馬場雄基(ばばゆうき)議員
1992年福島県生まれ。慶應義塾大学卒業。
三井住友信託銀行や松下政経塾などを経て、2021年衆議院選挙で初当選(1期)
全国最年少・唯一の20代衆議院議員(当時)・初の平成生まれの国会議員となる。
(1)高校生の時に経験した東日本大震災こそすべての原点
ー馬場議員は福島県出身です。東日本大震災は政治家になることにどのような影響を与えていますか。
大学進学を控えた高校3年生の3月に東日本大震災を経験しました。まさに、身一つで上京する直前の出来事でした。震災から2週間後、高校の後輩たちに「東京に行くね」とお別れのメールを送ったら、返信の1つに「先輩、逃げるんですね」という言葉がありました。その時、「福島から離れることは逃げることを意味するんだ、少なくともそう見られているんだ」ということを実感しました。銀行に就職してからもその言葉が心の中でモヤモヤとした感覚として残りました。
そのようなモヤモヤした感覚が覚悟へと変化し、「絶対に自分の故郷から逃げない、逃げるわけにはいかない」という気持ちで常に様々な政治課題に取り組むようになりました。そして今、最大の目標である「2045年、福島の復興を責任を持って前に進めていく」を必ずやり遂げることを心に誓っております。
ー政治家になる直接のきっかけはなんでしたか。
福島を離れてからも福島への思いは積もり続けていました。私が福島に帰る決意をしたきっかけは、銀行時代に島根で出会った福島から避難してきた男の子でした。震災から既に5-6年が経過しているにも関わらず、その子は故郷に帰れず、笑顔になりきれていませんでした。そのような子供たちの笑顔を取り戻すために「自分が動かなければ一体誰がやるのだ」という強い気持ちが芽生え、福島に帰ることを決意しました。
ー故郷に向き合う方法はさまざまあるかと思います。政治家という手段を選んだのはなぜでしょうか。
私は、父が警察事務官、母は保育士とまったく政治とは無縁の家庭に育ちました。裕福な家庭ではなかったですし、政治家になるための地盤や看板を持っていたわけではありません。政治に興味・関心はありましたが、その時は決して自分が政治家になれるとは思っていなかったのです。松下政経塾に通っていたので「もともと政治家になりたかったんでしょ?」と、言われますが、それは違います。ただ、先ほどの男の子との出会いは、「人のために何かできる人間になりたい、一人の実践者でありたい」という思いを抱かせてくれました。
もう1つのきっかけがあるとしたら、小さなころから「自分のいる場所を楽しくしたい」と思い、行動し続けていました。たとえば「クラブ活動をするならクラブを楽しくしたい」や「学校にいるなら学校を楽しい場所にしたい」などです。ひるがえって思うと、それはすべて政治家になることにつながっていたのかもしれません。
(2)2045年の福島復興に向けて今の政策をどのようにみるか
ー2045年に向けて、福島の復興政策の不十分な点について教えてください。
1つは、復興に関する政府の組織や役職が軽く扱われていることです。震災から13年。その間に復興大臣が何名就任されたかご存知でしょうか。なんと14人です。私が国会議員になった2年半の間でも復興大臣は4人目です。
しかも歴代復興大臣の所信表明の内容は、ずっと変わり映えしていません。大臣の決意や政策方針を発表する演説で同じ内容が繰り返されているようでは、その時々にあった柔軟な政策を打ち出したり、これまで積み上がった課題が解決されることはありません。
そこで私は国会でこれまで繰り返されてきた大臣の発言の中で内容が同じ部分をすべて塗りつぶし、その書類を示しながら「大臣これでいいんですか」と現在の土屋復興大臣に問いました。結果として、次の所信表明演説では大幅に内容が変わっていました。
このこと自体は小さなことかもしれませんが、大臣の覚悟と復興庁の考え方が切り替わった表れではないかとも思うのです。その変化こそが政策への落とし込みにつながると期待しています。
