都生まれ。慶應義塾大学卒業。
三和銀行(現在の三菱UFJ銀行)に入行。2005年の衆議院議員選挙で初当選。
現在6期目。これまで内閣府副大臣や経済産業副大臣、自民党青年局長、自民党副幹事長などを歴任。
座右の銘は「今やらねばいつできる、わしがやらねばたれがやる(小平名誉市民 平櫛田中の言葉)」
政策が生活に影響を与えた衝撃体験、銀行員から政治家を目指した経緯
ー本日はよろしくお願いします。松本議員は大学卒業後、銀行へ就職した後に政治家となった、というキャリアをお持ちですが、最初に政治家を目指した経緯を教えてください。
私は学生の頃から政治に興味を持っていました。しかし親戚に政治家などの政治関係者はおらず、自分自身が政治家になる将来像が具体的にイメージできませんでした。このため就職活動をして銀行に入りました。銀行に入ったのは1996年で、千葉支店から銀行員生活をスタートしています。
銀行の融資業務で社会や企業の発展に役立ちたい、という思いを抱いて銀行に入ったのですが、入行2年目にアジア通貨危機が発生し、銀行自体が経営危機に陥ります。その結果、銀行は自らを守るために、いわゆる貸し剥がしを始めました。銀行が自分の思う方向とは違う方向に進んで行き、これはおかしい、と入行約2年で思っていました。頭取宛に、現在の銀行の状況はおかしいのではないか、という手紙も書きました。しかし入行約2年の若手が手紙を書いた程度で、何かが変わるわけではありませんでした。
ー政治を志すきっかけが何かあったのでしょうか?
銀行は自身を守るために貸し渋りや貸し剥がしを始めたのですが、政治方面から政策が打たれた結果、私の取引先でも助かった取引先が何社もありました。政治はこうやって自分達の生活に大きな影響を与えるのか、と感じた体験は衝撃的で、その体験を契機に政治の世界に入りたいと思うようになりました。
ー具体的にはどのように政治の世界に入られたのでしょうか?
先ほどもお話したように、私は政治に縁もゆかりもありませんでした。人事異動で大手町に転勤したタイミングでもあり、まずアポをとって議員会館に議員を訪問する所から始めました。「何々銀行に勤めているもので、一度お話を聞かせていただきたいのですが」と言ったように。これが政治と関わる最初のきっかけです。29歳の時に、中途半端な状態はよくない、と思い銀行を辞め、辞めた翌日に大学の恩師の所へ、政治の世界に進もうと思い銀行を辞めました、と報告に行ったんです。すると議員を紹介してもらえました。そしてなぜか高く評価していただき、それなら国政から頑張りなさい、という話になり政治の道を踏み出すことになりました。
ー最初の選挙では当選できなかった、とプロフィールで拝見しました。落選後に政治へのモチベーションは落ちませんでしたか?
最初の選挙で当選はできなかったものの、モチベーションが落ちることはありませんでした。地元の様々な立場の人との触れ合いを通じ、サラリーマンの時にはできなかった数々の経験ができ、また教えも受けました。逆に政治に対する思いは強くなりました。
私は政治に何の縁のない所から政治活動をスタートしました。政治に参加する方法としては、1票を投じることも非常に大切ですが、自分自身が思いを持って政治の世界に行くのも政治参加です。誰もが政治に挑戦できるような社会を築きたい、という強い気持ちが私にはあり、私自身が政治の世界に行こうとする人のハードルをできる限り下げる存在になりたい、という思いを抱いています。また、背伸びをしないで政治活動をしていこう、と政治の世界に入ってから常に心がけています。
自治体システム標準化政策に早くから取り組んだ理由について
ー松本議員は、自治体システム標準化の政策に早くから注力されたことで知られています。どのようなきっかけで、自治体システム標準化に取り組もうと思われたのでしょうか?
内閣府の政務官の時に、御嶽山噴火災害などの対応をしたのですが、各省庁が持っている情報はそれぞれがバラバラで、現場スタッフはそれぞれの情報をプリントアウトして共有している、という仕組みでした。政務官として、災害情報を一元化し加工できるようにしてもっと有効活用できる仕組みを作るぞ、という所から自治体システム標準化の取り組みはスタートしました。私の勤めていた銀行は合併があったのですが、業務効率化とシステムは表裏一体です。民間企業であれば同じ仕事は同じシステムを使ってやるのは当たり前なのに、自治体はそうなっていませんでした。それぞれの自治体が同じ業務なのにバラバラでシステム投資をしており、一般企業に勤めた人間の視点で見れば、何でこんな非効率的なことをやっているんだろう、と思わざるを得ませんでした。
また防災の現場の観点では、大きな災害が発生すると近隣自治体から被災した自治体に応援要員の職員が派遣されます。しかし応援要員が派遣元の自治体と同じ仕事をする際も、まずは端末の使い方から覚えないと業務ができない、という状態でした。民間の感覚なら誰が見ても当たり前なシステムを行政にも、という思いから自治体システム標準化の取り組みは始まっています。
ー自治体側の反応はいかがでしたか?
