政治ドットコムトピックス明治〜大正時代にはびこっていた「選挙不正」

明治〜大正時代にはびこっていた「選挙不正」

投稿日2020.6.18
最終更新日2020.06.18

日本初の衆議院議員総選挙は1890年(明治23年)7月1日に行われました。当時の有権者は直接国税15円以上納税の満25歳以上の男性日本国民のみ。彼らの票を狙って、明治〜大正時代の候補者たちは、あらゆる手練手管を使って票を集めていたようです。

1票あたり12〜18万円の高値で票を売買

すでに当選を確実なものとするだけの票を事前に集め終わった候補者は、1000〜2000票の票数を握っている有権者の頭領を丸め込んでおき、当落線上にある候補者にお金で売り渡す「身売り候補」というものが存在したようです。
いよいよ選挙戦も終盤となり、候補者たちも悪戦苦闘といった場面になると、身売り候補は密使を放って「票を買わないか」と交渉していたといいます。
相場は、1000票で5000円、いよいよ切羽詰まってくると1万円の値がついて取引されていました。これは、現在の貨幣価値で約300万円から600万円になります。

もっと直接的に、周囲から票を集めた有権者が、「投票はいりませんか?」と各選挙事務所を訪ね歩き、お金で票を売る「投票屋」とも横行していたようです。
投票屋は、1票につき2〜3円の値段をつけ、自分が集めた票を売りつけていました。これは現在の貨幣価値で1200円〜1800円ほどのようです。
この金額で票が変えるのなら安いもの、こぞって買い漁ったかといえばさにあらず。「高い」と文句をつける候補者もたくさんいたようで、「もし高いのやすいのと言おうおものなら、そんならお止しなさい、お向かいの候補者へ持っていきますと啖呵を切る」(「普通選挙講座」富岡重雄著)という有様だったようで、有権者側も割としたたかです。

とはいえ、ここでみすみす「お向かいの候補者」に票を持っていかれては、何百という票が敵の手に落ちてしまいます。
苦しい台所事情のなかでも、無理算段してこれらの票を買い集めていたようです。
また、選挙戦も終盤になると、1票あたり1円〜2円だった金額も100円〜200円(12万円〜18万円)にまで値上がりしたとも伝えられています。

こうなると、一般有権者の票をできるだけ多く集められる「頭領」が、候補者や選挙事務所から尊敬される、そんな関係性が生まれていきます。
この頭領はどのようにして票を集めていたのか。
ある頭領は、一般家庭に訪問し名刺交換をする。なんとはなしに世間話を続け、「じゃあ帰るよ」と辞去したあとで、家のものが名刺の裏を確認すると、5円札が貼り付けられている、こんな手法で票を集めていたそうです。

受け取った一般有権者も、「半日かかって投票するのだから、日当が出て当然」という感覚が広がり、A候補者は2円だったが、B候補者は3円だったから、B候補者に投票しようと、金権選挙の悪習は広がっていきました。

候補者側も負けてはいません。当時、被選挙権があったのは地元の名士。いずれも海千山千のツワモノです。
一般有権者の借金関係を徹底的に調べては、貸主を抱き込み、「お前はオレから金を借りているよな。分かっているな?」と、真綿で首を絞めるようなやり方で投票を指示する、または、仕事の関係をたどって、親方や社長を抱き込み、社員や部下に投票を命令するといった行為も行われていました。

このような選挙腐敗は当時広く知られ、口さがない国民からは衆議院ならぬ「醜議院」と後ろ指を刺されるようなありさま。
議院たちも「選挙に受かってしまえばこっちのもの」とばかりの態度だったようで、せっかく議会に送り込んでも杳として消息を聞かない議院の身の上を案じて、「我々の代議士は、本当に議会に行っているのだろうか?」と、大真面目に事務所に問い合わせを受ける議員がいたり、議会での代議士の活躍を見に行こうと、はるばる田舎から上京した有権者たちが、3日がかりで国会議事堂内を探し回ったが、議場はもちろん、議事堂に登上すらしていないことを知ってがっかりし、近くの料理屋で食事をしていると、2階からノソノソと姿を現し「国会議員たるもの、議会にいると代議士としての箔が落ちてしまうから出ないのだ」などという、苦しい言い訳をした議員もいたようです。

日本における国政選挙は、普通選挙法成立以前には、選挙権は直接国税3円以上を納税する成人男性に限定されていましたが、1928年(昭和3年)2月20日に行われた第16回衆議院議員総選挙から、満25歳以上の男性日本国民全員へと拡大し、1946年(昭和21年)4月10日に行われた第22回衆議院議員総選挙でようやく、女性にも選挙権が与えられることになりました。

普通選挙法成立以前からはびこっていた「金権選挙」の悪習は、その後も法改正等で制限が加えられては来ましたが、長く続いていくことになります。

翌年に初めての普通選挙を控えた昭和2年に、一般有権者向けに発行された「普通選挙講座」(富岡重雄著)には、こうあります。
「我々民衆はこの普選の実施にあたって、各自が立憲の大義に目覚め、過去の選挙の妖術に眩惑されることがないよう、十分に腹を据えてかかることがなにより肝心である」
「昭和維新達成の第一階梯は、実にこの選挙界に跳梁する悪鬼の退治からである」
これは、現在の有権者たちにも共通する言葉かもしれません。

※参考資料:「普通選挙講座」富岡重雄著(昭和2年発行)