「政治をもっと身近に。」
政治に関する情報をわかりやすくお届けします。

政治ドットコムインタビュー政治家インタビュー自由民主党・岩屋毅議員に聞く!派閥を超えた新たな政治とは?

自由民主党・岩屋毅議員に聞く!派閥を超えた新たな政治とは?

投稿日2024.6.5
最終更新日2024.08.21

昨年11月、自民党の派閥の政治資金パーティーの収入の一部が政治資金収支報告書に記載されず、所属する議員へのキックバックが行われていたことをきっかけに、国民の政治不信が高まっています。今回のインタビューでは、今年1月に所属する麻生派(志公会)を退会した自由民主党・岩屋毅議員に、国民の信頼回復のために政治家は何をすべきか、政治資金規正法などによる不正を防ぐ仕組みはどのようにあるべきか、また、岩屋議員の政治家としてのこれまでと今後の展望についてお伺いしました。

(文責:株式会社PoliPoli 秋圭史)
(取材日:2024年4月24日)

岩屋毅議員インタビュー

岩屋 毅(いわやたけし)議員
1957年大分県別府市生まれ。早稲田大学卒業。
1990年衆議院選挙で初当選。現在9期目。
第4次安倍改造内閣にて防衛大臣。

(1)政治家となった父に影響を受け、政治の道へ

岩屋毅議員インタビュー

ー政治家を志したきっかけはどのようなものだったのでしょうか。

大分県議会議員だった父の影響を受けました。父はもともと放射線科の医師だったのですが、大分県に医大を作ることを目的に県議会議員となりました。父の背中を見ながらぼんやりと政治家を志していたのですが、決心が固まったのは鹿児島のラサール高校に入学してからです。同級生たちの秀才ぶりを見て、これは勉強では勝てないなと(笑)。

学内で優秀な人たちはこぞって医者を目指していたので、自分はあえて人と違うことをしようと思いました。父も医者になることを強く勧めませんでしたね。父が中国のことわざ「小医は病を治し 中医は人を治し 大医は国を治す」をよく口にしていたのを覚えています。それならば自分は大医を目指そうと決心したのです。

ー早くから政治家の道を目指されたんですね。高校卒業後はどのような進路を進まれたのでしょうか?

早稲田大学に入学してからは、雄弁会に所属しました。いわゆる弁論部です。早稲田大学の雄弁会は数多くの政治家を輩出してきた名門で、ここで活動することが政治家への足がかりになると考えました。実際に雄弁会の先輩から選挙活動のアルバイトを紹介されたことが政治活動に直接関わるきっかけとなりました。鳩山邦夫代議士の事務所で選挙活動を手伝い、そのまま事務所スタッフとして活動しました。大学卒業後は正式に秘書となり、6年間勤めました。一方で、3期目で落選した父親の姿を見ていたので、いつか地元に戻って議員になろうという思いもありました。

ー29歳で大分県議会議員選挙に出馬され、32歳で衆議院議員選挙に出馬されています。

初めての選挙に出馬したのは1987年。私が29歳のときの大分県議会議員選挙です。衆議院議員選挙に出馬するために大分県議は2年半で辞任しました。転身のきっかけはリクルート事件です。国民の中に大きな政治不信が巻き起こるのを目の当たりにし、若い力で国会で政治改革をやらねばならないと思ったのです。当時はまだ中選挙区制で、下、定数3を自民党が2議席、社民党が1議席で分け合うことが長く続いた無風の選挙区でした。新しい風を吹かせなければ改革は前に進まないと訴えて当選することができました。

※リクルート社が、与野党議員、省庁関係者、マスコミなどに公開後値上がり確実な関連会社の未公開株を譲渡し、計12人が起訴された事件。リクルートが政治家に多額の献金を行なっていたことや、パーティ券を大量に購入していたことが判明し、当時の竹下登内閣が総辞職した。

