
第50回衆議院選挙が2024年10月27日に投開票され、99名の新人議員が誕生しました。今回のインタビューでは、その中の一人、自民党公認候補として立候補し、初当選を果たした向山淳議員に、政治家を志す原点となった幼少期からの海外経験やシンクタンク時代とは異なる責任感、少数与党となった自民党の政策作りのプロセスをどのようにアップデートしていきたいのかを中心にお伺いしました。
(取材日:2024年12月24日)
(文責:株式会社PoliPoli 秋 圭史)
向山淳(むこうやまじゅん)議員
1983年埼玉県川口市生まれ。
日本、ペルー、アメリカ、アルゼンチンで幼少期をを送る。
慶應義塾大学法学部卒業。
総合商社勤務を経て、ハーバード大学公共政策大学院修了(行政学修士)。
シンクタンク勤務ののち、2024年の衆議院議員選挙で初当選(1期)。
幼少期からの海外経験を経て「日本はいい国だ」と実感
ー向山議員は政治学科出身ですが、大学生のときから政治家になることを目指していたのでしょうか。
もともと政治家を目指していたわけではなく、いろいろな経験が積み重なって政治の道へ進みました。
もともと、親の転勤に伴い2歳から高校入学まで日本と海外を行き来するなかで、「日本はいい国だ」と感じていました。2歳から4歳まで住んだペルーは、子どもに誘拐保険をかけなければならないほど治安が悪かった。11歳から14歳までを過ごしたアメリカは、アメリカンドリームのような素晴らしい側面もある一方で、社会保険は脆弱。とにかく弱肉強食でお金がなければ生きていけないような厳しい社会でした。また、14歳から15歳まで過ごしたアルゼンチンは、家族の滞在中に経済危機が起こり、財政が破綻した国家の現実を目の当たりにしました。
そうしていろいろ日本と海外を比べるなかで、やはり日本はいい国だなと感じましたし、将来は日本という国に貢献したいと考えるようになりました。大学卒業後は、経済を通して世界の中の日本を考えていきたいと思い、商社に就職しました。そこで13年間、海外ビジネスや、企業再生、インフラ投資などに従事しました。大変やりがいのある仕事でしたし、ビジネスを通して日本に貢献できることもたくさんあるのだけれども、同時に日本の国際競争力の低下に危機感を感じ、民間での限界や根本的には政治なのではという思いもありました。
その後、妊活のために仕事を長期間離れる期間があり、そこで改めて自身の原点を振り返り、政治の道へ進みたいと考えたんです。まずは政策を学ぶためにハーバード公共政策大学院に留学。0歳の子どもを連れての留学は大変でしたが、修士号を取得し帰国しました。2022年の参議院議員では全国比例で出馬したものの力及ばず、今回の衆議院選挙で初当選しました。
ー海外生活の中で、改めて国家の重要性を意識することも多かったのでしょうか。
そうですね。実は私の夫は文化人類学専攻だったので、 ベネディクト・アンダーソンの「想像の共同体」を引用して「国家にはどのような意味があるのか」といった投げかけをすることもあるのですが、私は国という単位は重要だと考えていて、その役割は変わっていないと考えます。
現在は海外に目を向けると政治の混乱が激しいですよね。その中で国民の生命財産を守る一番重要な役割を担い得るのはやはり国です。グローバル化は経済の結び付けを強めたし、インターネットの空間はコミュニケーションのあり方を変えたとは思いますが、そうしたものが盛んであればあるほど、それぞれの利益の対立も大きくなる。その分、国という単位で国益を守っていく必要性は高まっていくと思います。
有権者の声を代弁しながら、「解」を見つけていきたい
ー初当選後、約2か月が経ちました。現在の率直な感想を教えてください。
直近の3年間は政策シンクタンクにおり、政府の対応の検証や立案支援など永田町とも近い仕事をしていましたので、政策立案プロセスについてはすでに知っている部分もありました。例えば、前職では自民党のデジタル社会推進本部でWeb3PTに関する報告書の取りまとめも行なっていました。一方で、実際に法案を通す部分、国会対策委員会や両議院運営員会がどのように動いているかなどは見えていなかったため、とても勉強になっています。
