夢見がちな夫の手綱を握り、お金を管理しよう
本書の15章「政治家に嫁する婦人」は、この文章から始まります。「代議士となる者は悉く(ことごとく)財産を蕩尽(とうじん)す」。
蕩尽するとは、財産を湯水のごとく使い果たすこと。当時の政治家たちは、各種ルールや制度が整った現在とは比べ物にならないほど、お金を使っていました。
そのため、国政を担う政治家の妻となったからといって裕福な暮らしを手に入れたと考えるのではなく、「清貧に甘んずるの覚悟を有すべき」と説いています。
政治家の妻として心がけることは、夫は私利私欲を捨てて国事に奔走している。そのために家のことを顧みる余裕はない。そのため「内顧の憂いなからしむるよう、妻君において家政の処理をまっとうするべき」としています。
女性が家にこもり、家事だけを行うのは人権侵害だ、女性ももっと外で活躍するべきだという現在の当たり前の感覚とはかけ離れた指摘ではありますが、当時はそのような風潮が強く根付いていました。
そもそも政治家などというものは「代議士なりと致しておれば、なんとか融通も利くが落選したとあれば誰とて貸してくれるものもない」存在。これは、政治家も落選すればただの人と揶揄される現在とまったく同じ感覚でしょう。
当時の政治家たちは「歳費を抵当としたり、あるいは知己同志を連帯債務者として、高利の金を借り入れる者がある」「ただ借りるときのことのみを考えて、返すときの考えをあらかじめ研究せぬ」「期限になっても返済はできぬところからして、歳費は取り上げられ、その上に家財道具までも差し押さえを食う」など、後先を考えずに借金を繰り返し、にっちもさっちもいかなくなるケースが珍しくなかったようです。
だからこそ、家を預かる政治家の妻は「予定収入の中より何ほどかの貯蓄をなし、決して借金などせぬようにする」ことが肝要だと、繰り返し説いています。
「お国のため」「志のため」と理想論を振りかざし、家庭を顧みずにお金をじゃぶじゃぶ使ってしまう。男なんてそんなものなのだから、妻であるあなたがしっかりと家計を握りなさいという、具体的かつ実践的なアドバイスがなされています。
さらには、当時の政治家が零落するさまも描写されています。
当時、政治家になるものの家は「いずれも資産を持っていたものに多く」「一毛(ほんの少しの)運動費をも使わず、当選するというような人物は至って稀」「多額の運動費の下に当選する主義、早きは、1〜2回これが5〜6回も続けば、所有の財産はことごとくなくしてしまい、まったくの無一文になる」と、散々な言われようです。
「代議士殿と尊敬さるるも今は夢か、ついには百計尽きてろくな所業をせないように零落する」「これが政党屋(政治家のこと)の一般の経路」であるからこそ、付き添う政治家の妻は、最終の美を迎えられるよう、深く心を決めなければならないというのが、著者である東京婦人学会の見解でした。
選挙の際には、妻も積極的に活動しよう
有終の美を飾るために、政治家の妻に求められるもの。これが現在の感覚ではなんともハードルの高い要求をしています。
政治家は、政党上の軋轢などから、反対する党のテロリストから襲われることもあれば、選挙違反などの違反行為で逮捕されることもある。その他、政治上の活動の中で、いつどんな災厄に襲われるかわからない。
そのため、「妻君たるものは常にその覚悟しておらんければならぬ。これと同時に夫が不在中にも何心配なく子弟を教育し、夫の面目を毀損せぬ堅き決心が必要であろう」と説きます。
いつ襲われて死んでしまうか、いつ逮捕されてしまうかわからない日々のストレスの中で、さらに何かあったら家のことは万事もれなく徹底せよ、これを現在声高らかに発言すれば、ハラスメントのそしりを免れることはありません。
いかに明治末期から現在にかけて、女性の権利や地位が「当たり前の位置」に近づいていったのかも伺われます。
日常生活の細々としたことにも指摘は及びます。
政治家の妻たるもの、自身も必要な教養を身に着けなければならない。そのためには新聞を読む、議会の状況を理解する、身なりや態度にも気をつけ、上流階級と交際しても恥ずかしくない礼儀作法を身につける。
これらは、現在でも上流階級の家庭に入れば求められることかもしれません。
政治家の妻の見本として、本書では鳩山和夫(明治時代の政治家/鳩山一郎の父)の妻、春子を挙げています。
春子は「代議士選挙の間際と聞けば、(中略)選挙場裡に東奔西走し、選挙有権者の宅を訪問して、しきりに夫の推薦を依頼する」と、その活動を紹介しています。
妻である春子からお願いされることで「男性の女性に対しては情の発作もまた違うもので、ことには夫人の熱心と如才なきが著しく功を奏して、多大の運動費を使わんでも当選の結果を見る」としています。
「男性は女性からお願いされたら断れない」という言い回し、こちらも現在のジェンダー論から考えるに非常に際どい発言ではありますが、当時の内容そのままにご紹介しているため、ご容赦ください。
かくのごとく、政治家は金を湯水のごとく使う、さらには命の危険もある、選挙に落ちればただの無職と成り果てる。それ故に、政治家の妻たるもの、お金に関しては常に管理し、さらには選挙となれば絶対に当選するよう、妻も積極的に活動せよ。これが、明治時代末期の政治家の家庭の有り様だったようです。
※参考資料:「花嫁の準備と実務」東京婦人学会編(明治43年・二松堂刊)