(2)派閥を解消し、もう一度政治改革を

岩屋毅議員インタビュー

ー当選された当時も政治不信の嵐だったんですね。

デジャブというのでしょうか。現在の政治資金に関する問題を目の当たりにして、いつか来た道に戻ってきてしまった感覚を持っています。リクルート事件のあと、1989年5月に自民党は政治改革大綱をまとめました。政治改革に関する基本的な方針を定めた文書です。

その中で自民党は「派閥の弊害除去と解消の決意」を盛り込みました。総裁をはじめとする閣僚は任期中は派閥を離脱することを定め、派閥による政治資金パーティーもやらないと決めたのです。しかしこの30年で「政治改革大綱」の精神はなし崩しになり、派閥が党の人事や資金を左右する構造が復活してしまいました。

ー岩屋議員は今年1月に所属していた麻生派を離脱しました。どのような思いがあったのでしょうか?

もう一度原点に立ち返りたいと思ったからです。自民党を一から立て直すためには、すべての派閥を解消する必要があると考えました。今年1月、岸田総裁は自身が率いる岸田派(宏池会)を解散しました。総裁が自分の派閥を解散するというのは非常に思い切った決断です。私はこの決断を尊重し、自民党の再生のために党内は足並みをそろえてすべての派閥を解散するべきだったと考えています。結果的に麻生派は解散を選びませんでしたが、私個人としてまず政治改革に立ち向かった原点に戻るべきだと思ったのです。

ー政治家はどのように活動していくのが理想なのでしょうか?

閉鎖的だったこれまでの派閥に代わり、もっとフレキシブルな政策集団をつくるべきです。志を同じくする政治家が互いに研鑽できる集団を作っていくべきだと思う。いったん入ると抜けられない。分裂や再編もなかなか起きない。そのような組織運営のあり方では時代の激しい変化に対応できないでしょう。

かつての自民党の派閥はもう少し風通しのよさがあったと思います。たとえば佐藤栄作さんが総理大臣だったときには、福田赳夫さんも田中角栄さんも佐藤派にいた。けれども、佐藤栄作さんが辞めるとなったときに、田中さんは自分で派閥を作って福田さんと争ったわけです。

「三角大福中」の時代、それぞれの派閥のリーダーが自民党総裁の候補でした。次の総裁選に照準を当て、党内のそれぞれのグループで闊達な議論が行われる。そのなかで、一人の人が総理・総裁となればみんなで支える。その時代が終わるとまた離合集散がある。そんなサイクルが自然な姿だと思っています。

自民党が与党である以上、自民党の総裁を選ぶことはすなわち総理大臣を選ぶことになります。自民党議員にとって総裁を選出することは極めて重い役割です。その決断を派閥任せにするのではなく、議員個人個人が自ら判断することが本来のあるべき姿だと思います。

※「三角大福中」とは、木武夫、田中栄、平正芳、田赳夫、曽根康弘の5名が総理を争ったことから、各人の名前の1文字を取って表した言葉。

ー政治資金の透明化はどのような形で進めていくべきでしょうか。

政治資金規正法違反に対する厳罰化が必要です。4月23日に政治資金規正法の改正に向けて自民党が独自の案をまとめました。この案では、政治資金収支報告書を議員本人がチェックし、「確認書」を作成することになっています。また、会計責任者が虚偽の記載や不記載で処罰された際に、議員も責任を問われ、議員の公民権が停止することを盛り込んでいます。

公職選挙法には候補者に近しい秘書、親族などが、買収罪などを犯した場合、候補者が買収と関わっていなくともその選挙の当選は無効となる「連座制」の仕組みがあります。同様に政治資金規正法も悪質な場合は公民権停止にする。厳罰化によって抑止力を働かせるための改正が必要であると考えます。

