票の売り込みから寸借詐欺まで
1890(明治23)年に行われた第1回衆議院議員選挙以降、選挙はたびたび行われていきますが、同時に、選挙不正も多く発生していくことになります。
第2次護憲運動が実を結び、普通選挙法が制定され、政党内閣が慣例化する一方で、買収や贈収賄問題が表面化していきます。
これらの政治腐敗を防止しようと、国民に向けて啓蒙活動が行われました。
この一連の動きを「粛正選挙運動」と呼びます。
この動きは、1920年代から30年代にかけて行われています。
この「粛正選挙運動」を広く一般に知らしめるため、いくつか書籍も発行されています。そのうちのひとつ、1936(昭和11)年に発行された「粛正選挙虎之巻」(藤野直秀著)には、当時、どのような選挙不正が行われていたのか、その具体例が紹介されています。
①直接金銭を要求する選挙ブローカー
地域の顔役と知られた紳士に応援を依頼した候補者。まさかブローカーとは知らずに話をしにいったため、運動費に関することは一切話さなかった。すると、その紳士いわく。
「応援はしてもよろしい。だが、ただで動くものは風ばかりですよ」
この「ただで動くものは〜」の物言いは、なんともシャレてはいますが、分かりやすい悪徳ブローカーと言えるでしょう。
②売り込み型の選挙ブローカー
自ら積極的に選挙事務所に売り込みをかけ、お金を巻き上げるブローカーも存在しました。
あるブローカーは、「○○団体や××組合、□□宗教はよく知っている」と連名を書き出し、「ここは自分の言うとおりに動かせますが……若干の費用が必要です」と、持ち込んでくる例が跡を絶たなかったようです。
このようなわかりやすい例は、ベテランの事務局長ならその場で追い返したようですが、経験の浅い事務員などはこれに引っかかり、ブローカーにいくらかのお金を渡してしまうケースが多かったようです。
さらに厄介なのは、運動費を渡したにもかかわらず、ブローカーの内部や買収されていた有権者との間で、お金の分け前を巡って内紛が起こり、選挙不正が明るみに出るケース。この場合、選挙違反がバレてしまう上に、票も入らないという、バカバカしい結果になることも少なくなかったようです。
③お金だけ受け取って一切動かないブローカー
もっと上手のブローカーもいたようです。
地域において相当の実力者として知られたある人物は、多額の運動費を受け取っても一向に選挙運動をすることなく、クレームを入れても「いまやっている」と、おざなりのことを言っては時間だけが過ぎていく。
懐に収めた多額のお金はそのままに、結局選挙当日まで一切何もしてくれないというケースです。
「粛正選挙虎之巻」の著者、藤野直秀は「これなぞは、誰にも分けてやらないから違反暴露の憂いが少なく、選挙が終わって幸い候補者が当選すれば、『オレの力で』と反り返るのだからやりきれたものではない」と、書き記しています。
④推薦状送付詐欺
規則の裏(?)をついて、寸借詐欺を行なう輩もいたようです。
当時、法定選挙運動者以外の者は、自らが推薦する候補者を宣伝する方法として、推薦状に依る文書運動、演説会に依る推薦運動が許されていました。
これはあくまでも、候補者とは関係のない、第三者による自発的行為によって行なわれるものとされていましたが、ここを狙った詐欺行為です。
推薦者を装った詐欺師は、選挙事務所にやってきてこう話します。
「おたくの候補を推薦したい。ついては、ハガキの印刷費、郵送料、発送費の実費をいただきたい」
それなりの金額を渡して依頼するも、たとえば3000枚発送すると約束していたにもかかわらず、実際には10通程度しか送らず、その差額分の費用はそのまま懐に入れてしまうという手口です。
なんともこすっからいやり口ではありますが、この方法を考えた人間が「いいアイディアが浮かんだ!」と、ニンマリした顔がなんだか浮かぶようです。
選挙文化が成熟した現在でもなお、たびたび選挙にまつわる不祥事は明るみに出ます。
選挙とはなんぞやという知識が国民に広がる前であった明治〜昭和初期ならなおさらのこと。
政治腐敗を防止しようと国を挙げて始まった「粛正選挙運動」は、一度頓挫するものの、その息吹は残り続け、1950(昭和25)年に制定される公職選挙法によって結実することになります。
※参考資料:「粛正選挙虎之巻」藤野直秀著(昭和11年発行)/「選挙粛正運動概要」北海道庁総務部(昭和13年発行)/「選挙粛正運動の概要」大分県(昭和13年発行)
■写真キャプション
粛正選挙運動を啓蒙するためのポスター各種