有名政治家の個性から適切な職業をピタリと推薦
「政界の名士といえども、世知辛い世の中いつ失業するとも限らぬ」として、当時の有名政治家たちを俎上に載せ、彼らの性格から政治家を辞めたあとはどんな職業に就けばよいかを一コマ漫画風に表現しています。
本人たちからしてみれば、これ以上の余計なおせっかいはなかなかないかとは思いますが、これが現在見直しても面白い。
ここで、掲載されている政治家の中から10人をピックアップしてご紹介します。
・尾崎行雄:上空気流観測技師
高い理想に眼を馳せ、地上の実情は一切お構いなしの性格なので、「上空気流観測技師」が適任
当選回数・議員勤続年数・最高齢議員記録と複数の日本記録を有することから「憲政の神様」「議会政治の父」と呼ばれる尾崎行雄も、当時の皮肉屋の手にかかればこんなものです。
理想ばかり高く、実際の状況などろくすっぽ考えていない、当時の評価はそのようなものだったようです。
・高橋是清:渡し守
無我天眞、それでいて頼まれればノコノコ世のために働きに出ることを辞さぬ。明月清風を友とする渡し守の境涯
近代日本を代表する財政家として知られ「ダルマさん」と呼ばれた高橋是清。当時の日本を代表する経済痛として知られ、国家が苦しくなるたびに呼び出されては「ノコノコ世のために働きに出る」。高橋の境遇を見事に表現しています。本書発行の4年後、5.15事件で暗殺されてしまいます。
・田中義一:馬車の御者
頭は荒っぽいが人間を集めるのがうまく、目的地に向かって勇往邁進する勇気がある。馬車屋の御者にもっていこい
陸軍出身の政治家として陸軍大臣や内務大臣などを歴任、第26代総理大臣も務めた田中義一。軍人として猪突猛進、目的を達成するためには一直線で突き進む、その性格は「馬車の御者のようだ」ということでしょう。晩年、張作霖爆殺事件の件を昭和天皇に叱責され、その心労が元で昭和4年に亡くなったと言われています。
・原敬:いかだ師
押して突っ張ること、この人ぐらいのは政界他になし。このやり方で、鳶口竿を操ればいかだ師が務まる
華族の爵位を固辞し続けたため「平民宰相」と呼ばれ親しまれた原敬。アンチ薩長の代表格として知られ、薩長を中心とした藩閥政治を打倒するために日本初の本格政党政治を行った原。その強気なハートがなければ、従来の制度や風潮を変更することはできなかったでしょう。そのさまをいかだ師として表現しています。
・浜口雄幸:ふとん屋
性格が地味で柄が大きくてしかも変通の融通もある。地味で大柄ではあるが、ほどけば着物にも仕立てられるふとんを売り出すがよし。
幼少期から温厚で勉強熱心で知られた浜口。官僚となってからもその仕事ぶりは実直で知られ、後に総理大臣に上り詰める際にも、その真面目な人柄が周囲に評価されてのことだったと伝えられています。その実直さを「地味」と表現されてはいますが、浜口自身にとってはむしろ名誉と言えるかもしれません。
・大隈重信:ラジオ商
大げさで一のものを十に振りまくのが好き。そして新しがりと来ている。ラジオの拡声器を売ったら柄に合うだろう
若い頃から反骨精神に溢れ、佐賀藩時代には脱藩を企て謹慎処分を受けています。自由民権運動の際にはいち早く国会の開設を主張。その後も立憲改進党の結成、東京専門学校(後の早稲田大学)の設立、初の政党内閣の組閣と、次々と時代に沿った活躍を続けます。そのさまを「新しがり」と表現しています。
・犬養毅:研ぎ師
鋭く冴えた頭。弁口の辛辣で皮肉な切れ味。百錬千錬のしぶとさ。さしづめ刃物の研ぎ師というところだ
強い意志を持ち、悪や卑劣を憎んだ犬養は強烈な毒舌屋として知られていました。一方でお金には無頓着で、それでも困った人を見ると手を差し伸べずにはいられない、まさに「弱きを助け強きをくじく」を地で行く性格。その様子を、冴えた頭と切れ味、しぶとさも兼ね備えた政治家と評しています。
・加藤高明:架線技師
一克で正直で几帳面で英国流。鉄のレールの架線工事をさせたら性分に合うだろう
第24代の総理大臣も務めた加藤は、駐英公使などを務めた後に日英同盟の締結に尽力、その後は外務大臣として活躍します。真面目ではあるものの無愛想で、当時の元老たちに取り入ることも大の苦手。そのため政治家としては遅咲きでした。そんな加藤を「まっすぐ鉄のレールを敷く架線技師が最適」とは、言い得て妙です。
・若槻礼次郎:うなぎ屋
ぬらりくらりとすり抜ける首相としての答弁。うなぎのぼりの出世の仕方。身体は細いが長くてしんなり強いところ。どこまでもうなぎに縁がある
実務能力に優れた人物として知られ、謹厳実直な能吏だった若槻ですが、第1次若槻内閣の際に野党と「予算を通してくれれば退陣する」旨の約束をしたにも関わらず予算が通っても一向に総辞職の気配を見せなかったことから「ウソつき礼次郎」と呼ばれています。
・後藤新平:看板屋
目先が利いて宣伝能力があって大計画主義で時勢に従って、速やかに趣向を塗り替える頭がある。この才は看板屋にも大いに向く
台湾総督府長官や満鉄初代総裁を務めた後藤は、立てる計画の大きさから「大風呂敷」とあだ名されました。関東大震災後は内務大臣兼帝都復興院総裁として復興に尽力。靖国通りや明治通り、昭和通りなど現在も残る国道は彼の計画によるものです。典型的な金権政治家でしたが、時流を読む力もまた抜きん出ていました。
いかがでしたでしょうか。当時の評論家たちが政治家をどう見ていたのか。批評をするにもユーモアを忘れずに行っていたその姿勢も含めて時代がわかる内容です。
当時の政治家たちの実績やキャラクターを知っているとなお、興味深く楽しめるます。彼らの生涯を学び直すきっかけになれば幸いです。
※参考資料:「人生漫談」岡本一平(昭和5年・先進社)