頼母木が唱えた「共稼ぎ主義」
大正時代、現代に先駆けて「能力のある女性は社会でその才能を発揮させるべき」と説き、自らも夫婦共働きで、ともに大きな成果を残した政治家がいます。
頼母木桂吉は、明治時代後期に新聞社で辣腕をふるいます。報知社(現在の報知新聞)時代には、日本初の夕刊を企画して読者を激増させ、「報知社に頼母木あり」と、広くその名を知られるようになります。
また、当時新設した「職業案内欄」を見て応募してきた松岡もと子(後の羽仁もと子)の才を見抜いて採用すると、彼女は後に婦人之友社を設立するなど活躍を続け、「日本女性初のジャーナリスト」として名を馳せることになります。
頼母木は1915年(大正4年)の第12回衆議院議員総選挙に立候補すると、以降、9期連続で当選。第32代目となる広田弘毅内閣では逓信大臣を務めるなど、政治家としても後世に名を残しています。
そんな頼母木には「女性は家で家事をするもの」といった、古い考えは毛頭なかったようで、「六十三大家生活法」(石上録之助著)では、その主義を「共稼ぎ主義」として紹介されています。
妻の駒子は、明治後期から昭和初期にかけて東京音楽学校(現・東京藝術大学)で、助教授・教授として多くのバイオリニストを育成しています。
新聞社の経営から身を起こし、政治家として活躍する夫と、ピアノの名手で日本を代表する音楽家を育てる妻、この組み合わせは当時の日本人にとって、先進的に写っていたようですが、本人たちは「たまたま」「面白いから」と、若干の謙遜も含めて語っています。
「妻が音楽学校を出ていて、ピアノの一手も弾けるものだから、自分でも面白いし、小遣いが少しは取れるから思いついたことで、立派な理由もなければ、生活上から余儀なくされているわけでもない。しかし妻がいくらか稼ぎ出す小遣いが、家計上助けになっているのは事実である」とは、頼母木の言葉です。
「若いものは、働ける間は何事も省みないで働いていればいい。男だとて女だとて区別はない。自分の技量さえあれば、腕限り根限り活動すべきである。(中略)一芸があって社会のため家庭のために役立つものなれば、宝の持ち腐れをするには及ばない。大いにその芸を発揮して、貢献するところがあって良い」。この言葉など、21世紀の今日では、なんの違和感もなく響きます。
この「能力があるのなら、男女問わず社会に還元するべきだ」という考えと合わせ、「年配者の力も上手に活用しよう」と、これまた現代に通じる思いを、頼母木は100年前の大正時代にすでに語っています。
自分たち夫婦が社会で働けるのは、細々とした家事を一手に引き受けてくれる実父・実母がいるからだと語った上で、「老人が台所へでしゃばったり、銭勘定をしたりするのはみっともないから、引っ込んでいるのが良いというけれども、それは耄碌し果てた老人に言うべきことで、しっかりした老人なら大いにでしゃばってもらいたい」「老人の方でも、楽隠居などは昔のこと。若いものは外で働かせて、自分らが家を預かっていくくらいな考えがなければいかん。こうすれば、生計上も都合が良い」と、シルバー人材活用について、自身の主張を述べています。
1点、現代と事情が異なるとすれば、子育てに関することでしょう。
頼母木家に授かった子どもはひとりだけだったようです。
当時としては少ない人数だった上に、生まれてから4〜5年は養子に出し、ふたたび家に戻してからは、前述の通り、頼母木の実父・実母が子育てを担当しています。
一見、親子のふれあいが少ないのではとも見えますが、これも頼母木の意図するところだったようで、「子どもは始めから放任しておくがよい。子どものためにも結局ためになる」との考えのもと、あえて夫妻は子育てに干渉しなかったようです。
「夫婦が社会で活動し、子育ては親まかせ。それでは家族団らんの時間なんてないのでは?」という疑問は、当時から本人にもぶつけられていたようで、それについても回答しています。
「我らは若い時から、家庭の団らんなどを考えたこともなければ、あまりありがたいことにも思っていない」と、この疑問に関してはハナから全否定です。
「若い活動盛りの男が家庭を楽しむからがそもそもの間違い」と断じた上で、「一家打ち揃って宅で遊戯にふけるとか、散歩やお詣りをするとかいうことは絶対にない」と、言い切っています。
その代わり、「老人夫婦(注:実父・実母)もときには孫を連れて遊びに出かけることがある。要するに家庭を楽しむなどは老いてからの後のことである」。つまり、そんなのは引退してからすれば良い、という考えだったようです。
女性の社会進出とダブルインカム、そしてシルバー人材の活用。
頼母木夫妻が実践していたこれらの考えが、一般に広く浸透するのは、100年後の21世紀まで待たなければなりませんでした。
彼らの新進性に、いまさらながら感嘆せざるを得ません。
参考資料:「六十三大家生活法」石上録之助著