ウクライナ戦争やパレスチナ紛争、中国の台頭など日本を取り巻く国際情勢は日々目まぐるしく変化しています。その中で日本の果たすべき役割も改めて問い直し続ける必要があります。その中で日本維新の会は、将来政権を担える政党として「現実的な外交と安全保障政策」を掲げています。今回は日本維新の会 国際局長で、外交部会長、政務調査会長代行も務める青柳仁士衆議院議員に日本維新の会の外交政策とその戦略についてお伺いしました。
(聞き手・文責:株式会社PoliPoli 秋圭史)
青柳仁士(あおやぎ ひとし)氏
日本維新の会 国際局長。国会議員団 政務調査会長代行。衆議院予算委員会理事。元・国連職員、JICA、コンサル、起業等を経て、政治家へ。米国、アフガニスタン等に駐在。早稲田大学政治経済学部、米・デューク大学国際開発政策修士卒。45歳、3児の父。
(1)ルールに従う側から作る側へ。国連職員から政治家への転身
ー国連職員から政治家に転身されました。政治家を志したきっかけを教えてください。
本当に救うべき人を救うためにはルールを作る側に立って、強いリーダーシップを取る必要があると痛感したからです。
元々、国連職員を目指した背景は国際社会の現実に若者として違和感を覚えたからでした。日本人の私たちは三食美味しくいただいている一方で、世界では多くの子どもが飢餓で亡くなっている。ここにすごく矛盾を感じたんですね。
もちろん豊かに幸せに暮らす人がいることは良いことです。ただ飢餓で苦しみ亡くなる子どもがたくさんいる状況を放置していて良いのかといった気がしました。
ただ国際機関の職員となり、実際に紛争国の支援に入ってみると政治の不条理を感じる場面が多くありました。地元の有力者の差配一つで資源の分配が決まってしまうこともある。現場ではお金も人も足りない。国際社会も酷い時は注目するべきところには注目せず、支援がうまくいっているように見せかけることすらある。そういう不条理をたくさん目にし、現場でいくら頑張ってもどれだけ世界を変えられるだろうかと思うようになりました。
厳しい環境の中で多くの人を救うには強いリーダーシップが必要です。それを痛感したのが、当時の国連高等難民弁務官事務所(以下、UNHCR)のトップ・緒方貞子さんにまつわるエピソードです。
湾岸戦争戦争の後に大量の難民が発生した際、国連は国際政治上の配慮から、UNHCRの難民支援活動を制限しようとしました。緒方さんはその決議を疑問に思い、目の前の人命を救うための活動を始めようとした。しかし、それは国連加盟国の意思に逆らうことになります。そのため、各国から来ているUNHCRの幹部のほとんどが動こうとしてませんでした。そこで緒方さんは、「あなた方は私の指示に従うどうか選ぶ権利がある。しかし、私は今すぐこの場であなたを首にする権利がある」と伝え、UNHCRの組織全体を現場に向かわせました。その後、この決断が多くの難民を救うことになり、国際社会も緒方さんの行動をとがめることができませんでした。
その緒方さんがJICAの理事長を務めていた際、アフガニスタンで一緒に働く機会がありました。その時、アフガン紛争の英雄で私が何時間かけても会えないような地元の豪族らがこぞって緒方さんに会いたがり、歓待する様子を目撃しました。彼らの親族の中に、緒方さんがイラク戦争の時に救った人たちがいたんです。緒方さんのリーダーシップで救われた人がたくさんいる、本当に世界で評価される人というのはこういう人なのだ、と実感しました。
逆にそこまでしないと本当に人を救うことなんてできないということでもありました。決められたルールの下で権力者の言うことを聞いて忖度ばかりしてたら何にも変わらない。大きく物事を変えていくとしたら、自分自身が国際政治の世界で力を持つ人間になるしかない。そのために世界の大国である日本の政治家を目指そうという思いがわいてきました。
ー国連職員に残る道もあったかと思います。
国連職員は報酬も良く、休暇も多く、ステータスも高く、仕事も充実している。多くの人が憧れるような良い暮らし、良い仕事といえます。家族もいるし、このまま国連にいれば幸せなんだろうとも思いました。しかし、出張で世界中を飛び回ってみると、やはり現場では何にも物事は変わってない。国連のスタッフとしてそこに目をつぶりながら働きつづけて良いのだろうかと思いました。
本当に世の中を変えるにはルールを変える側に行かなくてはいけない。国連職員を含む官僚はルールの下で動きますが、政治家はそのルール自体を作り直すことができる。ルールを作るプレイヤーになることが不可欠だと思い政治家への道を具体的に歩みだしました。
ーその中で日本維新の会で政治家になることを選ばれました。きっかけは何でしたか?
