一人当たりの県民所得、60年の概況
「一人当たりの県民所得」 とは、雇用者報酬のほかに財産所得や企業の利潤など、県民や県内の企業などが得た所得の合計を県の総人口で割ったものです。
個人も企業も合わせた県民経済全体の所得を、県民の総人口で割っていますので、「県民一人の所得水準」を表すものではありませんが、都道府県別にどれほど経済が活性化しているか、ひとつの指標にはなるでしょう。
現在、内閣府が公開している昭和30年度(1955年)から平成29年度(2017年)までの62年間の、一人当たりの県民所得増減率(前年比)を通して見てみると、昭和30年代から一貫して10%以上の増加を続け、昭和48年度(1973年)のオイルショックによる狂乱物価の影響を受けた27.2%増をピークに、以後は徐々に増加率は抑えられていきます。
平成に入っても平成4年度(1992年)までは1.0〜7.0%台で増加していくのですが、平成5年度(1993年)、ついに-0.3%と減少。翌平成6年度(1994年)は0.4%増と盛り返しますが、平成9年度(1997年)〜平成11年度(1999年)まで3年連続で減少。
そして迎えた平成20年度(2008年)、前年に起こったアメリカの住宅バブル崩壊をきっかけにサブプライム住宅ローン危機に巻き込まれ、-6.0%の過去最大の減少を見せています。
翌平成21年度(2009年)もその影響は残り、-4.3%となりますが、以後はその割合は小さいながらも微増を続けています。
60年前の東京都の一人当たりの県民所得は現在の価値で約300万円
昭和30年度(1955年)、一人当たりの県民所得がもっとも多かったのは東京都の12万6000円でした。ちなみに、以後60年以上にわたってトップの座は東京都が占め続けます。
当時、高卒で公務員となった人の初任給が月額5900円でした。
令和2年(2020年)、高卒者の公務員初任給は月額15万600円ですから、約25.5倍。1位の東京都の12万6000円は、現在の価値でおよそ318万円程度となりそうです。
ちなみに昭和30年当時、自動車は一台およそ100万円。現在の価格で約2550万円ほどでしょうか。
キャラメルはひとつ20円でしたので、現在の感覚では約500円。かなりの高級品と言えそうです。
昭和30年度と平成29年度で上位10都道府県を比べてみると、大阪府がランキングから外れて圏外となっています。
大阪府の推移を10年区切りで見てみると、昭和50年度まで一人当たりの県民所得都道府県別で2位を維持していました。
東京都についで多かったのですが、昭和60年度(1985年)になると愛知県に抜かれてしまいます。
平成17年度(2005年)にはついに3位からも転落し、平成29年度にはトップ10からも脱落しています。
60年でもっとも一人当たりの県民所得が増加したのは山梨県
一人当たりの県民所得が、昭和30年度から平成29年度にかけて、どれだけ増えたのか、増加割合の多かった上位10県をピックアップしてみました。1位は山梨県で、額面で52.2倍に成長しています。
ランクインしている県を見てみると、いずれも地方都市が並んでおり、昭和30年当時は決して豊かではなかった土地だっただろうと推察されます。
山梨県の昭和30年度当時の5万7000円は、現在のおよその価値で145万3500円。12で割った月額では約12万円と、仮にこの額が「県民一人のいわゆる所得」としても生活していくにはかなり苦しい金額です。この金額には、企業の生み出した価値も含まれていますから、実際の「収入」はさらに低かったのが実情です。
平成29年度の数字も同様のからくりはあるのですが、およそ300万円と当時の約2倍にまで改善しています。
昭和48年の「狂乱物価」
一人当たりの県民所得が大きく増加したのは昭和48年度(1973年)でした。
昭和30年代は東京オリンピック(昭和39年/1964年)が開かれるなど、明るい話題もあったのですが、総じて求人難が続いた不況でした。
昭和40年(1965年)以降、景気は上向き、昭和45年(1970年)まで「いざなぎ景気」と呼ばれた好景気が続きます。
昭和46年(1971年)以降、インフレの傾向が出ていましたが、昭和48年(1973年)にいわゆる「オイルショック」が起こり、石油関連製品はもちろんのこと、あらゆる商品が値上げされ、狂乱物価となりました。
昭和48年度に一人当たりの県民所得が大きく跳ね上がっている原因でもあります。
インフレは政府により引き締め政策が浸透することで沈静化しましたが、翌昭和49年(1974年)下期以降、日本は大型不況へと突入していきます。