首相就任年齢は50〜60代が理想?
日本の憲政史上、もっとも若くして総理大臣の座についたのは、初代内閣総理大臣の伊藤博文氏でした。明治18年12月の就任時で44歳、まさに壮年、心身ともに充実した年齢での就任でした。
伊藤氏の首相就任年齢が若すぎたから、ということではないのでしょうが、彼以降、総理大臣の座につく人々の初就任時の年齢は、少しずつ上昇していきます。
2代目の黒田清隆氏が47歳、3代目の山縣有朋氏が51歳、4代目の松方正義氏が56歳、8代目の大隈重信氏が60歳。明治維新の元勲たちが、総理就任に列をなし、時間経過とともに初就任時の年齢が上がっていったということなのでしょうか。
もっとも若く総理大臣の責を担ったのが伊藤博文氏なら、もっとも年配で総理大臣に就任したのは誰でしょうか。
昭和20年4月7日、第二次世界大戦末期に第42代内閣総理大臣に就任した、鈴木貫太郎氏。彼が歴代総理大臣で最高齢の77歳で首相となっています。
鈴木氏を首相に推薦した重臣たちは、天皇から厚く信頼された軍人である鈴木氏に、戦争終結の任務にあたってもらうことを暗に期待しての推挙だったと言われています。
鈴木氏本人は、高齢であること、軍人は政治に関わるべきではないという主張(鈴木氏は海軍軍人だった)のもと固辞したものの、最終的には引き受けています。
首相に就任した鈴木氏は、表向きは「戦争完遂」を主張して主戦論者の強硬論をなだめながら、一方では原爆投下やソ連の参戦を迎えるにあたって、ポツダム宣言の受諾を選んでいます。
ちなみに、首相経験者、全62人のうち、初就任時の年齢が40代の首相経験者は3名(4.8%)、50代が19名(30.6%)、60代が28名(45.2%)、70代が12名(19.4%)という分布となっています。
初就任時の平均年齢は62.2歳。やはり、50〜60代のベテランが、実績や周囲への説得力という意味でも、存在感を示しやすいということなのかもしれません。
首相時のストレスは寿命に影響しない?
全62人の首相経験者のうち、51人の方がすでにお亡くなりになられています。
国家の重責を担う、内閣総理大臣という要職。職務をまっとうするにあたってのやストレス、多忙な日々から来る心身への過度なプレッシャーは、未経験の者からも容易に想像されます。
心身の健康に、ストレスやプレッシャーは大敵。総理大臣経験者の方々は、きっと短命に違いない……と思いきやさにあらず。みなさん、基本的には長生きされています。
すでに亡くなっている51人の方々の、亡くなった時点での平均年齢は76.7歳。平成29年簡易生命表によると、男の平均寿命は81.09年。先ほどの76.7歳という数字は、明治以前、天保12年生まれの伊藤博文氏など、明治〜大正時代の総理経験者も含んでいるにも関わらず、その差は約5年しかありません。
時代別に亡くなった時点での平均年齢を見てみましょう。
明治時代に総理大臣を務めた7人の平均享年は76.7歳。
厚生労働省が調査・公表している「完全生命表」によると(第1回調査)、明治24年〜明治31年における、20歳男性の平均余命は39.80年(平均寿命59.80歳)ですので、約16.7歳、一般市民より長寿だったようです。
大正時代の総理大臣経験者は、若干、平均享年が下がって74.6歳。第3回「完全生命表(1909-1903年」では、20歳男性の平均余命が41.06年(平均寿命61.06歳)と第1回調査と比較して延びてはいるものの、総理経験者と比較するとその差は13年ほどあります。
昭和の戦前〜戦中期になると、若干様相が変わります。
14人の首相経験者の平均享年はガクッと下がって71.1 歳。3年以上短くなってしまいます。第二次世界大戦という、未曾有の国難に立ち向かった重責から、短くなってしまったと考えるのは穿ち過ぎでしょうか。戦時中、医者や医薬品、食料などが不足したということも考えられるかもしれません。
第6回「完全生命表(1935-1936)」では、20歳男性の平均余命が40.41年(平均寿命60.41歳)。やはり11年以上の開きがあります。
昭和の戦後期では、劇的に寿命が延び、総理経験者17名の平均享年は82.9歳を記録します。医療の発達、食糧事情の改善が大きな要因ではないかと考えられます。
バブル期まっただ中に行われた、第16回「完全生命表(1985)」でも、20歳男性の平均余命が55.74年(平均寿命75.74歳)と伸長していますが、やはり総理大臣経験者のほうが、長く生きていらっしゃいます。
要職を歴任してきた国家の重鎮であるだけに、皆さん、最先端の医療を受けてきた。その結果、長生きしたというのが、理由のひとつと想像されますが、この想像を大きく裏切る首相経験者がひとりいます。
初の皇族内閣となった第43代東久邇宮稔彦王氏は、わずか54日の総理大臣期間を過ごした後に公職追放となり、臣籍降下もしています。
自ら事業を手掛けるも失敗続き。さらには新興宗教「ひがしくに教」の教祖に祀り上げられるなど、平成2年1月20日に亡くなるまで、長く数奇な人生を送ります。享年なんと102。
令和元年11月29日に第71〜73代の総理大臣を務めた中曽根康弘氏が101歳の大往生を遂げましたが、彼よりも長く生きた元総理経験者が、いらっしゃいました。