仕事柄、自民党や民主党(当時)など、日本の政治家の方々との接点はあり、出馬の選択肢は頭にはありました。ただ、どうもそうした既存政党で政治家をやっても何かが変わる気がしませんでした。国連でのキャリアを続けるか迷っていた時に大阪維新の会が維新政治塾という政治家の登竜門を開くという噂を聞きました。クレイジーな改革をやろうとする人たちがいるのを聞き、面白そうだなと。政治家も捨てたもんじゃないな、と思ったんです。そこでニューヨークから自腹を切って大阪まで行きました。正直最初はそこまで本気ではなかったんです。ただ会場に行くと、橋下徹代表(当時)が三千人以上の塾生の前で、ニコニコしながら「今日は北は北海道から南は沖縄までだと思うでしょ。なんとニューヨークから来た人もいるんですよ!」と嬉しそうに言い放った。「やばい、これ俺だ!」と思って、「ここでやめたら橋下さんはすごい嘘つきになっちゃうな」と。なので二回目の勉強会にも行くことになり、そこから出馬に至ります。その後、何度かの選挙と紆余曲折を経て議席をいただくに至ります。始まりはたまたまの縁だったと思います。
(2)時代の転換期に大きな構想をもった大胆な外交政策を進めたい。
ー日本維新の会は「現実的な安全保障政策」を打ち出しています。今の国際情勢に対してどのような認識をお持ちですか。
歴史の節目ですね。外交は時間軸なくして考えることができません。今だけを見ていても正確にとらえることはできないんです。
遡れば、今の国際秩序の基盤はは1945年から始まったブレトン・ウッズ体制、国連、冷戦に勝利したアメリカ主導の安全保障などに立脚しています
しかし、その基盤は1990年頃から崩れ始めている。今や安全保障理事会をはじめ、国連は機能不全に陥っています。1990年代にはアメリカは世界の警察の地位を降り、今やトランプ大統領誕生に代表されるように一国主義に走る傾向すらあります。中国やインドなど新興国の台頭は世界のトップレベルの覇権争いをするまでになりました。G7の存在感は比較的低下してきています。
今こそ次の国際秩序のあり方を構想する必要がある。過去30年間、成功体験の上で漫然と続けてきたことに真剣に向き合わなければなりません。
ーその中で特に重視しているテーマはなんでしょうか。
今一番大事なのは間違いなく経済安全保障でしょう。現代は戦争の手段が多様化し、軍事行動の前に、経済関係、人々の認知、情報等で実質的な優劣が決まる時代です。例えば、中国は一帯一路という方針の下で、鉄道を周辺国とつなぐことでヒト・モノ・カネの流通量を増やし、中国への経済依存を強めさせ、逆らえない関係を創ることなどを戦略的に進めています。対抗策として欧米を中心とする西側諸国は経済安全保障、すなわち、重要なヒト・モノ・カネの流れを同盟国・同志国内で完結させる仕組みをつくろうとしています。自然な流れと言えますが、経済安全保障が進めば第一次・第二次世界大戦前夜のブロック経済のような状態に近づくことになる。これは世界全体にとって大きなリスクです。これは世界各国わかっている。アメリカも中国もわかっている。だから今はチキンレースをやっているような状態です。昨年、日本が議長国を務めたG7首脳会合では「デリスキング」という考え方も出てきた。これは、ブロック経済化が進むは双方のブロックにとって戦争の可能性を高めるリスクだから、エスカレーションを回避しようという考え方です。
しかしデリスキングは現実には何の仕組みにもなってない。概念がふっと浮いてるだけです。その間、国際情勢は変動し続けています。中国は各国に認知戦を仕掛ける一方で、経済依存を進めるための資金拠出を進めている。サイバー攻撃も日常的に行われている。その中で日本は日米同盟に依存するばかりで主体的な思考は相変わらず弱いままです。
ウクライナ戦争が起き、パレスチナ紛争も続いている。他の地域で戦争が起こる可能性もあります。国際秩序を維持するためには戦争を仕掛けたほうが得をする形で終わらせては絶対にダメです。
ー日本維新の会が仮に政権を取った場合はどのような外交政策を採りますか?
外交に限らず自民党は構造的に微修正しかできない。大きく変えるのは維新しかできない。ただ外交は連続性が重要です。その方針を急にガラッと変えるのはあまりよくない。だから仮に維新が政権をとっても、これまでの基本的な方針は踏襲することになるでしょう。その上でゆっくり時間をかけながら大きな構想を描いて転換させていく必要がある。今の自民党外交に足りないのは構想なんです。次の世界はこうなる。だから日本の果たすべき役割はこれだ、といったものがない。日米同盟に頼りながら少しづつ修正するスタイルではもう限界なんです。
(3)日本は大国。強いリーダーシップで地球規模の課題を解決する責任がある。
ー激変する国際環境の中で日本が果たすべき役割は何とお考えでしょうか?