地方自治体の元締めの総務省からは、約1,700の自治体があって同じ仕事とはいえ各自治体がシステム開発することこそが地方自治です、と言われました。しかし国民や地域の人々は、システムを別々に作る地方自治なんて求めていませんよね。標準化できるものは標準化して、それまでシステムの維持管理に使っていた予算などのリソースをできる限り減らす。そして業務を効率化して、自治体の職員しかできない仕事をするのが本来の地方自治の姿ではないのか?、という議論を総務省と続けました。その後、内閣府副大臣になった時も一生懸命に自治体システム標準化政策を進めましたが、総務省の抵抗は強くて大変でした。それでも少しずつ検討が進み、最終的にはデジタル庁設立の中で菅総理が英断を下されて、現在の形となっています。その後はデジタル庁から報告も出ていますが、自治体システム標準化の取り組みには、自治体もかなり協力しているようです。一方で、スケジュールの遅れやベンダーの問題などが生じていることも承知しています。
システムを共通化した先には、様々なイノベーションが発生して、仕事の進め方も変わっていくのではないでしょうか。例えばバックオフィス業務は、場合によっては全てセンターに送ってしまえば、自治体の職員はもっと住民サービス向上のための本質的な業務に時間を割くことができるでしょう。デジタル化はデジタル化そのものが目的になると失敗する可能性があり、その先にある目指すべき姿をしっかり共有することが非常に大切です。その面では、まだ目の前のデジタル化に追われて自治体の職員や国民の皆さんにも、自治体システム標準化で何が変わるか将来像が見えていない部分もあるはずです。自治体システム標準化で我々の生活がどのように変わるのか、という部分を見せていくのが大切で、それができれば自治体の職員にも国民の皆さんにも、もっと応援してもらえる政策だと思っています。
ー自治体システムの共通化により、外国からサイバー攻撃を受けた場合などのリスクが高まる懸念はないのでしょうか?
情報が集中することで、大規模な何かしらのリスクが存在する懸念はあります。しかしその一方で、これまでのように各自治体がシステムを持つ場合、システムやサイバーセキュリティの専門家を雇える自治体ならリスクは低いものの、過疎地や地方の自治体は予算や人員の面からセキュリティ対策は難しい、という話になります。このため、業務やシステムを切り分けた上でクラウド化してゆき、国として高度な安全性を維持しつつ専門人材の育成および配備することが大切です。
1973年生まれだからこそ感じる重要なミッション、今後取り組みたい政策について
ー今後特に力を入れたい政策があれば教えてください。
私は自分が生まれた1973年は、ある意味で象徴的な年だと思っています。第二次ベビーブームで一番人口が多いのが、実は昭和48年・1973年生まれの我々の世代なんです。我々の世代は第一次オイルショックの年の後に生まれた子供ですが、就職活動をした時には既に就職氷河期のまっただ中でした。バブル崩壊後、低成長でずっと過ごしてきた世代です。我々の世代の次の世代には人口の山がありません。我々の世代は今の生産年齢人口の中で一番のボリュームゾーンです。その意味では、日本の経済および社会保障を支える最大のボリュームゾーンなのですが、今後我々が高齢者になった時に我々を支える山がありません。このため我々の世代は、一番苦しい時代に突入するという宿命を背負っている世代と考えています。
その中で政治の根源的な仕事は、①平和を守ること、②豊かな社会を築くこと、③国民生活の安全安心を守ること、この3つだと私は思っており、常々地元でも言っています。
人口が今後すごい勢いで減少する中でも、日本の経済的な豊かさをしっかりと守り続けて、また同時に防災および社会保障で国民の安心安全を守る必要があります。社会が変化するため、それに対応した改革の実行が非常に大切です。その責任を我々の世代が果たす必要がある、というのは自分の中では非常に大きな使命感となっています。
ー国力=人口、といった考え方がこれまでは普通だったと思いますが、今後の人口減少社会でも経済力の維持や経済発展は可能なのでしょうか?
人口減少社会の中でも、デジタル技術の活用でより付加価値の高い経済を作り、日本の経済全体は豊かであり続けることはできるのではないでしょうか。そして、経済の果実を国民が享受して国民の暮らしが豊かになっていく、という国作りが必要です。特に海外では、グローバルサウスなどの国々は人口が増えていきます。そういった国々としっかり緊密な連携を取ること、また彼らがより豊かになるような支援をして、逆に日本もその豊かさを受け取れるような国にしていきたいですね。
ー社会保障についてはどのようにお考えでしょうか?
社会保障制度を守るには、経済の豊かさを実現して経済と社会保障の好循環を作る、という視点が欠かせません。人口減少を乗り越えるために、日本経済のバージョンップをしっかり行う必要があります。その上で経済と社会保障との好循環を作り上げて、若い人たちが過度な負担で苦しむことなく、人々が安心して将来に向け希望が持てる社会を築く必要があります。それを実現するのが我々世代の非常に重要なミッション、と感じている所です。大きな視点となりますが、それらの政策に今後ぜひ取り組んで行きたいですね。