2つ目は、復興に関する未来の話をする時に、国会は真剣に向き合わない傾向があります。たとえば、JESCO法という法律があります。廃炉までのプロセスで発生する除染土壌をまとめておく中間貯蔵施設について定めた法律です。それによれば除去土壌を、2045年までに最終処分完了することが国の責務となっています。それをブレイクダウンすれば「今、何をしなければいけないか」が判るはずです。
今、手を打てば施策の可能性は大きく広がっていきます。たとえば、なぜ原発調査に入れる国際機関はIAEAだけなのでしょうか。世界各国の研究機関に調査に入ってもらい多角的な知見を集めることもできるはずです。より廃炉までのプロセスを合理化、効率化することもできるでしょう。
しかし政府はその選択を取らない。百歩譲ってIAEAだけが査察に入ることになったとしても、情報公開の透明性を担保することはできるはずです。しかしその情報公開も不十分と言わざるをえません。このことは委員会の度に政府に求めています。
十分な実践が積み重ねられないまま2045年を迎えたとしたら、誰が決断できるのでしょうか。未来に向けて真剣な議論をする覚悟を決めれば、まだまだ2045年の目標に達する力が残っていると考えています。
(3)若者が主体者として政策サイクルを回す機会を作る
ー2021年の衆議院選挙で初当選されました。最年少の議員から見た日本政治の課題はなんでしょうか。
「まず隗より始めよ」が実践できていないことです。たとえば「デジタル社会を目指す」と言いながら、国のデジタル化は進んでいません。そうなると国民の皆様に対して何を説明しても説得力はありません。
その根本にある課題は物事をしっかり「定義する」ことができていないことです。例えば政府が重要政策として掲げる「賃上げ」もしっかり定義付けできていませんし。福島復興について言えば「廃炉」も定義付けされているとは思えません。
政府は外国や国際機関が定めた定義を引っ張ってくることに慣れきってしまっています。他国の議論を参考にしながらも日本の実情を踏まえ、「これが日本にとっての賃上げです」「これが日本にとっての廃炉です」と主張しなければ、建設的な議論にはなりません。
さらに怖いのはこの状況下で失敗を許容する土壌が弱いことです。先日、経済産業委員会で水素とCSSに関する質疑を行いました。経済産業省は水素に7兆円、CSSに4兆円の予算を設け、巨大な補助金を作りました。
仮にこの政策が失敗した場合、どのようにその失敗をカバーするのか、誰が責任を取るのか。国民への説明責任をしっかり果たしていません。そもそも、政策の成功を定義することから逃げているので、何が失敗なのか、何が成功なのかを判断することができなくなっています。
より良い政策を作り、サイクルを回すためにも、挑戦し、行動し続けられる政治の基盤を作らなければならないと思います。これまでの政治の中では当たり前になっていた価値観から、新しい価値観にOSを変えることが政治の世界でも求められています。
ー立憲民主党の党内では「りっけんユース」の活動にも取り組まれています。
この国の課題は政策サイクルを回す経験を持った人がほとんどいないことです。政治・政策は誰かを思い続け、誰かのために実践し、その先の現場に笑顔と未来が芽生えるようにアクションし続けることです。だからみんなが主体者なんです。
自分が主軸となってモノゴトを動かす機会や経験がこの国には足りない。であればそのサイクルを作ろうと。その思いから「りっけんユース」では政策立案・政策提言の機会や経験を作り続けています。
デジタル社会になり、全員が主体者である時代になりました。りっけんユースの活動で私たちが挑戦していることは「みんな失敗してもいいから挑戦しよう」ということです。
政策を作り、提言し、改善する。そのサイクルを回すことこそが、若者がこれからの日本の社会の政治の軸になっていくために必要な経験だと思います。
ー「りっけんユース」の活動で具体的にいい事例があれば、教えてください。
2023年のこども政策に関連するりっけんユースの提言に「経済的理由で理想の子供の数を持てない方をゼロにする」というものがありました。この提言は自民党の政策パッケージにも組み込まれました。これは彼らの大きな自信になったと思います。やってみなければ結果は分からないと改めて思いました。また同時に、諦めず、泥臭く積み上げることこそが大事なのだと再認識しました。
