
橋本幹彦 はしもとみきひこ 議員
1995年千葉県八千代市生まれ。防衛大学校卒業後、航空自衛官として勤務。
経営コンサルティング会社やキャリア支援NPOでの勤務を経験。
2024年10月の衆議院議員選挙で国民民主党より立候補し、初当選(1期)。
第50回衆議院選挙が2024年10月27日に投開票され、99名の新人議員が誕生しました。『政治ドットコム』では、初当選を果たした国会議員の方々にインタビューし、政治家を志したきっかけや実現したい政策などを深掘りしていきます。
今回のインタビューでは、国民民主党公認候補として立候補し初当選を果たした橋本みきひこ議員に、政治家を志したきっかけや国民民主党を選んだ理由、これから注力したい政策について伺いました。
(取材日:2024年12月19日)
(文責:株式会社PoliPoli 秋圭史 )
信念を貫き、歴史を動かす人間になりたい
―もともと政治への関心は高かったのでしょうか。
政治に対する関心は幼い頃から持っていましたね。物心がついたくらいのときに小泉総理の郵政解散があり、政治って面白そうだなと感じたことを覚えています。
また、私が生まれた年に起きたオウム真理教の地下鉄サリン事件の影響も大きかったです。自分が生まれた年にこんなことがあったのだと。日本ってなんで混沌としちゃったんだろう、どうして夢も希望も持てないような社会になっちゃったんだろうということを人生のテーマとして考え続けてきたなかで、とても印象的な出来事だと思っています。
そんななかで自分に大きな影響を与えたのが、中学1年時の台湾の李登輝元総統との出会いでした。「日台文化交流青少年スカラシップ」の作文部門で優秀賞をいただき、台湾の研修旅行に参加。そこで、李登輝さんから日本語でお話を聞くことができたんです。
それまでの権威主義体制を引きずっていく選択肢もあったと思うのですが、李登輝さんは信念を持って民主化を断行していった。台湾は長い間、戒厳令が敷かれていたため、各議員が民主化選挙をことに承諾しなければ民主化は実現しません。李登輝さんは議員一人ひとりを説得して民主化を成し遂げたんです。
李登輝さんのお話を聞いて、こんな生き方をしたいと思いました。その頃、色々な人の伝記を読んで、李登輝元総統以外にも杉原千畝、新渡戸稲造、米国のジョン・マケインを尊敬するようになりました。そして、彼らのように社会へ大きな働きをしたいなと。彼らはけっして時流に乗った人間ではないんです。一匹狼と言われても自分の信念を貫き、結果として歴史を大きく動かした。自分もこんな人間になりたいと思いましたね。
―それから政治家を志すようになったのですか。
いえ、小学校高学年から高校生までは外交官になりたいと思っていました。ただ、高校3年生になり、自分は官僚になるために勉強してきたのだろうかと疑問を感じたんです。もちろん官僚も素晴らしい仕事だと思うのですが、新渡戸稲造や杉原千畝みたいな働きができるだろうかと。
私が通っていた千葉高校は官僚を多く輩出している学校だったので先輩のお話を聞いてみたところ、なんか違うなと。世界史が大きく動くなかで、日本全体の大きなビジョンを持って自らの信念を貫けるだけの裁量があるかというと、違う気がしたんですね。そこで政治家になろうと思ったんです。
―高校卒業後、防衛大学校を経て航空自衛官になります。どのような経緯で航空自衛官になったのか教えてください。
いきなり政治の道に入るのではなく、まずは自分自身が働いて国に貢献して、その上で社会に対する責任ある立場に就こうと考えたんです。20代は自衛官として奉職し、国家とは何なのかを身をもって体験する。30代ではビジネスの世界で経営をして、経営的な才覚やリーダーシップを磨く。また、選挙はお金がかかるとも聞いていたので、ビジネスをして蓄えたいという思いもありました。そして40代から政治家になる。そんなビジョンを立てたのが高校3年生の6月でした。
このビジョンは、尊敬するジョン・マケインの生き方を参考にしたものです。ジョン・マケインは海軍兵学校から海兵隊へ入隊し、ベトナム戦争ではパイロットとして北ベトナムに空爆しました。しかし撃墜されて捕虜になり、ものすごい拷問を受けてしまう。食事の中に石を混ぜられて歯がボロボロになったり、腕をロープでつるされて骨の形が曲がったりとか。そんな中でも信念を貫いて、上院議員になって彼が最初にした仕事がベトナムとの国交正常化だったんです。
これはなかなかできることじゃないですよね。個人の恩讐を超えて、これが国のため、世界のためになるのだと。相当な精神力とビジョンがなければできないことだと思うんです。自分がジョン・マケインのようになれるかは分からない。自衛隊が厳しいところであることは分かっていたので、もし自分の志が折れるようなら、自分はそれまでの人間だと思って諦めようと。清水の舞台から飛び降りる思いで、防衛大学に進学しました。
