148年ぶりに復活した福島県伊佐須美神社の「疫神斎」
福島県会津美里町の伊佐須美神社では、202年5月15日、疫病を鎮める「疫神斎(えきじんさい)」が148年ぶりに復活しました。
かつて疫神斎は毎年行われていましたが、1872年(明治5年)を最後に途絶えていました。
この疫神斎は、流行病などの不幸をもたらす神を鎮める神事。神社に残された文献を元に、急きょ復活させたとのことです。
午前10時から始まった神事は、本殿祭で伊佐須美大神に守護を祈り、続いて楼門において庭上祭が行われました。
■疫神斎の様子(※伊佐須美神社公式Instagramより)
■伊佐須美神社。地元の人々から「伊佐須美様」と親しまれており、農林、水産、漁業、商工、土木、建築、交通運輸のあらゆる殖産興業の守護神として名高く信仰を集めている(※伊佐須美神社公式HPより)
■2020年5月、伊佐須美神社は医療従事者への感謝、収束への祈りを込めて施設をライトアップした。(※伊佐須美神社公式Instagramより)
コレラ大流行以来に復活した「あばれ祭」
石川県の能登町字宇出津にある八坂神社では、2020年7月5日、「あばれ祭」の神事が執り行われました。疫病退散の鎮疫祭が行われたのは160年ぶりのことです。
もともと「あばれ祭」は、約350年前に流行病が蔓延した際、京都から招いた「牛頭天王(ごずてんのう)」が宇出津を救ったことを祝って、キリコ(巨大な切子灯籠。高さ数メートル以上)を担いで始まったのが起源とされています。
最後に行われたのは、コレラが日本国内で大流行した1860年。
感染拡大を防止するため、キリコや神輿の巡行は中止されましたが、地元住民180人がお祓いを受けたとのことです。
■キリコの例
■八坂神社。鎌倉時代にはすでに存在が認められる。祭神は須佐之男命、奇稲田姫命
応仁の乱以来に復活した「北野御霊会」
2020年9月4日、京都府京都市の北野天満宮で約550年ぶりに「北野御霊会(ごりょうえ)」が復活しました。
北野御霊会は、平安時代に始まった「北野祭」の一環として、延暦寺の僧侶を迎えて催されていたものですが、応仁の乱以降は国内の混乱が原因で行われませんでした。
また、北野天満宮で神仏習合による祭典が行われたのも、1868(明治元年)年の神仏分離以来152年ぶりのこと。
当日は、神職と僧侶が並んで新型コロナウイルスの収束や国の安寧をともに祈願しています。
■北野御霊会の様子(※北野天満宮公式Twitterより)
■北野天満宮(※北野天満宮公式Twitterより)
明治以来途絶えていた密教の儀式「温座」
2020年9月29〜30日、岡山県の金山寺では、江戸時代末期以来途絶えていた伝統儀式「温座」が約150年ぶりに執り行われました。
温座は1回約1時間の祈祷を7日間で168回行う天台密教の儀式。昼夜を問わず僧侶が交代を繰り返しながら祈祷を続けるために、「座が冷めない」ところから「温座」と呼ばれています。
金山寺が開かれた奈良時代以降、連綿と行われていましたが、明治維新後に資金不足が原因で途絶。以来、行われていなかった儀式を、新型コロナウイルスの収束を祈って復活させています。
■1575年頃、戦国大名の宇喜多直家の寄進によって建てられた本堂。残念ながら2012年に焼失
■温座の告知チラシ
100年ぶりに疾病収束を祈って舞われた「踊り」
鹿児島県薩摩川内市入来町で2020年3月28日、県の無形民俗文化財である「入来疱瘡踊(ほうそうおどり)」が奉納されました。
入来疱瘡踊は、約200年前に天然痘が流行した際、収束と人々の無病息災を祈って踊ったのが始まりと伝わっています。
「めでたい、めでたい」などの掛け声を発しながら踊るのが特徴で、考え方も「疾病を引き起こす疫病神を追い払う」ことが目的なのではなく、「歓待して喜ばせ、満足して去っていただく」ために踊るという点も珍しい点です。
当日は、入来町の公民館に集まった地元の女性9人が、三味線と太鼓の音にあわせて踊りを披露しています。
流行病の収束を祈って踊りが奉納されるのは約100年ぶりのことでした。
■近年、病の流行収束祈願以外で踊った際の様子(※鹿児島県公式HPより)