8月8日:原子爆弾、広島に投下の第一報が報じられる
1945年(昭和20年)8月6日午前8時15分、アメリカ軍は広島市に対して、世界で初めて核兵器「リトルボーイ」を実戦使用しました。これが、人類が初めて都市に対して行った核攻撃です。
この報道は、2日後の8月8日にようやくなされました。
「廣島へ敵新型爆弾 B29少数機で来襲攻撃 相当の被害、詳細は目下調査中」(「朝日新聞」8月8日)
「B29 新型爆弾を使用 廣島に少数機 相当の被害」(「読売報知」8月8日」)
これが、国内における原爆被害の第一報です。
「少数機」「相当の被害」「新型爆弾」と、異なる2紙でもほぼ同様の文言で報道を行っているところを見るに、新聞社独自の情報は入っていないか、もしくは報道が許されておらず、いわゆる大本営からの発表をそのまま引き写した内容をそのまま記事にしているようにも見えます。
本文を見てみても、広島市内に火災が起こっていること、無数の市民が犠牲になっていること、引き続き国内の別の場所に同様の新型爆弾が落とされる可能性があること程度しか書かれておらず、身のある情報は国民には知らされていないことがわかります。
対応も「従来の防空対策、すなはち都市の急速な疎開、また横穴防空壕の整備など、諸般の防空対策を促進する要がある」(「朝日新聞」8月8日)とアナウンスするのみ。当時の国力では、手のうちようがなかったということでしょう。
古今未曾有の被害が出ている一方で、「酒 今後はどうなる」といった記事も掲載されています(「読売報知」8月8日)。
この決戦下、酒などはもってのほかという論もあるが、こんなときだからこそ士気高揚のために酒が必要だという論旨ですが、「ビールはこの夏が最後」と発表されています。
この年の春、全国のビール工場が生産を停止。もはや国内に在庫は出回っている分しか存在しなかったようです。
終戦一週間前という、日本史上もっとも悲惨な時代ではありますが、新聞連載では吉川英治による名作「太閤記」が「読売報知」で続けられていました。
8月8日では231回を迎え、天下人となった豊臣秀吉と、俊才として知られた蒲生氏郷の会談のシーンが描かれています。
8月9日:戦意低下を恐れ、強気の言葉が並ぶ
翌8月9日の朝日新聞一面には「敵の非人道、断固報復 新型爆弾に対策を確立」と、勇ましい見出しが踊ります。
どのような対策を確立したのかと読んで見れば、「火傷のおそれあり 必ず壕内待機 新型爆弾まづこの一手」と、防空壕への避難を第一に上げています。
さらには「研究の上、逐次対策が発表されるはずである」という文言も見え、まさにこの号が各家庭に配られているそのとき、長崎では新たに原子爆弾が投下されている事実を知っている我々からしてみれば、ため息しか出ない内容です。
さらには、原子爆弾のみならず、B29による空襲も全国各地で行なわれていることがわかります。
「西日本へ三百五十機」「B29 新潟、福島、茨城へ」「B29関東、東北を行動」「日本海に機雷投下」「沖縄北飛行場を連襲」(いずれも「朝日新聞』8月9日)
完全に制空権を握られ、日本の国土上空をアメリカ空軍が縦横無尽に活動していたことがわかります。
それでも国民の戦意を喪失させてはならないと、少しでも気持ちを戦争に向けさせようと意図した記事が紙面を飾ります。
「引き付けて必殺の狙い撃ち 蝿叩き戦法に揚がる凱歌」と題し、ある部隊長のインタビュー記事が8段ぶち抜きで掲載されています。
とはいえ、内容を見てみると、数機の戦闘機を撃ち落としたという話。もはや戦果としては焼け石に水です。
同日の「読売報知」では、「己に克ち敵に勝て 持て特攻勇士の心」と題した記事が掲載されています。これは8月8日に航空兵器総局長官の遠藤三郎中将による国民向けのラジオ演説を文章化したものです。
「お互いに親切なること」「お互いに時間を厳守すること」「お互いに他力を頼らぬこと」をテーマにそれぞれ解説していますが、そのすべてが精神論で、具体的な指示、方針はありません。
また、上記でもご紹介した「朝日新聞」の「蠅叩き戦法」に関する記事も「読売報知」に同内容で掲載されているところを見るに、この記事は戦意高揚のために、政府から与えられた素材だったことがわかります。
8月10日:ソ連の対日参戦が発表される
8月10日、いまだ長崎に落とされた原子爆弾に関する記事は掲載されていません。
代わりに「読売報知」の一面を飾ったのはソ連の対日参戦の記事。「ソ連 帝国に宣戦布告 満ソ国境に戦端開く 東西両面より越境 地上攻撃を開始す」と、大きく報じています。
このソ連の対日参戦は、日本の降伏を決定づける理由のひとつとなります。
また、アメリカからの攻撃も、東北、福山市、立川、東京、北九州と全国各地で断続的に続いており、紙面からは明るい要素が見当たらなくなります。
この日、「読売報知」で勇ましく記事になっているのは、唯一特攻隊の記事のみ。
「沖縄特攻四神鷲 誉れの美談集」「軍神の流れ汲む 隊長を中心に見事な鉄の団結」と見出しのついた記事では、渋谷健一大尉、長谷川實大尉らのエピソードが掲載されていますが、歴戦のパイロットをあたら体当たりで飛行機ごと失わせる「作戦」を、美談として使わざるを得ないところまで、日本は疲弊しきっていました。
終戦まであと5日。