2024年10月に行われた第50回衆議院議員選挙では、全体の20%以上にのぼる99名の新人議員が誕生しました。立憲民主党が最多の39人で、躍進した国民民主党は19人。一方で、議席を減らした自由民主党は14人と、前回の33人から激減となりました。
政界の勢力図が変わる中、新人議員には果たすべき大きな役割があります。今回のインタビューでは、和歌山1区で初当選を果たした自由民主党の山本大地議員に、政治家を志した原点やこれから注力したい政策についてお伺いしました。
(取材日:2024年12月11日)
(文責:株式会社PoliPoli 秋圭史)
山本大地(やまもとだいち)議員
1991年和歌山県和歌山市出身。関西大学卒業後、紀陽銀行に勤務。
国会議員の公設秘書を5年間勤めたのち、和歌山市議会議員を2期勤める。
2024年10月の衆議院議員選挙で自由民主党公認候補として立候補し初当選。
趣味は野球とサウナ。
生まれてくる子どもに胸を張れる決断をしたいと考え、公募にチャレンジ
―政治を志したきっかけを教えてください。
幼い頃から政治は身近な存在でした。というのも、自民党和歌山県連の事務所の隣で、私の父が飲食店を営んでいたのです。和歌山県連のみなさんにはよく出前を頼んでいただいていて、政治家の方々を直接目にする機会が多くありました。
本格的に政治に興味を持ち始めたのは高校生のときです。2009年に自民党から民主党への政権交代が起きて、世の中がもっと良くなるかもしれないと思いました。私は民主党政権の評価をする立場にはありませんが、結局、2012年に自民党政権政権に戻った。そこからアベノミクスによって株価は上がり、景気も少し良くなりました。当時私は大学生で、就職活動では引く手あまたのような状態だったので、自分はアベノミクスの恩恵を受けたと思っています。政治が変われば世の中は変わるということを高校、大学時代に感じました。
大学では法学部で政治を学んだものの、どうやって政治の世界に入ったらいいのか分からず、地元の銀行に就職。大学時代は大阪に下宿していたので、和歌山に帰りたい一心で、地銀という選択をしました。しかし、実際に働いてみて、銀行は自分には合わないと感じ、2年で銀行を辞めました。
当然のことですが、銀行は株式会社であって、慈善団体ではありません。利益を出す必要があるため「明日100万円必要なんです」と小さい会社に融資をお願いされても、断らなければいけない。そんな場面を何度も目にして、なんか違うなと。もっと公のために仕事をしたいと思ったんです。
―そこから政治の世界に飛び込んでいくわけですね。
政治の世界を見てみたいと思い、自民党和歌山県連に突撃しに行きました。私は思い立ったらすぐ行動する人間なので、計画は何もありません。履歴書だけを持って「どんな仕事でもいいので雇ってください」と。突然押しかけてしまったので和歌山県連の方々も驚いていましたが、まずはアルバイトのような形で入らせてもらいました。
その後、門博文衆議院議員、鶴保庸介参議院議員の公設秘書を任されました。2022年8月の和歌山市議会補欠選挙で当選し、和歌山市議会議員に。今回、2024年10月の総選挙で当選させていただき、衆議院議員になりました。
―和歌山市議会議員から国会議員への転身。どのような思いで国政への進出を決めたのでしょうか。
今回、私が出馬した和歌山1区では候補者を公募で選ぶことになっていたのですが、誰が手を挙げるんだ、みたいな雰囲気で。和歌山1区は2009年以来、自民党が選挙区での議席を持てていない選挙区。さらに、今回は自民党にとって非常に厳しい選挙であることは分かっていました。
私自身、いずれは国会議員になりたいという思いを持っていました。市議会議員で経験を積んだ後、県議会議員を経て国会議員に、というステップを考えていました。しかし、この状況を見て決意を固めました。当選できるか分からないし、候補者に選ばれるかも分からない。けれど、公募に申し込むだけは申し込もうと決めました。
実は当時、妻が妊娠していて11月に出産予定だったんです。衆院選直後には初めての子供が生まれて、自分は父親になる。そのことに想いを馳せたときに、これから生まれてくる子供に対して、胸を張れる生き方をしたいと思ったんです。落選するのが怖いから挑戦しなかった、なんて子供に言いたくないなと。最後に背中を押してくれたのは、まだこの世に生まれていなかった子供でした。
当たり前のことを当たり前にできる責任政党に
―山本議員は衆院選で「若さと情熱。」をキャッチコピーとし、「自民党を内部から変える」と発信していました。具体的にどのようなことに取り組んでいくのか、教えてください。
自民党は変わらなあかんと思っています。お金の流れが不透明である点は一般的な国民感覚からずれているので、直していくべきです。そんなに難しい話ではなくて、当たり前のことを当たり前にやるだけです。誰に聞かれても「〇〇のためにいくら使いました」と説明できればいい。恥ずかしいことをしていなければ問題はないはずなんです。
これからは普通のことを普通にできることが一番大事だと思っています。私は政治家の家系ではなく、一般家庭で育って、まだ政治の世界に染まりきっていません。そこが自分の強みだと思うので、この一般的な感覚を大事にしていきたいです。
今の自民党に課題があるのは事実ですが、一方でこの国を引っ張れるのは自民党しかないとも思っています。良い政策を掲げている政党はありますが、やはり理想と現実があるわけです。責任を持って政策を進められるのが自民党の強み。改善すべき点は改めて、自民党を、当たり前のことを当たり前にできる責任政党にしたいと思っています。
