政治ドットコムトピックス日本憲政初の国会議員同士の「結婚」

日本憲政初の国会議員同士の「結婚」

投稿日2020.5.22
最終更新日2020.05.22

女性の国会議員が増えた昨今では、国会議員同士の結婚も珍しくありません。その先駆けとなったのは、後に官房長官や外務大臣などの要職を歴任した園田直(そのだ・すなお/1913〜1984年)氏と、松谷天光光(まつたに・てんこうこう/1919〜2015年)夫妻でした。

日本初の女性国会議員・松谷天光光

松谷天光光氏は、日本で初めて女性に被選挙権が認められて行われた、1946年の第22回衆議院議員総選挙に、自ら中心となって結成した「餓死防衛同盟」の委員長として出馬して初当選を果たした、日本初の女性国会議員のひとりです。
政治に興味を持ったのは戦後から。
戦争で生き残ったことに対する罪悪感のような思いを抱き続けていた松谷氏は、1945年10月1日の朝、ラジオから流れた「上野公園で餓死者が累々と横たわっている」との復員軍人による投書を聞き、父親とともに上野へと赴きます。
そこで目にしたのは、飢餓に苦しむ路上の人々でした。
胸を痛めた松谷氏は、その帰宅途中に新宿で電車を降り、先ほど目にした惨状を街頭で熱く訴えました。
活動は継続的に行われ、彼女の言葉に共鳴した人々とともに「餓死防衛同盟」を結成。食料の調達ルートの開拓や、官庁・議会への陳情・デモを行っています。
一方、1947年に松谷氏よりも1期遅れて国会議員となったのは園田直氏。以後、1984年に亡くなるまで、旧熊本二区で連続15回の当選を果たしています。

一大スキャンダルとなった不倫騒動

2人の交際が発覚したのは1949年のこと。当時、園田氏36歳、松谷氏は30歳でした。
松谷氏の自伝「女は胆力」(平凡社新書刊・園田天光光名義)では、当時の園田氏の印象をこのように綴っています。
「若手代議士の会で一緒になり、(中略)園田の印象は『一風変わった、話のおもしろい人』というものでした」

しかしこのとき、すでに園田氏は結婚し、子どももいました。
さらに、園田氏は保守系の民主党所属、一方松谷氏は無所属、社会党、労働者農民党と、一貫して革新系。不倫批判と保守・革新の壁。松谷氏は悩みに悩みます。
前出の自著ではこのように当時の心境を振り返っています。

「園田は、自分は離婚するから、家を出て、自分のところに嫁に来いと、盛んにせっつきます。わたくしも、実は迷いに迷いました。父や周囲の猛反対を押してまで園田と結婚してもいいものかどうか。わたくしの政治家としての生命も、終わってしまうかもしれない。それでいいのか。だけど、園田とは、腹の底からわかり合える、深く通じ合える、何かを感じていました」(「女は胆力」平凡社新書刊)

やがて二人の仲をマスコミが嗅ぎつけます。
「白亜の恋」と騒ぎ立てるマスコミに対して、松谷氏は「虚偽報道」と真っ向から否定。結婚を否定する証明書なるものまで出し、スキャンダルの火消しに躍起になります。
しかし、そんななか松谷氏の妊娠が発覚。ついに言い逃れができなくなった園田氏は、マスコミからの追求に対して「厳粛なる事実」と、交際を認めることになります。
結局、二人は1949年12月10日、電撃的に結婚式を挙げ、同じ年に松谷氏は出産します。
現職国会議員の結婚は憲政史上初、現職国会議員の妊娠・出産も初めての出来事でした。
また、議員同士が不倫を超えてゴールインしたことは国民の関心を集め、園田氏が発した「厳粛なる事実」は一大流行語となりました。

物語がここで終われば、めでたしめでたしのハッピーエンドだったのかもしれません。しかし、現実はそうはいきませんでした。
二人は市川房枝氏・平林たい子氏ら、当時の革新的な女性たちからも「無節操」と激しい批判にさらされます。
一方、追い出された形となった園田氏の前妻は、舅の看病に務めながら復縁できる日を待ち続け、世間の同情を集めていました。
自由に恋愛を享受する女性と、前夫の帰りを待ち続ける前妻という構図も、松谷氏を苦しませました。
さらに、平林氏が「小説新潮」で松谷氏をモデルにした小説「栄誉夫人」を発表。騒動はさらに加熱します。

これらのスキャンダルが影響したのか、1952年の第25回衆議院議員総選挙に、松谷氏は改進党から立候補するも落選。以後、たびたび国政復帰を狙って選挙区に挑みますが、ことごとく落選。それからは、旧熊本2区で当選を重ねる夫・園田氏のサポートに専念するようになります。

さらに1984年に園田氏が亡くなると、後継者が決められていなかったために地元・熊本は大騒ぎ。園田氏の後援会は、息子の園田博之氏を担ぐ一派と、妻であり、かつて国会議員だった松谷氏を支持する一派に分裂し、骨肉の争いを繰り広げることになります。
博之氏も松谷氏も、自民党の公認を求めたが認められず、ともに旧熊本二区から無所属で立候補しますが、トップ当選したのは博之氏。
松谷氏の34年ぶりの国政復帰はかないませんでした。