政治ドットコムトピックス腹痛・ギャンブル・初体験〜明治の偉人のうっかりエピソード3選

腹痛・ギャンブル・初体験〜明治の偉人のうっかりエピソード3選

投稿日2020.7.13
最終更新日2020.07.13

1911年(明治44年)に発行された「名士奇聞録」(嬌溢生著)には、明治時代の偉人たちの、ちょっと意外なエピソードがふんだんに掲載されています。
教科書に載る白黒の、威厳のある写真と立派なエピソードしか知らない我々にはうかがい知ることのできない、人間味あふれる逸話の数々は、偉人たちも人の子だったことを教えてくれます。
ここでは「名士奇聞録」から、前島密、後藤新平、渋沢栄一3氏のエピソードをご紹介します。

「郵便制度の父」前島密、痛恨の置き傘

「郵便制度の父」と呼ばれる前島密は、1870年(明治3年)、郵便制度の視察と鉄道建設借款契約締結のため渡英します。
ある日の休日、ロンドンを出てベルリンへ向かう途中、小洒落た喫茶店で休憩することにしました。
コーヒーを注文し飲んでいると、前島はだんだんとお腹が痛くなってきました。もともと彼は胃腸が弱かったようです。

だんだん激しくなる腹痛。
溜まるガス。
おならがしたい。
しかし、日本の威信を背負って海外にやってきた前島は「ここで放屁などしたら日本の恥」と我慢します。

しかし、いよいよ我慢も限界に達してしまいます。
「しょうがない。ここは、すっとお尻を上げて、すかしっ屁でごまかすしかない」と、決意する前島。
お腹の具合と相談し、ここだと狙ったすかしっ屁は、思いのほか大きな音を発し、さらには座っていたイスの革張りを大いに鳴らし、「ブオー」とラッパの如き大音を響かせてしまいます。

「やってしまった」と周りを見渡すと、ベルリンの紳士淑女が前島を見て笑っています。
これはもう逃げるしかないと、ほうほうの体で喫茶店を飛び出した前島。
ロンドンで買った、自慢の洋傘をお店に置き忘れたことに気づいたのは、随分と時間が経ってからでした。

前島は、「あの傘は15円もしたんだ! 惜しいことをした」と、後年、周囲の人たちに笑って語っていたそうです。
諸説はありますが、明治時代の1円は、現在の価値に換算すると約2万円。前島が置き忘れた洋傘は、現在の値段で約30万円ということになります。
これは、愚痴りたくもなりますね。

一枚上手の後藤新平と、さらに上手の自転車チャンピオンたち

後藤新平は、1898年(明治31年)から1906年(明治39年)にかけて、台湾総督府民政局長・民政長官を務めました。日本の大陸進出を支え、鉄道院総裁として国内の鉄道の整備にも寄与した後藤は、ボーイスカウト日本連盟初代総長、東京放送局(のちのNHK)初代総裁、拓殖大学第3代学長も歴任しています。

後藤が台湾総督府民政局長を務めていた頃、台北で自転車レースが開催されました。後藤は自前の自転車を持ち込んで、過去のレースのチャンピオンたちに混じって参加します。それを聞いた当時の台湾銀行頭取、柳生一義は、「後藤さん、勝てるわけがない。勝てたら千円あげるよ」と煽ります。

柳生の言葉を受けた後藤は「よし、君が千円出すというのなら、必ず勝ってみせよう」と意気揚々とレースに参加。なんと、歴戦のチャンピオンたちを押しのけて、見事に優勝を果たしてしまいます。

慌てたのは「優勝したら千円あげる」と口を滑らせた柳生一義。
これは男の約束だとばかりに、しっかり千円を後藤に手渡します。
後藤は受け取った千円を、台湾の自転車協会にそのまま全額寄付しました。
簡単に「千円を寄付した」と書きましたが、当時の1円は現在の約2万円に相当するとの見方があります。
これに当てはめると、なんとその額は現在の貨幣価値では2千万円。払った柳生も柳生ですが、寄付した後藤もすごい話です。

柳生は「まさか後藤さんがそんなに自転車達者とは知らなかった。こんなこと言うんじゃなかった」とボヤきましたが、この話にはもうひとつ裏がありました。
後藤と柳生が自転車レースの優勝を賭けて勝負をしているらしいと、どこからか聞き及んだ出場選手たちは、裏で示し回せて後藤を勝たせようと本気を出していなかったのです。後藤の潔癖な性格を考えたら、受け取った千円を必ず協会に寄付するはずだと見切っていたそうです。

後にその裏話を聞いた柳生は「ちょっと口がすべって大金を支払ったばかりか、あっちこっちでおもちゃにされてしまった」と苦笑いしていたそうです。

渋沢栄一、消えたアイスクリーム

2021年のNHK大河ドラマ「青天を衝け」の主人公である渋沢栄一。彼にも素敵なエピソードがありました。
1867年、渋沢はパリで開かれる万国博覧会の代表団のひとりに選ばれました。
パリでの晩餐会で謁見したのは、時のフランス皇帝ナポレオン3世。ナポレオン3世は、東洋からの客を厚くもてなし、豪華な夕食を振る舞いました。

そのあまりの美味しさに舌鼓を打つ、代表団一行。
食事を食べ終わると、食後のデザートも用意されていました。
出されたのはアイスクリーム。冷たく甘いアイスクリームは、当時の日本には存在しない、まさに「珍味」でした。
あまりの美味しさに驚いた渋沢は、「代表団としてパリまで来たが、晩餐会には招かれなかった仲間にも食べさせてあげたい」と、こっそり懐紙にアイスクリームを包むと、袖に隠してホテルまで持ち帰ります。

待っていた仲間に、「とんでもなく美味しい食べ物がある」と、袖から懐紙を取り出す直前の渋沢は、きっと満面の笑みをしていたことでしょう。
しかし、取り出した懐紙はグズグズに濡れており、溶けてしまったアイスクリームは影も形もありません。
その光景を想像するに、のちの大偉人もしょんぼりした顔をしていただろうと思うと、こちらも笑みがこぼれます。
江戸時代末期の日本とフランスの国力の差も、きっと痛感したことでしょう。