2024年10月27日に第50回衆議院議員選挙が投開票され、99名の新人議員が誕生しました。全政党の中で最多の39人の新人議員が誕生した立憲民主党の中にあって、宗野創議員は「変化を恐れないスマートな福祉国家」を実現しようと日々活動を続けています。今回のインタビューでは、宗野議員が政治家を志したきっかけとなる家族の介護経験や松下政経塾、銀行員時代の学び、これから注力したい政策についてお伺いしました。
(取材日:2024年12月23日)
(文責:株式会社PoliPoli 秋圭史)
宗野創(そうの はじめ)議員
1993年神奈川県横浜市生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業。
三井住友銀行に入行。2020年松下政経塾に入塾。
子ども支援団体での活動も実施。
2024年10月の第50回衆議院議員総選挙で初当選。
横浜ベイスターズの応援が趣味。
祖父母の介護経験から痛感した自己責任論への違和感
ーまず、宗野議員が政治家を志した原点について教えてください。
幼少期から政治の責任の大きさを感じる場面が多かったことが影響していると思います。母が教会の牧師をしていたので、様々な背景を抱える方々と日常的に出会う環境で育ちました。平和学習のために広島や長崎を訪れる機会にも恵まれました。戦争が起きることの重大さについて実際に自分の体を使って学び、政治の責任についても深く考えさせられました。
さらに、今の私自身の考え方にも通じる重要な経験は、家庭で祖父母の介護を行ったことです。もともと共働きの家庭で育つ中で、同居していた祖父母にとても可愛がってもらっていました。しかし私が小学校5年生のとき、祖母がパーキンソン病にかかり、ほどなくして祖父も脳梗塞になりました。どちらも介護ベットで過ごす生活となり、両親は私を育てながら祖父母を介護するダブルケア状態となりました。
そんななか、私一人だけで祖父母を介護する場面もありました。今でいうヤングケアラーですね。当時はつらいとは思わなかったですが、振り返ってみると、最後まで介護をやり切り、家族全員が潰れなかったのは、本当にたまたま運がよかったからだと思います。幸いにも資金面で底をつくことはなく、介護スタッフや病院、地域の方にも支えられました。この経験から、どんな人にも自己責任ではどうしようもないことが起こることを身近に感じ、ともに助け合うような社会を作る必要があると感じたのです。
ー大学での学びも政治への考え方に大きな影響を及ぼしていると聞きました。
偉大な哲学者の古典を通じて政治への考え方を深めていきました。早稲田大学政治経済学部では、斎藤純一先生(現在同学部長)のゼミに所属し、政治思想を専門としました。心に深く残っている本はハンナ・アーレントの『全体主義の起源』とジョン・ロールズの 『正義論』ですね。『全体主義の起源』では、全体主義や戦争は日常の延長線上の中から生まれてくることを知りました。『正義論』では、社会の中でもっとも不利益な人々のためにルールが作られるべきことを学びました。
政治を担う責任ある立場の人間が、支え合いの社会を作るべく制度設計し続けなければ、社会全体は取り返しのつかないところにまで進んでしまう。政治の役割の大きさに一抹の怖さのようなものを感じたことも事実です。
ー大学卒業後、すぐに政治の道には入らず新卒で銀行に入行したのはなぜでしょうか。
ビジネスはそれまでの人生経験からもまったく知らない世界だったので、純粋にすごく興味がありました。NPOや新聞社に行くことも考えたのですが、逆にそのような業界に就職することで、働くことが自己表現になってしまうのかなと。まったく畑違いのビジネスの現場に飛び込むことで、自分自身の考え方や経験に幅が出るだろうと思っての選択でした。
ー銀行勤務の中でも政治への思いは揺らぐことはありませんでしたか。
政治への思いがなくなることはありませんでした。今思えば、銀行での営業の仕事は人と出会うことを楽しく感じる自分の性分にあった仕事だったと思います。経済の中心にいることで社会のダイナミックな動きを感じることができるところにもやりがいを感じていました。
政治の世界に進むきっかけとなったのは、3年目のことでした。ある会社を訪問した際に、出会った経理担当者の方がシングルマザーで、家計が苦しい話とか子育ての悩みをなかなか相談できないということをお伺いしました。私はそれまで自分の経験から社会に対する課題意識を作っていたのですが、身近な周りにも自分と同じような思いや悩みを抱えている人がいるんだなと改めて気付かされたのです。加えて銀行員は中小企業の経営の厳しさもシングルマザーの生活の厳しさも金銭面でリアルに見えてくるんですよね。この状況を社会としてこのままにしておいて本当によいのかなと思い、政治の道へ進む決断をしました。そのお話を聞いた翌日には松下政経塾への申し込みをしていたと記憶しています。
