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政治ドットコムトピックス世界で初めて人種差別の撤廃を主張した国はどこ?

世界で初めて人種差別の撤廃を主張した国はどこ?

投稿日2020.12.3
最終更新日2020.12.03

2020年6月現在、アメリカを中心に世界各国で「Black Lives Matter」運動が展開されています。黒人の地位向上を意図した人種差別撤廃運動ですが、かつて、国際会議において世界で初めて人種差別撤廃を明確に主張した国はどこかご存知でしょうか。それは、日本でした。

「アフリカの人間とヨーロッパの人間が平等だとは思わない」

1914年から1918年にかけて戦いが繰り広げられた、第一次世界大戦の終結を受けて、1919年にパリ講和会議が開かれることになりました。
会議中に開かれた、国際連盟委員会に臨んだ日本の代表団は、ひとつの提案をなんとか通そうと、熱い志を持ってその場に臨んでいました。

国際連盟委員会では、当時のアメリカ大統領であるウッドロウ・ウィルソンの呼びかけにより、国際連盟の規約を制定することになっていました。
日本は、その「国際連盟規約」の中に、人種差別の撤廃を明記するべきという提案を主張するため、会議に参加します。

当時、世界各国では現在よりもはるかに多くの人種差別が横行しており、在外邦人もその被害にあっていました。
アメリカやカナダでは、日系人の排斥運動が公然と行われ、多くの日系人が苦しんでいました。
この提案の背景には、これらの日系人排斥運動を和らげようという意図と同時に、以後、国際連盟内で大きな勢力となるであろう、アングロサクソン系の国々が、人種的偏見に基づいて、日本などアジア各国や、アフリカを差別するのを防ごうという意図があったと言われています。

1919年1月14日にパリに到着した日本全権団は、人種差別撤廃提案のため、アメリカ、イギリスなどと交渉を行います。
アメリカからは肯定的な反応を受けますが、イギリスからは猛然と反対を受けてしまいます。
特にイギリスの外務大臣だったアーサー・バルフォアからは、「アフリカの人間とヨーロッパの人間が平等だとは思わない」と、現在では考えられないような見解を聞くなど、交渉は難航を極めます。
提案の採択は極めて難しい情勢ではありましたが、日本全権団は委員会での提案を敢行することを決定します。

多数決では圧勝するものの、まさかの否決

そして迎えた2月13日の委員会において、全権の一人だった牧野伸顕は、「人種或いは国籍如何に依り法律上或いは事実上何等差別を設けざることを約す」という条文を連盟規約二十一条の「宗教に関する規定」に入れるよう求めます。
しかし、議論の結果、「宗教に関する規定」そのものを削除するべきという意見が多数を占めることになり、連盟規約二十一条がそのまま削除されることになります。

提案自体は通りませんでしたが、この日本の提案は世界各国に報道され、大きな反響を呼びました。
アメリカの全米黒人地位向上協会 (NAACP) も感謝のコメントを発表するなど、アメリカ国内でも反響がありましたが、アメリカ大統領のウィルソンは「『人種差別撤廃提案』は国内法の改正に言及しており、これは内政干渉に当たる」というアメリカ国内の強い批判を受けることになります。
すでにアメリカの上院議会では事前に「『人種差別撤廃提案』が受け入れられた場合、国際連盟には加盟しない」との決議が行なわれており、ウィルソンはこの流れに逆らうことはできない状態でした。

4月11日、国際連盟委員会の最終会合において牧野は、国際連盟規約の前文に「国家平等の原則と国民の公正な処遇を約す」という文言を入れ込むという修正案を提案します。
議長であったアメリカのウィルソン大統領は、提案そのものを撤回するよう求めましたが、牧野は採択を要求します。
結果、議長であるウィルソンを除く、出席者16名が投票を行い、フランス・イタリアの代表各2名、ギリシャ・中華民国・ポルトガル・チェコスロバキア・セルブ・クロアート・スロヴェーヌ王国(後のユーゴスラビア王国)の各1名の合計11名の委員が修正案に賛成、イギリス・アメリカ・ポーランド・ブラジル・ルーマニアの計5名の委員が反対します。
多数決では、賛成側の圧勝となりました。

ところが、議長のウィルソンは「全会一致ではないため、この提案は不成立」と宣言します。
委員会での決議は全会一致でなければならないというルールはありませんでした。実際、多数決で決議された提案もありました。
しかし、ウィルソンの「このような重大な問題は、全会一致でなければならない」という回答に、結局、牧野も折れざるを得ませんでした。

この提案の否決を受けて、賛成多数であったにも関わらず、ウィルソンが議長裁定により法案を成立させなかったという自国政府の行動に対して、アメリカ国内の黒人は、多くの都市で人種暴動を起こし、100人以上が死亡、数万人が負傷する事態を引き起こしています。

太平洋戦争への遠因となった、人種差別撤廃提案

提案の否決によって、日本国内では「国際連盟加入を見合わせるべきだ」といった強硬論も唱えられました。
しかし、もとより提案の成立は難しいと見込んでおり、アメリカやイギリスとの協調を目指していた当時の原敬首相も、「これはやむなし」と全権団を擁護します。
このあと、1924年にアメリカ国内で「排日移民法」が成立。日系移民が全面的に禁止されると、日本国内での対米感情は悪化の一途をたどります。
さらに1929年には世界恐慌が勃発。植民地の少ない日本は植民地大国であったイギリスやフランスへの反感を強める一方で、第一次世界大戦で植民地の多くを失ったドイツとの結びつきが強まります。
これが、のちの太平洋戦争への布石となっていきます。

いまも根強く残る人種差別問題。
いつの日か、解決する日が来ることを願うばかりです。

参考資料:成瀬正雄著「人種差別待遇問題・支那民族啓発の要訣」(大正8年発行)

この記事の監修者
秋圭史(株式会社PoliPoli 渉外部門)
慶應義塾大学法学部政治学科卒業後、東京大学大学院に進学し、比較政治学・地域研究(朝鮮半島)を研究。修士(学術)。2024年4月より同大博士課程に進学。その傍ら、株式会社PoliPoliにて政府渉外職として日々国会議員とのコミュニケーションを担当している。(紹介note:https://note.com/polipoli_info/n/n9ccf658759b4)

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