圧倒的多数を占める「農業出身」の衆議院議員
第1回衆議院議員選挙(1890年)から第13回衆議院議員選挙(1917年)までの、議員の前職を振り返ってみましょう。
初めての衆議院議員選挙となった第1回選挙に当選した議員の前職は、「農業」が圧倒的多数を占めており、全体の43%にも及びます。
当時の論客はこの事態を憂慮し、「昨今の議員は農家上がりが多いため、『百姓議員』と呼ばれている」と評し、「政治・経済に関する専門的な学問を修めていない者が国政を担えるのか」と批判しています。
当時、農業を前職とした議員が多かったのは、小作農を多数抱えて大きな土地を支配し、多くの票を動員しやすい環境にあったからではないかと考えられます。
続いて多いのは企業経営者と弁護士です。
しかし、多いと言ってもそれぞれ26人と20人。全体の約8%を占める程度です。いかに農業を前職とした議員が多かったかが分かります。
「無職業」とされる当選議員も74名(24.7%)存在します。
無職業とはいえ、現在のいわゆるニートとは異なり、大きな資産を持っており、本人が職を持たなくても十分に食べられる上、周囲からの尊敬も大いに集めていた立場にあった人ではないかと想像されます。
農業を前職した議員はその後も増加し、第4回衆議院議員選挙(1894年)では155人、51.7%にまで達します。
19世紀末期の国政を担っていたのは、農家出身の議員だったと言っても良いかもしれません。
この様相に、若干の変化が起こるのが1902年に行われた第7回衆議院議員選挙です。第5回選挙を除いて常に4割以上を占めていた農業を前職にした議員の割合が32.0%まで落ち込み、以降は減少の一途をたどります。
変わって増加していくのが弁護士です。
それまで6〜9%程度だった割合が、13〜16%へと急増していきます。
当時、選挙に慣れていない有権者に向けて、どのような資質を持った候補者に投票するべきかを説いた啓蒙書がいくつか発行されています。
その中には「法律や経済について学んだ候補者に投票するべきだ」「法律を作る立場の人間が、法律を知らないのでは話にならない」といった内容を伝えているものがあります(例「国会議員撰定鏡」大野清太郎著)。
議会とはなにか、議員とはなにかといった知識が広がっていくにつれ、専門知識を持った候補者に投票しようという流れが広まっていったことが理由の一つかもしれません。
1912年に行われた第11回衆議院議員選挙以降は、会社員の割合も激増していきます。
それまで会社員は2〜5%の割合だったものが、第11回では14.9%に急増。以降、同割合を占めていくことになります。
日清戦争、日露戦争を乗り越え、韓国も併合し、経済が活発化していく中で、企業活動も活性化。実業家が増えていった結果、会社員出身の議員も増えていったということかもしれません。
1933年(昭和8)年に発行された「政治家を志す人のために」(野中徹也著)には、1932年に行われた第18回衆議院議員選挙の当選議員の前職分析が掲載されています。
こちらを見てみると、明治時代に全盛を誇った農家出身の議員の割合は12.5%と約1/4に。一方で、会社員出身の議員が18.1%と大きく増加しています。これに経営者出身議員を合わせると26.9%に達し、当時、議員の4人に1人がなんらかの企業活動経験者ということになります。
弁護士出身の議員の割合も着実に増え、16.8%に達しています。
また、国家公務員の割合も突如増加しています。
明治〜大正時代には0〜2%で推移していた割合が、昭和7年の選挙では
15.9%に至っています。
これらを受けて、「政治家を志す人のために」の著者である野中徹也は、「『政治家』になりやすい職業といえば、まず第1が実業家であり、次が弁護士、それから官公吏、農業ということになる」と述べています。
翻って、現在の議員の前職を見てみると、圧倒的多数なのが、地方議員経験者。2020年5月現在の衆議院議員のうち、31.7%が該当します。
その後を、政治家秘書の18.1%、国家公務員の11.4%が続きます。
かつては社会や経済といった現場を知る人間が議員となり、国政を担っていましたが、現在では「政治を知る」人間が、国会議員となって政治を執り行っていると言っても良いかもしれません。
このパラダイムシフトがどのタイミングで起こったのか、また稿を改めてお届けします。
※参考資料:「衆議院三十年誌」衆議院事務局(大正8年刊行)/「政治家を志す人のために」野中徹也著(昭和8年刊行)