世界規模の課題を解決するリーダーシップを取るべきです。日本は客観的に見て大国です。GDPは世界4位。人口も11位。世界に200近く国がある中で立派なものです。しかも民主主義が根付き、生活水準も高い。こんな国はなかなかありません。欧米の先進国にだって国民皆保険のない国や貧富の差が極めて大きい国が多くある。日本は米国や中国のような覇権国ではありませんが、魅力溢れ、強い国際政治力を持つ大国なんです。
よく「日本はもうダメだ」というような声を聞きますが、卑下するような国ではない。世界国々を自分の目で見て欲しい。そして、日本に力があるなら、それは世界を良くするために使う責務がある。世界には困ってる人がたくさんいるんだから。多くの子どもが食べるものすらなくて餓死し続けているような世界を放置していてはダメです。現状をなんとかできるのは、日本を含む大国のリーダーシップしかありません。
ーそのために必要な姿勢は何でしょうか。
これまでにないイノベーティブなリーダーシップが必要です。例えば、ビル・ゲイツさんはゲイツ財団を作りましたね。最初に6兆5000億円を出し、毎年出る5000億円ほどの運用益で活動費を賄っている。元手が減ってないから持続的に活動できている。世界銀行の創設と運営に相当するような偉業をたった一人の起業家がやってしまった。
ゲイツさんは国際保健(グローバルヘルス)という明確に成果を出したい分野を絞った。ここで成果を出したい。ここで変化を起こしたい。だからそこに思い切りリソースを突っ込む。これは今までの国際機関の考え方とは全然違う考え方です。それぐらい思い切ったことを日本もやらないといけない。
批判されることを恐れて、すべての人や分野にお付き合いしているようでは今までのやり方を変えられません。UberにしろFacebookにしろAirbnbにしろ世界を大きく変化させるアイデアは最初は批判されるものです。最初から誰もが良いというアイデアに良いアイデアなんてありません。
異質なものを飲み込む度量がなければイノベーションは起きません。外交の世界も同じです。今は安心・安全を追求しすぎている。日本は本当の意味で課題解決する国になるべきだし、そのための外交をやるべき。私も今、党の国際局長や衆議院外務委員会の理事も務め、公的にも責任ある立場にあるので自ら牽引すべく日々の活動に取り組んでいます。
ーそのような青柳さんの考え方は党内の議論や国際局の議論でも意識されていますか?
はい。私の考えは日本維新の会の外交政策とほぼ一致しています。私は現在、党の国際局長と政務調査会の外交部会長を兼任しています。加えて国会では衆議院外務委員会の理事とIPU(※ 列国議会同盟。世界各国の議会による国際機関)の理事も務めています。党の外交政策に深く関わることができます。
日本維新の会の中の政策について言えば外交分野は他と異質です。党の正式な立て付けとしては、政策は政務調査会(政調会)で決まります。党の政調会は全国の議員団の政調会長が集まり、党全体の政策方針を考える場所です。一方で、国会議員団にも政調会があり、国会における政策を決めています。その中に各分野の部会があり、外交については外交部会があります。
政策領域の中で外交政策は特殊で、ほぼ国だけが扱うことになるため、国会議員団が議論をリードする形になります。農業や医療、経済のように各地域の政調会からの意見が上がってくる政策分野とは毛色が違うんです。結局、国会議員団の外交部が決めた方針が全体の方針になることが多いといえます。
もちろん今は野党なので国の政策には反映されていない限界もあります。ただ野党の立場で日本の外交を変えることを目標に日々活動しています。党で政策を練り、国会の委員会を通じて政府に質疑・申し入れをすることで政策をよりよいものにできる。それでも変わらなければ選挙を通して直接国民に訴え、政権をひっくり返す選択肢も追求できる。非常にやりがいのある仕事です。
並行して党の国際局長として継続的に他国の要人とも会い、パイプを築く外交努力も積み重ねています。日本にとって外交の窓口が外務省だけでは心許ない。だから野党を含む多くの政治家がつながりを作る意義は大きいんです。例えば、野党でありながらも台湾と日本が関係を持つことは、中国を牽制することにもつながる。国同士の関係は外務省のみが起こっているわけではなく民間も含む様々なアクターが重層的な関係性を構築しているのが実態です。その中で、政党外交という常識をつくっていきたいと考えています。
ー今後の政治家人生で一番成し遂げたいことはなんですか?
これまでのキャリアの中で取り組み続けてきた世界に広がる地球規模課題を解決することができたら、日本をそのためのリーダーシップを発揮できる国に変えられたら、政治家をやめてもよいと考えています。政治家は私にとって手段でしかありません。今の政治の中で野党という立場ではやれることは限られるため、政権交代は必要不可欠です。しかし、それも通過点だと思っています。そうした政界では異質な理念をど真ん中に掲げている日本維新の会でしか、私は政治をやれないだろうと思います。もっと自分自身が成長し、日本が発揮する国際的なリーダーシップの先頭に立つことを最終的なゴールと捉えています。