江戸時代からの名家に嫁ぐ 池田厚子
旧名は厚子内親王。1931年(昭和6年)、昭和天皇と香淳皇后の第4皇女子として生まれました。
学習院女子短期大学卒業後の1951年(昭和26年)5月2日、中国・四国地方を訪問した際、後の夫となる池田隆政と面会します。
隆政は備前岡山藩主の家系。1603年(慶長3年)に池田輝政の次男・忠継が28万石で岡山に入封して以降の名家で、隆政の父・宣政は旧華族の元侯爵でした。
6月末には正式に見合いの場が設けられて婚約が内定します。
1952年(昭和27年)10月10日に隆政との結婚により皇籍を離脱。翌1953年(昭和28年)2月に有限会社池田産業を設立、1960年(昭和35年)5月には株式会社池田動物園となり、隆政は園長に就任しています。
神社本庁総裁、日本赤十字社岡山県支部有功会名誉会長など精力的に活動しています。
第126代天皇徳仁および秋篠宮文仁親王の叔母にあたります。
恋愛結婚と自由の象徴 島津貴子
旧名は、貴子内親王。1939年(昭和14年)、昭和天皇と香淳皇后の第5皇女子(第7子)として生まれました。
学習院大学在学中の1960年(昭和35年)3月10日、日本輸出入銀行に勤める島津久永と結婚し皇籍を離脱しています。
この婚姻は、宮家・華族の当主やその継嗣には当たらない「平民かつ次男」との結婚となり、これは皇室典範制定以来、初の事例です。
「お見合いで平民と結婚した」というニュースは驚きをもって報じられ、「恋愛結婚」「男女平等」「自由」の象徴として、一躍世間の憧れの的となっています。
降嫁後は、東京プリンスホテル内の店舗に就職する一方でタレントとしても活動、「異色の皇女」とも呼ばれています。
第126代天皇徳仁および秋篠宮文仁親王の叔母にあたります。
周囲には多数の総理経験者 近衞甯子
旧名は甯子内親王(やすこないしんのう)。三笠宮崇仁親王と同妃百合子の第1女子として生まれました。
学習院大学在学中の1966年(昭和41年)12月18日、日本赤十字社職員だった(後に社長)細川護煇と結婚し、民間人となっています。
夫の実兄は総理大臣経験者の細川護熙。実弟である寬仁親王の妃信子は、同じく総理大臣経験者の麻生太郎の妹です。
自身は、日本赤十字社副総裁や、学習院女子部の同窓会・常磐会の会長などを務め、1998年(平成10年)には長野オリンピック選手村名誉村長も務めています。
語学堪能な家元夫人 千容子
旧名は容子内親王(まさこないしんのう)。三笠宮崇仁親王と同妃百合子の第2女子として生まれています。
学習院大学修了後、スイスやパリで留学生活を送るなど、自由奔放な性格で知られています。
1983年(昭和58年)10月14日、裏千家15代家元・鵬雲斎千宗室(現・千玄室大宗匠)の長男である、坐忘斎千宗之(後に16代家元・千宗室)と結婚。2002年(平成14年)、夫の家元襲名に伴い第16代目家元夫人となりました。
茶道裏千家淡交会副理事長、国際茶道文化協会会長のほか、裏千家および茶道関連の法人の要職を務めています。
降嫁前提で育てられた皇女 黒田清子
旧名は清子内親王(さやこないしんのう)。明仁(上皇)と美智子(上皇后)の第1皇女子として生まれました。
夫妻にとって唯一の内親王(女子)だった清子は、「いずれは皇籍から離れる身」という想定で教育されたと言われています。
学習院大学卒業後、山階鳥類研究所非常勤研究助手に。これにより、労働対価による給与を得た史上初の内親王となりました。
2003年(平成15年)1月ごろ、兄である秋篠宮文仁親王の友人であり、自身も面識のあった黒田慶樹と再会。翌年にプロポーズを受け、承諾しています。
結婚後は、池田厚子の後任として伊勢神宮祭主を務めています。
出雲大社の宮司の妻 千家典子
旧名は典子女王。高円宮憲仁親王と久子との間に生まれた第2女子です。
学習院大学卒業後の2014年(平成26年)5月27日、出雲大社禰宜(当時)の千家国麿との婚約が内定したと宮内庁の西ヶ廣渉宮務主管が記者会見を行いました。
同年10月5日に入第の儀(じゅだいのぎ)が行われ、続いて千家の所属する出雲大社にて結婚式が行われています。
式後、婚姻届が出雲市役所大社支所に提出、受理され、皇族の身分を離れ、以後の名は千家典子となりました。
現在は出雲大社権宮司の妻として活動しています。
福祉への想いが紡いだ縁 守谷絢子
旧名は絢子女王。高円宮憲仁親王と同妃久子の第3女子です。
城西国際大学では福祉について学び、サッカー部のマネージャーも務めました。
卒業後は保育士の資格と社会福祉士の資格を取得。カナダへ海外研修にも赴いています。
2017年12月、日本郵船社員でNPO法人「国境なき子どもたち」理事の守谷慧と出会い結婚。民間人の「守谷絢子」となりました。
守谷氏との出会いは、守谷氏が途上国での支援活動を行っていたことから、「福祉を学んできた絢子の今後の勉強になれば」との、母・久子妃の紹介によるものと言われています。
眞子内親王殿下の結婚についてはさまざまな報道がありますが、幸せな決断がなされることを祈ります。
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千家典子
守谷絢子