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政治ドットコムトピックス計画から55年、国会議事堂ようやく完成(昭和11年11月7日)

計画から55年、国会議事堂ようやく完成(昭和11年11月7日)

投稿日2020.12.6
最終更新日2020.12.09

1936年(昭和11年)11月7日、現在の国会議事堂が完成しました。1881年(明治14年)の国会開設の詔以来、55年を経ての悲願の完成です。
とはいえ、それまで帝国議会は連綿と開かれていきました。その間、議場となったのが初代〜3代目の仮議事堂でした。
ここでは、3つの仮議事堂と、日清戦争中に唯一、東京以外に建てられた臨時議事堂について解説します。

ギリギリの進行で完成した初代議事堂

1881年(明治14年)10月12日、明治天皇から国会開設の詔が出されました。
これにより、1890年(明治23年)に国会(議会)を開設すること、憲法を定めることが決定します。
この国会開設に向けて、議会を行う国会議事堂の建設が必要となりました。

初代議事堂は、1890年(明治23年)11月24日に完成しました。第1回帝国議会が開催されたのが11月29日ですから、いかにギリギリの進行だったかがわかります。
この仮議事堂が置かれたのは東京市麴町区内幸町2丁目。現在の東京都千代田区霞が関1丁目、いまは経済産業省が立っている場所です。
ドイツ人建築家アドルフ・シュテークミュラーと内務省臨時建築局技師の吉井茂則が設計したこの建物は、木造2階建ての瀟洒な建物でしたが、翌年1月20日未明、漏電による出火が原因で消失しています。(※この出火について詳しくはこちら→「明治24年1月20日、国会議事堂焼失の顛末とは?」


2代目議事堂も無念の焼失

初代議事堂が焼失してしまったことから、急ぎ2代目議事堂の建設が計画されました。
初代の議事堂を設計した内務省臨時建築局技師の吉井茂則が引き続き命じられ、ドイツ人建築家オスカール・チーツェとともに設計を行いました。
初代議事堂焼失から9ヵ月後の1891年(明治24)年10月、急ピッチで進められた建設が完了し、2代目議事堂が完成します。
初代に似た作りの木造2階建ての建物ですが、初代とは違い、中央の玄関のほかに貴族院・衆議院のそれぞれに玄関が設けられました。
以後、30年以上にわたって帝国議会が運営されていきます。

1923年(大正12年)に起こった関東大震災でも、一部損壊した箇所こそあったものの崩落や焼失は免れ、修復工事が行われながら使用されていきますが、1925年(大正14年)9月、工事業者の火の不始末を原因とした火災で焼失。議事堂は初代、2代目ともに、火事によって失われるという悲しい結末となります。

第二の首都・広島に建設された臨時議事堂

2代目議事堂が現役の中、日本は日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦と、3つの大きな戦争を経験しています。
1894年(明治27年)はちょうど日清戦争の真っ最中でした。

当時、大本営は東京の他に広島に置かれていました。そのため明治天皇は広島に常駐、広島は一時、第二の首都の様相を呈していました。
このころ、議会も東京を離れ広島で開かれます。これは、今に至るまで「議会が東京以外で開かれた唯一の例」です。
その臨時議事堂が、広島に建設されています。

現在の広島市中区基町に建設された建物は木造平屋建ての質素なもの。この場所は当時、陸軍西練兵場がありました。
設計を担当したのは内務省に所属していた妻木頼黄。国の大事を決める建物にも関わらずこれだけ質素に作られているのは、戦時中であることを反映したからかもしれません。
一定期間使われた後に議会は東京へと戻り、2代目議事堂が使われます。
臨時議事堂は陸軍が引き継ぎ、病院や兵舎として活用した後、1898年(明治31年)に取り壊されました。

わずか3ヵ月で建設された3代目

2代目議事堂の焼失からわずか3ヵ月後の1925年(大正14年)12月、3代目議事堂が完成します。
火災というイレギュラーを受けて急ピッチで準備を進め、予算獲得、人員手配、設計から建設と、多大なエネルギーを消費する国家プロジェクトでありながら、これだけ短期間で成し遂げることができるようになったのは、日本の国力が強化された証左かもしれません。

建物は初代、2代目と同様に木造2階建て。写真で比較するに、それまでの2つの議事堂よりもデザインは洗練され、新時代の国会議事堂として新たな時代を切り開く先進性をより感じられるものになっています。
3代目の議事堂は、1936年(昭和11年)に現在使われている4代目議事堂が完成するまで、約10年にわたって帝国議会議事堂として活用されました。

本議事堂完成まで17年

これまで使われてきた初代〜3代目の議事堂は、あくまで「仮議事堂」として建てられました。
本議事堂が着工したのは1920年(大正9年)。当時は2代目議事堂が現役でした。
ここから、本議事堂が完成するまでかかった年数はなんと17年。1936年(昭和11年)11月7日を待たなければなりませんでした。

初代が9年、2代目が9ヵ月、3代目はわずか3ヵ月しかかかっていないにもかかわらず、なぜこんなにもの時間が必要だったのか。
ひとつは1923年(大正14年)に起こった関東大震災が挙げられます。
建築中の建物こそ無事だったものの、工事を管轄していた大蔵省は全焼。設計図や建築模型も焼失してしまいます。
また、建設に必要な鉄材を運んでいた船が沈没し、再発注が必要になったことも工期の遅れに影響したと言われています。

1927年(昭和2年)にいたってようやく棟上式が執り行われ、9年後の昭和11年11月7日、現在の国会議事堂が完成しました。
それまでの木造2階建てから大きく進化した、地上3階地下1階、鉄骨鉄筋コンクリート造りの建物は、戦災にも天災にも耐え、今なお現役の議事堂として活用されています。
国会議事堂の意外と知らないトリビアについて解説したこちらの記事も、ぜひご覧ください→【国会トリビア1】議事堂のてっぺんにはなにがある?

この記事の監修者
政治ドットコム 編集部
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