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政治ドットコムトピックス議会開設から130年 開設までの歩みを振り返る

議会開設から130年 開設までの歩みを振り返る

投稿日2020.12.1
最終更新日2020.12.01

国会は2020年11月29日、1890年の帝国議会開設から130年となったことを受け、天皇、皇后両陛下と秋篠宮家の長女眞子さまをお迎えして、参院本会議場で記念式典を開催しました。
先人たちの苦難と努力によって制定された憲法と、開設された議会。どのように作られたのか、振り返ります。

民間の動きに刺激され憲法制定を決定

板垣退助らが主導した自由民権派の国会開設運動の高まりを受けて、民間でも国会開設の前提となる憲法の必要性が認識されるようになります。
結果、憲法草案や私擬憲法と呼ばれる民間で検討された憲法の私案が大量に作られました。
このような動きを受けて、政府でも天皇大権を至上とした欽定憲法(※君主によって制定された憲法)を制定する決意を固めます。
明治12年(1879年)、政府は参議に憲法意見の提出を求めると、山県有朋を筆頭に黒田清隆・山田顕義・井上馨・伊藤博文が順次提出しました。
しかし、首席参議だった大隈重信は明治14年(1881年)になっても提出しないので催促すると、明治15年末に議員選挙を行うべきというような過激な意見書を提出します。

これをきっかけに大隈を排撃するいわゆる「明治十四年の政変」が起こると同時に、明治23年(1890年)に国会を開く旨の勅諭が発せられました。
太政官に参事院が置かれ、内閣の命を受けて法規の起草およびその審査にあたることが決まり、伊藤博文が参議兼参事院議長となります。この任命が、後に初代首相へとつながっていきます。
各国の調査、国内での検討や議論を経て、明治22年(1889年)2月11日、明治天皇より「大日本憲法発布の詔勅」が出され、大日本帝国憲法が発布されます。
この憲法は、天皇が黒田清隆首相に手渡す欽定憲法の形で発布され、日本は東アジアで初めて近代憲法を有する立憲君主国家となりました。

総勢552名の貴衆議院が決定

第1回衆議院議員総選挙は明治23年(1890年)7月1日に行われました。
直接国税15円以上を納める満25歳以上の男子を有権者としていたため、主な有権者は全国の地主や富裕層、約45万人でした。これは総人口の1.24%にあたると言われています。
衆議院議員の定数は300名、原則として1区1名の小選挙区制で選挙は行われています。
最多得票となったのは佐賀県の松田正久で4548票、最小は23票で当選しています。300名の議員のうち士族は110名、平民は190名でした。

一方、貴族院では6月10日、多額納税者議員の選挙が行われ、45名が当選しています。
次いで7月10日、伯・子・男爵議員の選挙が上野の華族会館で行われ、その結果、伯爵15名、子爵70名、男爵20名の議員が決まりました。
さらに9月29日には国家に功労があるとされた者の中から、勅選される議員59名(その後2名追加されて61名)が任命されています。
皇族や公・侯爵は、満20歳以上になると全員貴族院議員となる決まりでした。それらを入れるとこの年、貴族院議員は総勢252名。この貴族院、衆議院両院の議員によって、アジアで初めての議会が開かれます。

明治23年11月29日、第1回帝国議会開会

第1回帝国議会は明治23年(1890年)11月25日に召集されました。
麹町区内幸町(現在の東京都千代田区内幸町辺り)に建設された仮議事堂を目指して、議員たちは馬車や人力車で登院します。
議事堂周辺では登院風景をひと目見ようと、黒山の人だかりになったと当時の資料が残っています。

召集日のには、議席の指定と正副議長候補の選挙が行われました。
貴族院ではすでに議長に伊藤博文、副議長に東久世通禧(ひがしくぜ・みちとみ)が決定していたため、衆議院の正副議長を決める必要がありました。
午前10時、衆議院議員は議場に入り、衆議院書記官長の曽禰荒助(そね・あらすけ)が仮議長席に着くと、「本日の景況を速記者に筆記させます」と発言します。議会の初めから速記をつけるのは日本が初めてだと言われています。
正副議長候補者をそれぞれ3名ずつ投票で選ぶ、これだけのことのはずでしたが、初めての議会、初めての投票ということもあり大混乱。12時間もかかってしまいます。
ようやく候補者3名ずつを天皇に奏上すると、翌26日、議長に自由党の中島信行が、副議長に大成会の津田真道が勅任されました。

そして迎えた11月29日、天皇が貴族院に親臨されて開院式が行われました。
「朕(ちん)貴族院及衆議院ノ各員ニ告ク」との勅語が下賜され、これに対して両院がそれぞれ奉答文を奉呈しました。以後、これが開院の慣例となり現在でも行われています。
この日は貴衆両院で議員規則を議決、両院協議会規定を定め、それぞれ全院委員長を選挙したと記録に残されています。
この第1回帝国議会から現在まで、綿々と議会の歴史は今日まで紡がれています。

※参考資料:目で見る議会政治百十年史(衆議院ホームページ内)


憲法発布之図 伊藤芳峡画

 


大日本帝国衆議院肖像 国輝画

 


第1回帝国議会開院式

この記事の監修者
政治ドットコム 編集部
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