また、今国会では少数与党の厳しさを日々実感しているところです。先輩の先生方から話を聞いても、今までの自民党の常識と違う部分を感じていると聞きます。これまでは部会で政策の議論をして、審査会から総務会を経て、内閣提出法案となれば、そのまま国会で通る前提でしたが、今は与党単独では通らなくなっています。その一方で、修正協議に応じたり論戦の中でより多くの説明を求められる中で、今まで自民党の中で完結して外から見えなかった政策づくりのプロセスが国会を通して、有権者のみなさんに見えるようになったのは良いことではないかと考えています。
ーこの2か月間で手応えを感じたことや、これから取り組みたいことについて教えてください。
今回、新人として立候補し、当選させていただきました。政治と金の問題に関して、私自身も厳しいお声をいただきました。かつ政党に対してもすごく厳しい判断をいただいたと思います。
その中で新人の役割は大きいと考えます。と言うのも一番有権者に近い感覚を持ち、政治の世界に染まりきっていないのが新人の良いところだからです。両院議員懇談会の場でも率先して手を挙げ「今の自民党・政治家は、一般の有権者からしたら特権階級だと思われています。物価高や、インボイスが導入された状況で国民に裏金問題がどう見えているのか。信頼回復に取り組まなければならない」と率直に意見をぶつけました。
また、これからは地元のための活動にも注力していきます。私の地元、北海道は第一次産業が盛んな地域ですが、従事者の高齢化や、温暖化で穫れる魚種が変化するなど今までにない厳しい状況があります。国政で地域の課題を伝え、予算やルール作りに反映させていきたいと思います。
ー前職で政策立案に関わられていたときと、国会議員となった現在では、どのような違いを感じますか。
最も大きな違いは、国会議員は有権者に選ばれている、つまり有権者の声を代弁しているということです。シンクタンクでも、情報を整理して正しい方向に提起することはできます。しかし最終的な意思決定は政治にしかできません。
政治家は、実際に困っている人の話を聞き、声を代弁しながら意思決定をしていく。論理的に正しい政策や提言は官僚のみなさんでも作れますし、シンクタンクでも役に立つことができます。ただ、代議士にとって重要な仕事は、現場の声、地域の問題や特殊な事情を加味して調整していくことです。
有権者の信託を受けるというのは、ある意味で有権者お一人お一人の思いを背負っている感覚が強い。毎朝辻立ちをして、地域を丁寧にまわって、お話をさせていただいた方々にどうやって貢献していくのか。シンクタンク時代とは立場も見え方も大きく異なります。
また、最終的な意思決定も政治にしかできません。例えば漁業の共済制度について。漁業では、資源管理とセットで漁獲高がふるわなかった場合に補償が行われる共済制度があります。近年、マグロの資源量が増加したため、漁獲枠の拡大が了承され、それに伴って、共済の特例措置の仕組みを3年かけて縮小していく方向に決まりました。しかし、その制度が無くなってしまうと、マグロが増えたとしても、サケ・マスなどの漁獲量が減少している中でほかの収益の柱がなければ、生活が成り立たなくなると漁師さんから厳しいお声をいただきました。
財務省の観点からすれば、マグロが穫れるようになったのだから、財政の取り組みとして支援を減らしていくべきだと考えます。しかし現実には3年で補償がなくなってしまうのは別の収益の柱を立てるには期間が短すぎる、せめて5年にしてくださいと、北海道議員一丸となって要請しました。また漁業者に対しては、養殖事業など別の収益の柱を一緒に作っていきましょうと寄り添って取り組みを支援していきます。このように、複雑な状況から解を見出していくことこそが政治家の仕事だと感じます。
少数与党となった自民党。新人議員の立場からどう見るか。
ー衆議院で与党が過半数を割るなか、国民民主党は「103万円の壁」の引き上げ、日本維新の会は教育無償化を求めるなど、さまざまな駆け引きが行われています。
自民党の議員は、やはり責任ある与党として最後の矜持という感覚を持っていると思います。正直、減税をすれば国民のみなさんから歓迎されることはわかっているし、国民生活が苦しい中でどうにか所得を上げる施策を実現したいと思っています。ただ財政とのバランスを考えて、103万円の壁の引き上げについて、例えば自治体財政に負担をかけるレベルまで野党提案を丸呑みして引き受けることが本当に良いことなのか、それとも低所得者の方へ給付を行うのが良いのか、学費負担を下げる方が良いのか。その場合の財源はどうするのか。そういったことをふくめてすべての責任を持ち、整合性をつけていく。そのような責任ある態度が与党のあるべき姿だと思っています。
