ガセネタを仕込んで釣り上げる
かつて、選挙事務所には、ライバル陣営からのスパイが潜り込むことも珍しくなかったようです。
アルバイトの学生、後援者、ボランティアなど、さまざまな姿に身をやつして事務所内に入りこんだスパイは、派遣元の政治家に逐一、情報を流して選挙戦を有利に進めようとしています。
スパイに対しては情報の管理をしっかりと行っておかないと、自陣営の票固めがどれくらい進んでいるのか、どんな有力者が応援に駆けつけてくるのか、どの組織を抑えているのかなどが筒抜けになってしまい、対策を取られてしまいます。
海千山千の選挙戦を勝ち抜いてきた事務所では、秘書もそのあたりのことは重々承知。スパイの一人や二人はいつの間にか紛れ込んでいるものと先を見越して選挙戦を戦っていたようです。
スパイを見つけるための手段も進化を遂げ、典型的な手法というものも編み出されていきました。
「どうやら、こちらの情報がライバル陣営に漏れている気がする」
そうなった場合、もっとも信用のおけるスタッフに、「明日は○○事務所に張り付いていてくれ。うちの事務所の誰かが訪れたら、すぐに連絡するように」と指示を出します。
次に、事務所内の全体ミーティングを開催。
事務所の全スタッフを集めて、「嘘情報」を流します。
「厳しい選挙戦、みんな頑張ってくれてありがとう。明日の街頭演説には、人気タレントの『松本人志さん(※人気者なら誰でも可)』が街頭演説に来てくれます。皆さん、決して失礼のないように対応してください」
など、全国で名の知れた、誰もが知る有名芸能人の名前を出します。
スパイは慌てます。
ライバル候補にとって、もしこれが本当だとすると大変な脅威。そこで、もうひとつ年を押しておきます。
「この情報がライバル陣営に漏れたら大変なことになります。この件については極秘で、誰にも話さないでください。絶対に、外部の人に話してはいけませんよ。では、よろしくお願いします」
当然、潜り込んだスパイは派遣元の事務所に報告に上がるわけですが、こういった場合には盗聴の恐れがある電話ではなく、事務所まで直接報告に向かっていたようです。
すると、先にライバル事務所前で張り込みをしておくように命じていたスタッフから連絡が来る。
「○○がライバル陣営の事務所に来ました!」
これで、誰がスパイだったのかが分かるという寸法です。
事務所の情報をライバル陣営に流しているスパイが誰なのかがわかりました。
そのスパイはどうするのでしょうか。
さっさとクビにする。怒りに任せて問い詰める。これは「素人のやること」とされています。
手練手管の事務所では、このスパイを活用してこちらに有利に働くよう「二重スパイ」として相手陣営に送り込んで撹乱させる、という映画さながらの情報線が繰り広げられたこともあったようです。
味方に見える人も要注意
企業から持ち込まれる「選挙人名簿」にも怪しいものが紛れ込んでいることがあります。
名簿が手に入ればそれを元に電話を掛ける、はがきを出すなどして票固めを行うことができます。事務所としては喉から手が出るほど欲しい、重要アイテムです。
それを知って、選挙の時期になると個人から企業まで、さまざまな人たちが「先生の支持者を集めた名簿を持っていきます」と売り込みをかけてくるということがあったようです。
政治家に恩を売っておき、当選したら口ききをお願いしようというハラです。
ですが、この名簿を自陣営だけではなく、ライバル陣営にも配って歩く企業がある。それでは意味がありません。
持ち込まれた名簿が本当にこちらの陣営を支持しているものなのか、チェックが必要です。
名簿が持ち込まれたら、持ち込んだ人がいるその場で秘書に指示を出します。
「大事な名簿をいただいたから、このリストからすぐに電話をかけてみて欲しい。ただし、こちらの名前ではなく、ライバルの◎◎事務所ですと名乗るように」
対立候補の名前で掛けると対応が悪く、後にこちらの名前で掛け直したら受けが良い。そのような名簿なら「使える名簿」ということでしょう。
さらにひと押し。
「ちょっとおかしい名簿ということでしたら、あなたも一緒に付いてきてもらって、この名簿の人たちのところを巡っていかないといけませんなあ」
この言葉を受けて、コーヒーカップを持つ手がぷるぷると震えだしたらダウト。その名簿は支持者リストでもなんでもない、ただの「電話番号リスト」です。
「先生、2〜3件電話をかけてみましたが、反応が芳しくありません」
「おかしいな、このリストはうちの支持者の皆さんなんですよね? これからちょっとご挨拶に行きましょう。ご同行してくれますよね?」
じわじわと真綿で首を絞めつける。
すると、「今日は忙しいのでこれで失礼します」と、冷や汗をかきながら帰っていったそうです。
選挙事務所には自薦他薦を問わずにさまざまな人たちがやってくる。
次の衆議院議員総選挙でも、全国の選挙事務所でさまざまな人間ドラマが巻き起こるかもしれません。
参考資料:「代議士秘書 永田町、笑っちゃうけどホントの話」飯島勲著/講談社文庫刊