ともに支え合う社会を作りたい
ー今後、宗野議員が注力したい政策を教えてください
私は、ともに支え合う社会を作っていく必要があると思っています。日本の社会保障制度において、年金と医療介護は世界に誇るべき給付水準にあるのですが、福祉の給付水準は実はそれほど高くありません。定年退職後のセーフティネットは充実している一方で、現役世代のセーフティネットは手厚いかと言われるとそれほどでもないのです。
なかでも、若年層向けの家賃補助制度はこれから注力していきたい政策です。特に首都圏に生活している方々は高い家賃が家計を非常に圧迫しています。手取りを増やそうとするとき、お給料の額を増やすことも必要ですが、同時に生活必需品をいかに手軽に手に入れることができるのかも大切なポイントだと思います。
ー日本は外国と比べて公営住宅が少ないと聞いたことがあります。
そうですね。現物支給と住宅手当の二つが住宅政策の柱ですが、日本は2004年にUR(都市再生機構)が誕生したことによって民営化され、どちらも手薄な状況にあります。住宅に関連する支援は一見、制度も複雑でややこしいのですが、若者世代の支援という意味で重要な領域だと思っています。
ー議員になる以前はNPOでも活動され、さまざまな知見をお持ちです。NPOにまつわる政策動向をどのように見ていますか?
社会保障に関心があり、私は主に福祉領域のNPOに関わっていたのですが、今、NPOの規模によって差が出てきていることに注目しています。大きく資金調達に成功する一方、最初の3年間の運営に非常に苦労しているNPOがたくさんあり、二極化が進んでいる印象です。
補助金はNPOの活動原資の一つですが、事業規模の大きなNPOが補助金を獲得するために人も時間も使える状況では格差がますます大きくなってしまいます。民間の基金や財団が積極的にNPO支援に乗り出していることはよい流れだとは思うのですが、NPO自体が資金の拠出先に向けた事業を行ってしまっては本末転倒ですよね。最初の3年までは公的な支援を入れるように動いてもよいのではないでしょうか。
ー新人議員が多く誕生した立憲民主党の雰囲気をどう感じていますか?
党内の雰囲気はすごく真面目で、一つ一つの政策をすごく吟味して出していると思います。ただその真面目さが発信力が低い原因になっているような気もしますが…笑
私個人としては、臨時国会の初日に同期会が設立されるなど、少しづつ党内のコミュニケーションも取れ始めたように感じます。同期の中にはすでにプロフェッショナルな経験を積んで政界に入ってきた人たちもたくさんおり、刺激を受けています。
また、党としては、自民党に取って代わる政権政党・責任政党を作らねばなりません。立憲民主党にはこの国を背負うだけの力量と可能性があるメンバーが集っており、私自身も周りから成長しなければと思っています。立憲民主党のメンバーは、一人一人が自分の考えを持って議論に臨む人が本当に多い。個性豊かなメンバーが集った組織がいかに結果を出していくのか。同質性が高いとされる日本の組織文化の中にあって大きなチャレンジだと思っています。
変化し続ける社会に適応した「スマートな福祉国家」を目指して
ー最後に宗野議員が目指す社会のビジョン・あり方を教えてください。
変化を恐れない優しい国、スマートな福祉国家を目指していくべきだと思っています。例えば社会保障制度の基礎は1960年代にできたものですが、今とは人口構成もまったく異なります。これからの日本は人口減少が進んでいくことは間違いがなく、社会のさまざまな場面でこれまでのやり方が通用しなくなる時代に入ります。
ただここでの「スマート」にはデジタル化を急進的に進めるということを必ずしも意味しません。むしろアナログの意味や意義を理解し、共有しながら社会保障のあり方をアップデートすることが求められていると感じています。
その中で、私が強く懸念しているのは、社会の分断です。社会が貧しくなると、人々は敵を作りたがります。今、シルバーデモクラシーであるとか、世代間の分断を煽る声が上がっていますが、私自身はむしろ世代を越えてもっとつながっていくことが重要だと考えています。世代間の対立を強調すればするほど分断が進み、社会がますます荒んでいくことになる。私は、より多くの人が意思決定に参加し、つながりあう、ともに支え合う優しい社会を作らなければ、人口減少社会には対応できないと思っています。
現実の社会はどんどん変化しています。社会の急激な変化にも対応し続けられるような政治を作りあげなければなりません。それこそが変化を恐れない優しい国=スマートな福祉国家だと考えています。