有権者は300万人から1200万人へ激増
1928年(昭和3年)2月20日、田中義一内閣のもと、第16回衆議院議員選挙が行われました。昭和改元後初めてとなったこの総選挙は、1925年(大正15年)に公布された普通選挙法に基づいて行われた初めての総選挙となりました。普通選挙法によって、それまで直接国税3円以上を納税する成人男性に限定されていた参政権が25歳以上の成人男子に拡大され、有権者は約300万人から1200万人へと約4倍増となっています。
新たに選挙権を得た900万人にとっては初めての選挙。しかも、当時は賄賂や汚職がはびこっており、知らぬ間に選挙違反を犯してしまう投票者が出てしまう懸念がありました。
選挙とはなにかを啓蒙する、選挙違反を防止する、この2点を目的として、内務省を中心とした政府や各府県庁は、清潔公正な選挙を執り行うための啓蒙活動を積極的に展開します。
そのひとつが「選挙の心得」と題された記事の制作・配布でした。
現代にも通じる選挙に臨む心構え
同記事内には、前半では普通選挙とはなにか、なぜ投票しなければならないのか等の心構えが記され、後半には誤って選挙違反を犯さないよう、「候補者、運動者、其の他一般に誰でも注意せねばならぬ事柄」と題された注意事項がまとめられています。
まずはじめに書かれているのは「選挙について〜選挙とは如何なるものか」。
ここでは、「選挙は国政に参与すべき代表者を選定する国家の重要な国事」と普通選挙が定義され、「故に選挙の為に投票を行うことは、立憲国に於ける国民の重要な責務である」と説明すると同時に、「選挙権は憲法治下に於ける国民の享有し得る特権」と説明されています。
この定義、説明は現代にも通じる優れた一文ではないでしょうか。
続けて、普通選挙が行われない専制国家を例に説明がなされます。
「専制政治の国に於いては、憲法もなければ、議会もなく、又選挙もできないのであります。従って、此制度に於ける人民は全く国政に参与するの途がないのでありまして、國の政治は一に主権者の意思のみに依って行われ、民意は全く国政の上には表れない」と説かれます。
「特に今回の選挙に就て」では、1927年(昭和2年)に行われた、府県議会議員選挙について触れられています。
こちらの選挙、翌年に迫った普通選挙の前哨戦と位置づけられ注目されますが、全国平均の投票率は約75%と、政府が想定していた投票率を大きく下回るものだったようです。そのことが政界内外に衝撃を与え、国民に選挙の意義を広く知らしめる必要があると決意させた一因とされています。
「選挙の心得」内ではこのように書かれています。
「右の選挙に於ける棄権率は、選挙人総数の二割六分五厘に当たる」「我国既往に於ける選挙の棄権率は一割乃至二割であったのに比べて良好の成績であったとは申されませぬ」。
これらの広報活動が功を奏したのか、第16回衆議院議員選挙では、有権者が900万人も増えたにもかかわらず、80.33%という高い結果となりました。
投票の方法や違反行為についても説明
どうやって投票すればよいのかについても、事細かに説明されています。
(一)選挙権があって且選挙人名簿に登録せられた者でなければ投票することが出来ませぬ。たとえ選挙人名簿に登録せられて居ても、実際上選挙権がなくなった人は投票してはなりませぬ。
(二)投票所へは選挙の当日投票時間内、即ち午前七時から午後六時迄の間に往かねばなりませぬ。
(三)投票所へは自分が行かねばなりませぬ。
(四)投票する前に先づ選挙人名簿と対照して貰わねばなりませぬ。
(五)投票は投票所から貰った投票用紙に自分で議員候補者一人の氏名を書いて投票函に入れるのであります。議員候補者の氏名は漢字でも仮名でもどちらで書いても差支ありませぬ。
(六)投票用紙に議員候補者でない者の氏名を書いたり、二人以上の議員候補者の氏名を書いたり、又は自分の氏名や其の他のこと例えば候補者氏名の下に「へ」「に」の類の文字を書いたりすると、其の投票は無効になります。
選挙違反について説明する、国民に理解を広めていくことも重要な課題のひとつでした。「選挙の心得」内でも、丁寧に説明されています。
- 候補者又は運動者以外の者は演説や推薦状に依るの外選挙運動をしてはならぬこと
- 候補者又は運動者以外の者は演説や推薦状に依るものの外選挙運動の費用を支出してはならぬこと
- 選挙事務長以外の者は選挙委員や選挙事務員を専任してはならぬこと
- 選挙事務長以外の者は選挙事務所を設けてはならぬこと
- 休憩所や、休憩所に似たものを設けてはならぬこと
- 戸別訪問をしてはならぬこと
- 電話で選挙活動をしてはならぬこと
紙面の中で、これら違反行為の文言のみ、傍点が打たれて強調されています。
一つひとつの項目はさらに細かく説明され、それぞれに「もしこれに違反すると犯罪になります」との文言が見られます。
現在、国民の誰もが「当たり前」と感じているかもしれない参政権。先人たちの努力の末に得られた権利であることがよく分かります。
2019年に行われた参議院議員選挙の投票率は48.80%。75%の投票率でさえ「低い」とうなだれていた先人たちは、どう思うのか気になるところです。