県民所得とは?
県民所得とは、県民経済計算の「生産・分配・支出」の三面のうち,分配面で計算したものです。
給料や退職金などにあたる雇用者報酬、利子や賃貸料などの財産所得、会社や自営業の営業利益にあたる企業所得からなり、県民個人の所得(給与)だけではなく企業の利潤なども含んだ「県民経済全体の所得」を表しています。
内閣府で公開している「県民経済計算」において、もっとも古い統計は昭和30年度(1955年)のものです。
昭和30年度、全都道府県の県民所得を合計した額は、約7兆3000億円でした。
それから62年後の平成29年度(2017年)では418兆6200億円と、その額は57.3倍に達しています。
経済が東京一極集中していく様子が数字に
昭和30年度は、日本建国以来最大のダメージを被った第二次世界大戦からわずか10年。日本は着々と復興しつつありました。
当時の「県民所得」上位10都道府県を見てみると、日本を構成する経済都市の面々は現在とほぼ変わらないことがわかります。
1位は東京都。以後、60年以降にわたってトップをひた走ります。以後、大阪府、北海道、兵庫県、愛知県と続き、当時は関西圏の経済が強かったことがわかります。
平成29年度に目を向けてみると、東京都がアジアでも有数の大経済都市へと成長したことを受けて、周囲の神奈川県、埼玉県、千葉県がベッドタウンとして急成長。それぞれ大きく順位を上げています。
その一方で、新潟県や広島県といった地方都市がトップ10から外れています。
徐々に落ちていく大阪府の動向
昭和30年度から10年区切りで県民所得トップ10の順位推移を見てみると、戦後の日本経済がいかに東京都に一極集中してきたのかがわかります。
ランキングのトップは当然のことながら東京都が1位を常にキープ。
注目したいのは大阪府の動向です。
昭和30年度以降、常に東京都に続く2位を維持し、「東の東京、西の大阪」として、日本の経済を長く支えてきました。
様子が変わるのは平成17年度です。県民所得2位の座を神奈川県に奪われ、3位に後退してしまいます。続く平成27年度にいたっては、愛知県にも抜かれてしまい4位となっています(平成29年度には3位に復帰)。
平成以降、東京都への経済一極集中がさらに強まり、大阪府を中心とした関西経済圏がその影響を被っているということなのでしょうか。
インターネット回線の改善、パソコンやスマートフォンを中心としたIT技術の発展に伴ってテレワークやリモートワークは以前より格段にしやすくなったにもかかわらず、数字上ではますます東京都への依存が高まっているようにも見えます。
戦後、圧倒的な成長を見せた関東勢
昭和30年度と平成29年度を比較して、どれだけ県民所得は増加したのか、もっとも大きく数字を延ばした都道府県トップ10を見てみましょう。
上位は、埼玉県、千葉県、神奈川県と、関東経済圏の中核をなす3県が占めています。それぞれ、100倍以上の伸びを見せており、いかに東京都を中心とした経済圏が戦後から平成時代にかけて成長してきたかがわかります。
4位は沖縄県。沖縄県は昭和20年(1945年)の終戦以降、昭和47年(1972年)までアメリカの占領下にありました。昭和30年度の数値はこの占領時代のもの。日本返還後は、国内有数の一大リゾート地として国内外から多くの観光客を集めています。
そのほか、茨城県、栃木県の関東勢、トヨタを中心とした大経済エリアを持つ愛知県などがランクインしています。
狂乱の1973年
この県民所得が、戦後の日本においてもっとも成長したのは「いつ」「どこで」だったのか。対前年比の増加率トップ10を見てみましょう。
トップ10のうち、2位を除くすべてが「昭和48年(1973年)」で占められました。この年、日本全国平均で29.0%県民所得が増加しています。
ではこの年にはなにがあったのか。
時の総理大臣は田中角栄。彼が唱えた「日本列島改造論」は一大流行語となり、日本国内に一大不動産ブームが吹き荒れます。
土地の買い占めが行われたことで地価が急激に上昇。その影響を受けて物価も急上昇。さらには昭和48年10月、中東の産油国が原油価格を突然「70%引き上げる」と宣言。これを受けて、後に「狂乱物価」といわれる激しいインフレまで発生します(第1次オイルショック)。
活発な経済活動が展開される中、当時の経済企画庁が発表した「年次経済報告」において「予想をこえる経済拡大と物価上昇」と記載されるほどの経済成長が見られたのがこの年でした。
年度別の県民所得増加率トップ10を見てみても、日本列島改造論に湧いた昭和47年度〜48年度が1位、2位を占めました。
他の年を見てみても、そのほとんどが昭和40年代。この時期に日本が大きく経済成長していったことがわかります。