ー選挙にはお金がかかるイメージがあるのですが、派閥に頼らず政治資金を集めるにはどうしたらよいのでしょうか。

政治家一人一人が自立できる活動資金を透明性がある形で集められることが重要です。たしかに選挙や政治活動にお金はかかります。何十万人もいる選挙区の有権者に自分の政策を伝えるためには様々な経費がかかります。事務所の運営費から人件費、印刷費、東京と地元を往来する交通費など政治家個人の責任で賄う必要があるのです。自分の活動にかかるお金を集めるのも政治家の仕事の一つなのです。

その一つの手段として政治家個人の政治資金パーティーやそれに類するような催しものがあっていいと思います。大事なのは透明性です。政治資金収支報告書を通じて、きちんと報告し説明責任を果たせる状態を作っておくことが大切です。

政治家個人のパーティーまで封じてしまうと、政治家の活動が党に依存することになる。いわば政治家が党のサラリーマンになってしまうと思います。サラリーマンになった政治家はいざというときに自分で判断できません。どうしても党の意向を伺ってしまいますからね。一人でものを決められない国会議員に国の進路を任せるのは危険です。

ーSNSでは政治献金をすべて廃止しろ、という声もあります。

政治資金の集め方はそれぞれの政党が持つバックグラウンドによって違いがあります。たとえば宗教団体がバックになっている政党もあるし、労働組合が日頃から人手の面でも資金の面でも支えている政党もあります。

自民党は地域で頑張る幅広い層に支えてもらっている国民政党です。だからこそそれぞれの議員は不断の努力で一人一人の支援者を開拓していかなければなりません。

よく勘違いされますが、政治資金と政治家個人の収入はまったく別物です。政治家にだけとんでもない特権があるように言われますが、政治家の給与である歳費と政治資金はまた別のものです。政治資金は文字通り、政治活動のための資金です。

国民政党である自民党だからこそ政治資金を集めるには議員それぞれの自助努力が必要です。その上で、政治資金規正法をきちんと見直す。国民のみなさんにも政治活動に必要なお金の実情をちゃんと伝えて、適切な方法での政治資金集めに協力していただきたいと思っています。

(3)これからの日本が目指すべきは令和の「小日本主義」

岩屋毅議員インタビュー

ー政治家として成し遂げたいことはなんですか?

日本の次の100年のビジョンを打ち立てなければならないと思っています。急激な人口減少が進む日本はこれまでとはまったく異なる社会になっていくことになります。戦後60年で日本の人口は5,000万人増えましたが、これからの60年では逆に5,000万人が減っていくんです。その時代における国家ビジョンとして私が注目しているのは石橋湛山の「小日本主義」です。石橋湛山は戦前、日本の軍拡や植民地支配を批判して、「大日本主義」から「小日本主義」への転換を唱えた人物です。

人口が急減する中、かつてのような高度成長はもう起こり得ないし、GDPも他の国に追い越されていきます。これからは、国全体のGDPではなく、国民一人一人の豊かさや、幸福度を競っていくべきです。日本周辺の安全保障環境も厳しくなり、一定程度の防衛費の増大は仕方がありません。しかし、私はそれ以上の背伸びをする必要はないと思っています。一番大事なのはやはり外交を通じて平和を守ることです。そして、自由で民主的な日本に、外国の人にもどんどん来てもらえばいい。DXを進め、AIも駆使し、少ない人数でも安定的に持続的に成長していけるような経済モデルを作っていく。そういう次の時代の日本の土台を作る。これを政治家としてやり遂げたいと思っています。

※石橋湛山(1884~1973)は日本のジャーナリスト、政治家。1956年から57年にかけて内閣総理大臣を務めた。

この記事の監修者
政治ドットコム 編集部
株式会社PoliPoliが運営する「政治をもっと身近に。」を理念とするWebメディアです。 社内編集チーム・ライター、外部のプロの編集者による豊富な知見や取材に基づき、生活に関わる政策テーマ、政治家や企業の独自インタビューを発信しています。