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政治ドットコムトピックス政治家の一言が歴史を変える? 昭和のびっくり失言

政治家の一言が歴史を変える? 昭和のびっくり失言

投稿日2020.12.6
最終更新日2020.12.09

国の行く末に大きな影響を持つ国会議員。彼らの一言が歴史を変えてしまうことも起こりえます。
ここでは、戦後日本の大宰相・池田勇人(いけだ・はやと)の有名な「失言」と、戦前の大蔵大臣・片岡直温(かたおか・なおはる)による日本国内外に大迷惑を掛けてしまった「失言」についてお届けします。

自信過剰から来る「失言」を連発

第3次吉田茂内閣で大蔵大臣を務めていた池田勇人は、吉田から強い信頼を得ていること、経済に強いと自認していることなどからくる自信過剰が災いし、問題発言を連発します。
1950年(昭和25年)3月1日、記者会見で「中小企業の一部倒産もやむを得ない」と発言したとして猛バッシングを受けます。

実際には、「中小企業の経営が最近厳しくなっていることは認めます。しかし、これは一度は通らなければならない関門です。信用が無いために、銀行からお金を借りられないのは経営者の責任で、政府の責任ではありません。そのために企業がつぶれても仕方がないのではないでしょうか」(※筆者意訳)という内容を話したもので、至極まっとうな内容に聞こえます。

ところが、翌日開かれた予算委員会で、上述の発言が新聞で報道されたことについて聞かれると「企業が倒産して、5人や10人が自殺してみても国民全体の数から見れば、大したことではない」と口にしてしまい、これがマスコミによって「中小企業の5つや10つ、倒産してもやむを得ない」と報じられ大炎上。野党から不信任案が出されますが、吉田茂がなんとか抑え、否決されています。

同年12月7日に開かれた参議院予算委員会で、米の値段と麦の値段に関する質問に答弁した際、次のように答えます。
「ご承知のとおりに戰争前は、米100に対しまして麦は64%ぐらいのパーセンテージであります。それが今は米100に対して小麦は95、大麦は85ということになつております。そうして日本の国民全体の、上から下と言っては何でございますが、大所得者も小所得者も同じような米麦の比率でやっております。これは完全な統制であります。私は所得に応じて、所得の少い人は麦を多く食う、所得の多い人は米を食うというような、経済の原則に副ったほうへ持って行きたいというのが、私の念願であります」

池田の真意としては、池田自身も貧しい家庭で育っており、幼い頃から麦を食べて生活していたため、「苦しいときには麦飯を食べてともに頑張ろうではないか」という思いで語ったものだったようです。
しかしマスコミは容赦しません。
「貧乏人は麦を食え」と池田が言い放ったと報じたため、この言葉も大炎上してしまいます。

さらに2年後の1952年11月27日に、社会党の議員から前述の「中小企業発言」を蒸し返して尋ねられると、「中小企業者が倒産し、思いあまって自殺するようなことがあってもやむをえない」と再び発言。このコメントも燃えに燃え、不信任案が衆議院を通過。通産大臣(当時)を辞任するはめに追い込まれています。

この様子を見ていた故・宮沢喜一氏は、「池田さんは総理になるのは無理だと思ったねえ」と後年述懐していますが、総理になれないどころか歴史に残る大宰相になるのですから、歴史というのはわからないものです。

たった一言が大恐慌を招いた歴史的な「失言」

笑えない失言もあります。
国会議員の不用意な一言が大不況と経済混乱を招いてしまった「昭和金融恐慌」です。
昭和金融恐慌は1927年(昭和2年)3月から発生しました。
当時日本は、1914年〜1918年に起こった第一次世界大戦の好景気を受け急成長。さらには戦争特需が終わった反動から来る不況にも耐え、株価・地価も上昇しました。
ところが、1920年に入ると一転して風向きが変わってしまい、3月15日には株式相場も大暴落。以後、不景気が続いていました。
そこに1923年(大正12年)に起こった関東大震災が追い打ちをかけ、暗いムードが漂った時代です。

1877年(明治10年)に設立された、当時の大銀行のひとつ、東京渡辺銀行も関東大震災で大きな被害を被った企業でした。
それまでの放漫経営のツケに加えて、震災の大ダメージ。1927年(昭和2年)当時、辛くも資金繰りには成功しますが、苦しい状態ではありました。

そこで迎えた同年3月14日に開かれた第52回帝國議会。
この場で、当時の大蔵大臣である片岡直温は、何を思ったか「東京渡辺銀行がとうとう破綻を致しました」と発言したため大騒ぎ。
「銀行が潰れるらしい」と不安に思った預金者が、銀行に殺到して預金・貯金・掛け金などを取り戻そうとする取り付け騒ぎが起こってしまいます。
マスコミ各社も「いまだ経営を続けている銀行が『破綻した』などと発言するのは問題だ」と総攻撃を加え、ますます延焼。
なんとか3月末には取り付け騒ぎは一段落しますが、4月に至っても混乱は続き、この責任を取る形で内閣(若槻礼次郎内閣)は総辞職。
代わって組閣された田中魏一内閣のもと、高橋是清が大蔵大臣となり事態の鎮静に務め、金融恐慌を沈静化させています。

※参考文献:「朝日新聞」/「毎日新聞」/「失言恐慌 ドキュメント東京渡辺銀行の崩壊」佐高信著、現代教養文庫刊


池田勇人


片岡直温

この記事の監修者
政治ドットコム 編集部
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