伊藤博文が現場に駆けつけ陣頭指揮
明治24年1月20日、当日の議事を終えると、各議員、職員ともに帰宅し、国会議事堂に残るのは守衛のみとなりました。
午前0時40分ころ、衆議院守衛部に詰めていた守衛の佐藤澤氏が、衆議院内を巡視中、院内から異臭が発生していることに気が付きます。
なにか様子がおかしいとは思ったものの、最初の頃は気にもとめずに巡視を続けていましたが、資格審議委員室の前に到着すると、異臭はますます強くなり、これはただごとではないと感じ始めます。
あたりを見回し、天井を見上げたところ、廊下天井の隅に設置されていた配電盤から、電灯の電線を伝って、まるで蛍火のような青い火が音もなくチラチラと上下しているのを発見しました。
ともかく火を消さなければと、ポンプを持って放水しようとしていると、駆けつけた誰かが、「この発火の原因はなんだ、2階から伝わってきたのではないか。2階が心配だ」と言い出します。一行は、急ぎ階段を駆け上がり、まずは政府委員室の扉を開けようと試みますが、委員退出のあとは固く施錠されているために入ることができません。
どうしようかと当惑していると、扉の隙間から異臭と白い煙がどんどん吹き出してきました。
もう一刻の猶予もないと、扉を壊して中へと入ると、1階よりもさらに充満した煙とともに、部屋の天井隅に設置されていた、先ほど階下で見た蛍火のような青い火がここでもチラチラとしています。
そうこうしているうちに、守衛が用意したポンプの準備も整い、「それ消せそれ消せ」と、一心に青い蛍火の消火に取り掛かります。
すると一見、火は消えたように見えたのですが、もともと漏電から電線を伝って火が回っているために、一度消してもすぐに発火を繰り返します。
煙はどんどん強くなり、息苦しさも増してきました。
そんななか、誰かが「そういえば、議場はどんな様子なのだろう」と思い出します。一行は、政府委員室の消火を諦め、階段を駆け下り、議場の様子を確認しに向かいます。
扉を開くと、すでに議場にも火が回っていました。もうもうとした白煙と炎が室内で猛威を振るっています。
「場内へもすでに火の回りしとおぼしく、ムラムラと湧き返る白煙は差し入れたる面を撲(う)ちて場外に押し出し来たり。煙の内に発火のきらめく光凄まじ」と、「国会議事堂焼失の顛末」にあります。煙の勢いに押されて議場内には入るのも一苦労だったようです。
一行は、もはや素人では消火は無理だと諦め、手分けして書類や機材の搬出に務めることにします。
議長室を始めとして、庶務課、会計課などの書類はことごとく搬出したものの、すでに猛火となっていた議事課の書類には手が出せず諦めています。
これらは衆議院内の話。そういえば貴族院はどうなっているのだろうかと、誰かが気が付きます。
この時点で、貴族院にまだ炎は見えませんでしたが、屋上から白煙がたなびいているのが確認されました。
しかし、衆議院側から吹き出した炎が貴族院へも吹き付け、少数の人数ではとても消火などできそうにありません。こちらも手分けして書類の搬出を優先します。
必死に書類を運び出していると、当時の貴族院議長、伊藤博文をはじめ山県有朋、大山巌といった大御所や議員、事務員も騒ぎを聞きつけ集まってきました。
伊藤博文が陣頭指揮を取り、「なにはともあれ、第一に玉座を取り外せ」と指示。一行総出で玉座を取り外し、そのまま近くの交番へと運び出しています。
貴族院の資料も大方運び出し終えた頃、衆議院の火勢は貴族院にも移り、大火事となっていました。
さらになお、電線を伝って、今度は貴族院書記官長の官宅にまで延焼しようかという勢いでしたが、巡査のひとりがサーベルを抜いて電線を切断し、かろうじて延焼は免れました。
その後、警視庁消防本部や消防隊員が駆けつけ消火に当たり、午前5時ごろにようやく鎮火。
国会議事堂は、衆議院正面の玄関を残して両院とも全焼してしまいました。
火災を免れた建物は、倉庫二棟、資料室一棟、書記官長官舎のみだったと伝えています。
その後、まだ議会開会中であっため、貴族院は華族会館(旧鹿鳴館)へ、衆議院は東京女学館(旧工部大学校)に議場を移し、続けられました。貴族院はのちに華族会館が手狭なため帝国ホテルに移転しています。
また、消火に努めた守衛ら関係者には、衆議院書記官長から、清酒3樽とおにぎり400人前が振る舞われたそうです。
※参考資料:「国会議事堂焼失の顛末」岡田常三郎編(明治24年2月発行)/「東京名所写真帖」著者名、発行日不明
第1回仮議事堂。向かって右が貴族院、左が衆議院
第1回仮議事堂衆議院議場(参議院公式HPより)
日比谷公園の東側にあった華族会館。焼失後は当面、華族会館が議会に使われた