そんな大事なものなら……
静岡県出身の鈴木藤三郎は、氷砂糖の製法を考案するなど発明家として活躍し、豊田佐吉(トヨタの創業者)とともに「発明王」「特許王」と称されます。後に1904年の第9回衆議院議員総選挙に出馬すると見事当選。国会議員としても活動ています。
鈴木がアメリカ旅行に行ったときのこと。
長距離列車に乗り込み、ガタンゴトンと揺られながら、アメリカ大陸の壮大な景色を楽しんでいました。
旅行気分に浮かれていたのか、大切なかばんを網棚に載せることを忘れ、椅子の上に置きっぱなしにしてしまいます。
そこに、ようやく自分の席を見つけた白人女性がやってきて、ドスンと座り込みます。女性の大きなお尻の下には、鈴木のカバンがありました。
自分の過失も忘れた鈴木は「カチン」と怒り、女性の後ろに静かに回り込むと、背後から一気に敷かれたカバンを引き抜きます。
すると女性はそのまますってんころりん、仰向けにひっくり返ってしまいます。
当然、激怒する白人女性。
英語で一気にまくしたてられているためになにを言っているかは分かりませんが、とにかく怒っていることだけはよく分かる。
自分が売った喧嘩であるにも関わらず、負けじと日本語でまくしたてる鈴木。
互いに言い合い、罵り合っているなか、同行していた藤山治一(近代日本のドイツ語学者)が仲裁し、なんとか収まりました。
落ち着いた鈴木に「なんであんなことをしたんだ」と藤山が問うと、「カバンの中には母からもらった大事なお守りとメガネが入っている。これを、女風情の尻に敷かれるのは我慢がならなかった」とのこと。
そんなに大事なものなら、ちゃんと網棚に載せておけよ……と、仲裁した藤山も大いに閉口したとのことです。
どんなオチかは予測できると思います
同じく鈴木藤三郎のエピソード。
ヨーロッパへの周遊旅行へと旅立った鈴木は、パリのホテルに投宿します。
晩飯を食べようと食堂に入った鈴木一行に、ボーイがメニューを持ってきます。
もちろん、当時のパリのホテルのメニューに日本語表記などありません。
書かれているのはフランス語。
鈴木ら一行に、フランス語が読める人材はいませんでした。
それでも「これは献立表だろう」「となれば、日本料理と同じように、刺身、てりやき、酢の物といったように、各種の料理を並べているのだろう」と、メニューの上から順番に5品を注文します。
「これとこれとこれとこれとこれ」
「(フランス語で)これ?」
「これ」
「(フランス語で)本当にこれでいいの?」
「これ」
ボーイは怪訝そうな顔をしながらメニューと鈴木の顔を行ったり来たり見比べますが、一向に動じない鈴木。
ボーイは諦めて、厨房にメニューを伝えます。
少し経って料理を手に現れたボーイ。
まず一皿目の料理として、スープを運んできます。
鈴木は「なるほど、汁物から始まるのは日本と同じだな」と得意満面でスープを啜ります。
スープを飲み終わり、次はなにかなと楽しみにしている鈴木のもとに運ばれる
別のスープ。
「そうか、西洋にも二汁三菜とか三汁五菜という、オツなものがあるのだな」と、またしても美味しくスープを啜る鈴木。
また少しして現れるボーイの手に乗っているのは、またしてもスープ。
鈴木、ここにいたって「これはいよいよ失敗したかな……」と気がつくも時既に遅し。
その後も、五品目が運ばれますがことごとくスープだったとのこと。
同様のエピソードは貴族院議員や京都府知事を務めた木内重四郎にもあります。
アメリカを旅行していた木内。
なにかうまいものが食べたいと、土地で一番高級な料理屋に入ったところ、フランス料理店でした。
「これはうまそうだ」と喜んだものの、誰もフランス語が分かりません。
とはいえ「ナメられてはいけない」と、さも分かっているようなふりをして堂々と「これとこれとこれ」と注文すると、やってきた一皿目はウサギの料理。
「これは珍しい上にうまい」と舌鼓を打っていると、次に来たのもウサギ。三皿目も四皿目もやっぱりウサギ。
閉口した木内は早々に勘定を済ませると、「ピョンピョンとウサギのように逃げ出した」とのこと。
おあとがよろしいようで。
※参考文献:嬌溢生著「名士奇聞録」(明治44年・実業之日本社刊)