暗殺、病死、スキャンダルなど理由はさまざま
初めて在職中に死去したアメリカ大統領は、第9代大統領のウィリアム・ハリソン(任期:1841年3月4日〜1841年4月4日)です。
彼は1841年3月4日に大統領就任宣誓を行いますが、この日は強く冷たい強風が吹き付けており、そのなかで2時間以上に及ぶ演説を続けたことから風邪を引き、のちに肺炎を引き起こし死亡したとされてきましたが、近年の研究で新たな説が唱えられています。
その説によれば、ホワイトハウス内で使われていた井戸水経由で腸チフスに感染したとされています。いずれにしろ、現在ではその真実は謎に閉ざされたままです。
第12代大統領のザカリー・テイラー(任期:1849年3月4日〜1850年7月9日)は、在職中に奴隷を所有した最後の大統領として知られています。
彼は1850年7月4日のワシントン・モニュメントでの式典参加後に体調を崩し急逝します。その突然の死には不可解な点が多く、長く暗殺が疑われていましたが、1991年の学術調査の結果、コレラが原因との説が有力となり、暗殺の可能性は否定されました。
アメリカ大統領の歴史の中で、初めて暗殺されたのが、第16代大統領のエイブラハム・リンカーン(任期:1861年3月4日〜1865年4月15日)です。
南北戦争の最末期である1865年4月14日午後10時頃、リンカーンは劇場で妻メアリーらと観劇中、ジョン・ウィルクス・ブースに銃撃されます。リンカーンは翌午前7時22分に息を引き取りました。
銃撃したブースはリンカーンら合衆国政府の要人を暗殺することで政府の転覆を図ろうとしたとの説が有力です。
第20代大統領のジェームズ・ガーフィールド(任期:1881年3月4日〜1881年9月19日)は、「大統領を殺すよう神が自分に指示している」との妄想に取り憑かれた暗殺犯、チャールズ・J・ギトーによる凶弾に倒れます。7月2日に撃たれた後も約2ヵ月に渡って命を永らえますが、9月19日に亡くなっています。
19世紀最後かつ20世紀最初の大統領として知られる第25代大統領のウィリアム・マッキンリー(任期:1897年3月4日〜1901年9月14日)も暗殺されています。
マッキンリー大統領はその日、パン・アメリカン博覧会に出席。その場で無政府主義者のレオン・チョルゴッシュに銃撃されます。マッキンリーは当初、回復しつつあるように見えましたが、銃撃から6日後に容態が急変、9月14日に亡くなりました。
第29代大統領のウォレン・ハーディング(任期:1921年3月4日〜1923年8月2日)は、1923年6月に全国遊説へと出発しますが遊説先で食中毒に罹り、8月2日午後7時35分に痙攣を起こし亡くなります。同日に発行されたニューヨーク・タイムズ紙には「死因は脳梗塞」と報じられています。
第二次世界大戦時のアメリカを率い、戦争の終結とその勝利を目前に倒れたのが第32代大統領のフランクリン・ルーズベルト(任期:1933年3月4日〜1945年4月12日)です。アメリカ政治史上で唯一4選された大統領としても知られるルーズベルトは、1945年4月12日の昼食前に脳卒中を発症し昏倒。そのまま息を引き取りました。死因は高血圧性脳出血とされています。死亡日の血圧は300/190mmHgあったと言われています。
歴代アメリカ大統領の中で、もっとも広く知られる「非業の死」は、第35代大統領ジョン・F・ケネディ(任期:1961年1月20日〜1963年11月22日)の暗殺事件でしょう。
ケネディは、1963年11月22日の現地時間12時30分、ダラス市内をパレード中に銃撃され、死亡しました。
銃撃犯と目され逮捕されたリー・ハーヴェイ・オズワルドですが、彼もまた2日後にダラス警察署でジャック・ルビーに銃撃されて死亡し、事件の真相は闇に閉ざされたままとなりました。
任期中の死亡による大統領辞任ではなく、スキャンダルによって大統領の座を追われた唯一の大統領が、第37代大統領のリチャード・ニクソン(任期:1969年1月20日〜1974年8月9日)です。
ベトナム戦争からアメリカ軍を完全撤退させたり、ソビエト連邦とのデタント(緊張緩和)を実現したり、中華人民共和国への訪問を実現したりと、積極的な外交でリーダーシップを発揮しましたが、1972年にウォーターゲート事件を起こし、再選後の1974年に大統領辞任に追い込まれています。