ー前回の衆議院議員選挙では国民民主党はわかりやすいメッセージを出し支持を獲得しました。自民党は組織も大きく、ウイングも広い分、それがわかりづらさと取られてしまう側面があるように思えます。
自民党が逐次的で小さな政策課題にしか向き合っていないようにしか見えないならば、それはやはり党として何をしたいのかというメッセージをリーダーが強く出せるかという部分が問題になります。
有権者のみなさんが国民の声が届いていないと感じられるのならば、やはり思い切った場面展開やリーダーシップの発揮も必要になるでしょう。安倍晋三元首相はデフレ脱却を目指し「3本の矢」を提言し、小泉純一郎元首相は郵政民営化の是非をめぐりワンイシューを掲げ解散総選挙を行いました。そうした大きな舵を切るのはリーダーの重要な仕事だと考えます。
ー多くの派閥が解消され、新人議員も少ないなかで、ほかの議員の方とどのようにコミュニケーションをとられているのでしょうか。
自民党が下野し、民主党への政権交代が起きた2009年の衆議院議員選挙の新人議員は4人でしたが、我々の同期も14人と非常に少ない。その分、厳しい選挙を勝ち抜いてこられた方が多いので、地方自治体の首長経験者や、地方議会で活躍されてきた方が多くいらっしゃいます。私のような落下傘の民間出身者は少ない状況です。そういう意味では面白い人たちがそろっていると思います。
関係も近しく結束している感覚はありますし、横の繋がりは大事にしていきたいですね。
派閥の枠組みも少なくなったため、2期目、3期目の先輩方も縦のコミュニケーションを意識していると思います。あとは議員にとどまらず、若手の先生方は経済産業省の官僚の方々といっしょに勉強会をやっていたりしますので、さまざまな単位で網目を作っていく形になっているでしょう。
ー自民党の政策決定のプロセスについて、アップデートが必要だと感じる部分があれば教えてください。
ただ、政策決定のプロセス自体は、現状でもすごくよくできた仕組みであると感じます。与党としては決める・実現する・責任を持つというのが重要な中で、限られた時間とリソースの中でどうやって最適な解を出していくかはやはり重要だと思います。
一方で、さきほどリーダーがトップダウンで改革の方向性を示す必要があると述べましたが、日々課題を持ち寄り官僚の方々を確保してといった逐次的な改善、解決ではなく、大きな改革の原動力、エンジンをどこかで意識的に作らなければという思いはあります。2017年、漁業法が70年代ぶりに改正されましたが、連続性ある政策だけではなく、そうした大きな枠組みでの改革を生み出す土壌や枠組みは考えていかなければならないでしょう。
内閣府の経済財政諮問会議なんかは、骨太の方針、骨格、大きな方向性や国家感を出していくエンジンとして設置されたと思うのですが、政権が引き継がれるにつれ、当初の設定の目的からだんだんと形骸化する側面はあって、例えば、「この一行を入れ込む」というミクロな努力に注力することが本質的なのか、という問題意識は持っています。
日本は唯一無二のポジションを目指すべき
ー最後に、向山議員が描く将来の国家ビジョンについて教えてください。
これから人口減少のトレンドはしばらく変わらない。その中で日本という国が強くあるためにはどうすればと考えた時に、やはり世界の中で唯一無二の存在を目指していかなければならないでしょう。
日本は文化的には世界から見れば、ユニークな存在だと見られていると思うのですが、それに加えて経済的にも産業競争的にも、特異な位置を国としてしめていける国家になって欲しい、なっていきたいという思いがあります。
日本はよくガラパゴスであると言われます。ガラパゴスには悪い部分もありますが、それが唯一無二、存在価値となることもあり得るでしょう。中国やアメリカなどの大国や、インドやインドネシアなど人口の増大や、成長のスピードが著しい国に一対一で対抗していくのは、現実的に日本が勝つ道ではないと思います。世界から選ばれる国としてのキャラクターを確立していく。ヨーロッパにおけるオランダの農業輸出のうまさのように、日本の位置づけを世界の中でしっかり持っていくところを目指したいです。その道を創っていくことが、今の重要なテーマです。