若者と政治をつなげる活動に取り組んでいると「投票率を上げるために何が必要か」を問われることが多くあります。ただ投票率を上げることだけにこだわることには少し違和感があります。投票率が上がれば政治がよくなるわけではないからです。むしろ政策サイクルを回せるようになることで、主体的に政治に関わる経験を作る。その結果、投票率も上がる。そのようなアプローチも追求するべきであると今は考えています。
ーどうしても政治の世界は民間よりもスピード感が遅い傾向にあります。その中で手触り感を持ってチャレンジするために必要なことはなんでしょうか。
とにかく汗をかくことだと思います。政治の世界は遅くて当然です。お金を稼ぐ民間企業とは異なり、政治は社会全体のダイナミズムを動かす力を持っています。あらゆる政策に光と陰があるわけですから慎重に慎重に検討する必要があります。「時間がかかって当然」、「うまくいかなくて当然」だと思っています。
その中で一番大切なのは「成功するまでやり続けること」だと思います。1回失敗しても、そこで終わってはダメで、また次の施策をやろうと行動に移せることが大切です。だからこそチームが必要だと思います。1人ではへこたれることも、チームならばなんとかなる。そこに「りっけんユース」の存在価値があります。政治・政策に関わろうとするものであれば、やりきる覚悟こそ最も必要です。
ー社会課題を解決する方法として政策がある、との認知はあまり広がっていないと思うこともあります。
私が考える政策とは「誰かのことを本気で思い続け、誰かのために本気で行動し続けた結果、現場に笑顔と未来が生まれる」ことです。立志から実践に本気でコミットすることで現場に笑顔と未来が生まれる。
この一連のプロセスを実施するのが政策であり、政治家はそれを執行する1人のプレイヤーにすぎません。政策は何も政治家だけがやることではありません。誰もが実践できることなのです。自分のことだけではなく、人のために一生懸命になれるということは本当に素晴らしいと思います。
(4)時間軸を大切に。常に実践者でありたい
ー復興政策において、どのような視点から政策を進めていきますか。
復興政策を進めていく上では時間軸を大事にしたいと思っています。新しい高校1年生は震災を知りません。東日本大震災当時、私は高校生でした。あの時の大人たちに支えられた。次は私たちの番です。震災を知る我々が決着をつける必要があります。次の世代に決断を先送りはできません。
復興を進める上では大きな決断を要するテーマが山積しています。2045年の姿を見据えた上での中間貯蔵施設のあり方、燃料デブリの処理の方法、廃炉の形、帰還困難区域のあり方など。
これらの課題について提起することは、先送りしたい政治家にとっては耳の痛い話です。だから私は嫌われます。しかし私たちの福島は分断ではなく紡ぎ合う歴史を選び続けてきました。誰しも選びたくないことを乗り越えて、前に進もうと思って、苦しいところを噛みしめ、グッと我慢しながら歩いてきた。その歴史が福島の13年間だと僕は思うんです。
だからこそ、時間軸の中で何をしなければいけないのか。そこをはっきりとさせることが今の復興政策にとって一番大切なことだし、この定義がなければ復興政策は絶対できません。
今の政治に一番大切なのは、分断を作ることではなく紡ぐことです。紡ぐ志を持ちながら決断すること。時間軸のなかで決めていき、現在の主体者が取らなければならない責任を一つ一つ積み重ねていった先に未来を作り上げていく。これを最も大切にしたい。
この問いはすべての政策において当てはまることだと思います。年金もそう。社会保険料もそう。すべてが同じ問いで構成できる。このことが2年半の国会議員としての活動の中からわかってきたことです。だから、私は復興に軸を置いていますが、これだけをしていればよいとはまったく思っていません。むしろこの根幹を軸に据え、常に実践者でありたいと思いながら、「何を言うかではなく、何を成すか」、これを意識し行動していきます。