政治ドットコムトピックス大戦末期の鉄不足が一気に解決? 政府が公認した大赤字の新製鉄法

大戦末期の鉄不足が一気に解決? 政府が公認した大赤字の新製鉄法

投稿日2020.8.31
最終更新日2020.08.31

昭和18年(1943年)2月5日、時の総理大臣東条英機は、「アメリカ的な方法によらない、日本独自の製鉄法で大量の鉄が手に入る」「これで日本は安泰だ」と衆議院の委員会で述べ、拍手喝采を浴びました。
この独自の製鉄法、フタを開ければ大赤字のとんでもないヨタ話でした。一介の発明家の怪しげな妄言を、国のトップである総理大臣が受け入れてしまう。戦時中というのは、そのような異常な時代でもありました。

砂鉄とアルミを混ぜて火をつければ簡単に鉄ができる?

古くから「貧すれば鈍する」と言います。この言葉は、個人だけではなく、国家にも当てはまるようです。

昭和18年(1943年)2月5日、衆議院戦時行政特例法案外二件委員会において、時の総理大臣東条英機は、次のような演説を行います。
「画期的な製鉄法が確立されそうだ。この方法が普及すれば、今後日本が製鉄に苦労することはない」。
議場の議員たちは拍手喝采でこの言葉に酔いしれましたが、この製鉄法が実際に活用されることはありませんでした。

まずは昭和18年当時の日本の状況を見てみましょう。
この時期、日本は第二次世界大戦も3年目を迎え、すでにミッドウェーでの敗戦、ガダルカナルの撤退によって戦況は不利に傾き、要人たちは焦りを見せ始めていました。
石油はもちろん、アメリカからくず鉄が入らなくなったことにより、国内で鉄不足が顕在化。日常生活はもちろん、弾薬や飛行機、船舶や戦車などの材料に事欠くありさまとなっていました。

そこに現れたのが先述の製鉄法。当時は「日本的新製鉄法」と呼ばれ、一躍脚光を浴びました。
この製鉄法はどのようなものか。
大量の砂鉄を用意し、ここにアルミニウムの粉を加えて火を付ける、そうすると、一瞬にして大量の鉄が出来上がったというのです。

砂鉄なら日本国内に無尽蔵に存在します。
街の名物発明家が見つけたこの「発明」を聞きつけた海軍の材料部に所属していた要人は、これは大発明だと大喜び。さっそく実験を繰り返します。

すると、たしかに鉄ができる。
従来は、重厚長大な溶鉱炉を用意しなければ作れなかった製鉄が、砂鉄とアルミニウムの粉を混ぜ合わせ、その上に土を掛けて穴を開け、その穴から特殊な薬液を注入して火を付けるだけで鉄ができる。これは画期的な発明だ、これで日本は救われる、と騒ぎになりました。

この方法、決して突飛な手法ではありません。
アルミニウムと酸化鉄を混ぜ合わせて火を付けると、非常な高温となり鉄が出来上がる。これは理論的にも間違ってはいない。
しかし、まさに「貧すれば鈍する」。喉から手が出るほど欲しい鉄を求めるがあまり、もっとも直視しなければならない現実から目を背けてしまいます。
その現実とは「アルミニウムは鉄よりも数倍高価だった」という点です。

メンツ、精神論、盲信……政府が陥った「罠」

この方法で鉄を生産しようとすると、鉄よりも高価なアルミニウムを大量に使用しなければならず、採算はまったく取れないのです。
もちろん、当時の科学者たちはこの事実に気がついています。
海軍に対して忠告をするものもいましたが、「大発明だ」と沸き立っている雰囲気の中、まったく聞き入れられる様子がありません。
それどころか、「理屈などどうでもいい。実際に鉄ができているではないか。論より証拠だ」と、科学的な知識のないお偉いさんから叱られる始末。
専門家たちはこの手法が無理筋であることをわかっていながらも、「触らぬ神に祟りなし」とばかり、だんまりを決め込みます。

そして迎えた昭和18年2月5日、東条首相の冒頭の発言へと繋がります。
さらに同年2月24日には、技術院(昭和17年〜20年、政府内に設置された機関。「科学技術に関する国家総力を綜合発揮せしめ科学技術の刷新向上、就中航空に関する科学技術の躍進を図る」ことを目的として設置された)からの正式な発表として、この製鉄法のほかに2つの新しい製鉄法を加え、その3つを正式に承認し、技術院として大いに援助をして大規模製産に移すという声明が出されるにいたります。

当時のある大臣は「我が国技術界の最高権威たる技術院総裁の言明に間違いがあるはずはない」とコメントを寄せました。もはや、思考停止の状態です。
当時、「国難を救う大発明だ」といって、怪しげな技術を売り込みに来る発明家が大勢いたようです。
そんな技術を持ち込まれた企業の経営陣は、諸手を挙げて大歓迎。ぜひ一山当てて大儲けしようと試みます。
もちろん、企業内の技術者たちにはその売り込みが非現実的であることがひと目で分かります。
しかし、それらを指摘でもしようものなら、経営陣から「君たちは西洋科学だけに頼っているから駄目だ。理窟を言っている時ではない」と叱責されてしまう。
貧すれば鈍するあまり、理屈よりも根性論が優先されてしまう恐ろしい状態です。

同様の迷走をした時の東条内閣でしたが、結局は見送られることになります。しかし、そこに至るにも紆余曲折があったようです。
当時のある大学教授が「日本的新製鉄法は中止するべきだ」と政府を説得に当たるのですが埒が明きません。
窓口の担当者には採算が合わないことは伝わっているようなのですが、裏で政治的な動きがあり、もはや止めることができない様子だったと、後年、その大学教授は述懐しています。

やがて、大規模に製鉄を行う運びとなり、その生産工場として国内のあるセメント工場が候補となります。
突然、工場の買い上げ計画を持ちかけられた企業はたまったものではありません。
先程の大学教授とともに、再三再四にわたって政府を説得。その他、各方面の専門家たちからのアドバイスによって、ようやく中止に至ります。

不足している鉄が大量に手に入る(かも)という目先の人参を追いかけるあまり本質を見失う。
さらには、一度走り出してしまったからという理由で引き返せなくなるリーダーシップの欠如。
そして、理屈よりも根性論を重視する日本人特有の精神性。
冷静になれば誰でもわかるはずのことがらも、金銭的にも精神的にも貧しくなるとわからなくなる。それは個人も国家も同じであるということがよくわかるエピソードではないでしょうか。

※参考資料:「春艸雑記」中谷宇吉郎著(昭和22年・生活社刊)