―自民党では、麻生派以外の派閥が解散されました。派閥には政策を勉強したり、国会議員としての振る舞い方を指導したりといった新人議員を教育する機能もあったと思います。派閥がなくなり、新人議員の学びの機会はどうなるのでしょうか。
そもそも、派閥には良い面と悪い面があります。派閥がお金を分配したり、人事に口出ししたりすることは問題ですが、グループができること自体は悪いことではありません。国会議員1人では政策を実現できないので、政策集団はいずれできるとだろうと思っています。
現状、派閥はありませんが、先輩方に相談できる機会はあります。若手の方々がお昼に集まってご飯を食べる会があり、「おいでよ」と声をかけていただいたんです。空いている時間があればお邪魔させていただいています。「委員会で、こんなときはどうしたらいいんでしょうか?」などと相談したら、優しく教えてくださる先輩方がいて非常に助かっています。もちろん集まりは強制参加ではなく、お弁当代の用意だけで気軽に参加可能です。
その他にも、5期生までの若手議員の懇親会に呼んでいただいたり、1期生と2期生で食事をしたり、さまざまな交流の機会があります。今回の選挙で初当選した1期生は14人で、近年の自民党ではかなり少ない数。1期生同士でLINEグループをつくり、情報共有をしています。
また、先日、自民党の平成生まれの議員で「平成の会」として集まりました。メンバーは土田慎さん、岸信千世さん、大空幸星さん、私の4人。このメンバーで食事をしながら色々と話したのですが、ここも面白い場になりそうです。このようなさまざまなつながりを生かしながら、政治活動に邁進していきます。
―政治と金の問題以外で、今の政治で変えるべき点はありますか。
私は世襲には反対です。和歌山でも世襲の方が結構いらっしゃって、何もないところから出てきた自分からしたら正直羨ましいなと。世襲の候補者と何の後ろ盾もない候補者が選挙で闘うのは、やはり公平ではないと感じます。
それから、議員の定年制は絶対に必要だと考えています。地方議員も含めて70歳定年制にしたらどうでしょうか。仮に70歳を超えて議員を続ける場合、歳費は半額にするとか。世の中の多くの仕事は定年退職制であるにもかかわらず、議員だけが定年なく続けられるのはどうなんだろうと。個人的には70歳で政治家を辞めようと思っています。
社会の変化のスピードはどんどん上がっています。生成AIをはじめ、新しい技術が次々と出てきている中で、年配の議員に説明をしてもなかなかご理解いただけないことが多いのが現状です。まず「Wi-Fiとは」みたいな初歩的な話からしないといけなかったりして。ベテランの先生方の力はもちろん必要ですけれど、今の社会を捉える力も大切です。世の中の変化や最新のテクノロジーにアンテナを張るのは「平成の会」の役割だと思っています。
物差しは「これが和歌山のためになるのか」
―これから国会議員として取り組んでいきたい政策を教えてください。
地元での活動に最も力を入れていきたいです。国会議員ですから国の政策を決めるのが仕事ではありますが、私はなるべく和歌山県民の皆さんの近いところにいたい。市議会議員出身で市議会の方々との関係性があるので、国会にいても和歌山で今、どんな問題があるのか聞き取れる。自分の強みを生かして、「これが和歌山のためになるのか」という物差しで行動していきたいと思っています。
そもそも私は和歌山が大好きです。でも、このままだと和歌山の人口はどんどん減っていってしまう。そこをなんとかしたいんです。市議会議員の時もその思いで活動をしていましたが、限界を感じたのも事実でした。地方が生き残っていけるかどうかは、最終的には国政によって決まると思ったんです。東京一極集中を解消し、どのように地方に人を呼び込めるか。これは国の課題です。国会議員として、東京と地方の人口比率をバランス良く変えていくことに全力を尽くします。
―最後に、山本議員の理想の国家像を聞かせてください。
大きな目標は、日本を自立した強い国にすることです。やはり国防は大切です。何かあったときに最終的に国を守るために戦ってくれる自衛隊のみなさんが、国民からもっとリスペクトされる存在になってほしい。憲法を改正し、自衛隊を明記するべきだと考えています。
また、自立した強い国とは、軍事力だけがあればいいわけではありません。食料自給率を上げて、外国に頼らずとも食料を供給できるようにすることや、経済力を高めることも重要です。そして、国際社会でもっと強く主張できる国を目指すべきです。
政治家の最大の仕事は、国民の生命と財産を守ること。防災には力を入れなければならないですし、インフラや社会資本の整備にお金を投入することも必要です。地方に道路をつくることは、利便性や防災力向上だけでなく、経済の循環を生むことにもつながります。建設業者など、地方で頑張っている企業にお金が回っていく仕組みをつくるのも、政治の役割です。
私は平成3年生まれの33歳なのですが、この33年間、日本は右肩下がりだったと捉えています。子供の頃からテレビであまり明るいニュースを見た記憶がありません。どこかの企業が破綻したとか、景気が悪いとか、そんなニュースばかりを目にしてきました。この国をもう一度成長させ、希望を感じられる社会にするために全力で仕事をする所存です。