―当初は40代で政治家になるビジョンだったのですね。航空自衛隊、経営コンサルティング会社を経て、28歳で国民民主党から政治の世界に飛び込むことにした理由を教えてください。
国民民主党なら志を貫けると思ったからです。色々な政党がありますが、100%自分の思いと合致する政党は存在しません。国民民主党の全ての政策が私の考えと合致しているわけではないのが正直なところです。
ただ、私が惹かれたのは国民民主党が極めて真面目な政党であるところ。政策本位で議論ができて、新人議員であろうが筋が通っていれば耳を傾けてくれるんです。国民民主党には、穏健で教養ある態度を持った人が集まっている。政策はもちろんなのですが、それ以上に人が大事だと思っています。志を貫ける環境であると。それを支えてくれる人がいると思い、国民民主党から出馬することを決めました。
選挙のことだけを考えたら、悪手だったと思います。当時は支持率1%だったので。でも、他の政党はギラギラしすぎているというか。社会の全体のことよりも私利私欲で動いている要素が強いのではないかと感じ、やっぱり国民民主党だなと。
自衛隊が変われば、この国の組織文化が変わる
―政府や国会で自衛官の待遇改善について議論されています。現場を知る橋本議員はどのようにご覧になっていますか。
今の国会の安全保障や国防、自衛隊に関する議論を私は苦々しく見ています。議論が上滑りしているというか、手触り感が全くないんですね。与党はひたすら「べき論」を言い、野党は表層をなぞるようなことしか言わない。本質的な議論がされていないんです。
国会で議論されるのは、予算や装備品、不祥事といった、分かりやすい数字やニュースで取り上げられていることばかり。これらはあくまで表に現れている問題の一部であり、問題になっていないことこそ議論しなければいけない。自衛隊に関して考えるべき本質は組織文化であると、私は考えています。
戦争の勝負を分けるのは、弾薬の量や技術の優劣ではありません。「負けた」と思ったら、負けてしまう。自衛隊は人が集まってできた組織であるから、人を育てることに力を入れなければいけない。でも残念ながら現実はそうなっていないんです。
―なるほど。現状の政治では、本質的な議論がされていないとお考えなのですね。
さらに深掘りしてみると、自衛隊は何のために戦うのかというテーマに行き着きます。よく日本の政治家が「自衛隊は国民の生命と財産を守るためにある」と言うのですが、これは違います。戦った結果として国民の生命と財産が失われる可能性だってあるわけじゃないですか。国民の生命と財産が大事なのであれば、国外に逃げたらいいという結論になるかもしれません。でも違いますよね。
戦うのは、日本という国を存続させるため。自衛隊法の言葉で言えば、我が国の平和と独立を守るため。しかし、我が国の平和と独立と言われて、腹落ちするかという話なんです。最前線にいる自衛官たちが何のために戦っているのだろうかと疑問を持ってしまったら、その時点で厳しい戦いになります。給料のために、家族のために、では戦えるわけがないんです。
何のために自衛隊が存在するのか。腹落ちする言葉を探さなければなりません。そして、使命を果たすためにどういう組織でいなければならない、どのようなメンタリティで臨まなければいけないのかということを議論しなきゃいけない。この議論には国民の価値観や精神性が密接に関係しており、最大公約数的に言うと平和と独立になるかもしれないのですが、それでは言葉としてあまりにも味気ない。かといって愛国心という言葉も、令和時代の若者にはおそらく響かない。
自衛隊の一番大きな課題は給料や待遇の話ではありません。組織文化をどうするのか、思想をどうつくっていくのか。これが本質的な課題だと思っています。
―自衛隊や安全保障に関して、日本はどのような方向に進むべきだとお考えでしょうか。
日本が国際社会の中で果たすべき役割は、軍事大国になることではありません。世界における日本の使命は文治国家であることだと思います。高い教養と深い思想に基づいて、世界の平和をいかに実現していくか。それが日本の役割です。その観点で見ると、憲法9条は素晴らしいと思っています。
ただし問題は、人類が憲法9条のレベルに達してないということ。はっきり言って戦争は幼稚な行為だと思います。けれども、ブンブン武器を振り回している人がいたら、そのレベルに合わせなきゃいけないんです。「はいはい、幼稚だね」と言ってほったらかしていたら、殺されてしまうわけなので。
この現実をしっかりと見据えた上で、高い理想に向けて行動しないといけない。そのために必要なのは米国を真似ることではありません。他国に例はなく、むしろ日本が世界の中で模範の国になるべきです。国内の政治においても、外交においても。
国際社会の意識が大きく変わるときに「日本みたいな国になれたらいいよね」と思われるような政治に取り組んでいく。具体的には地域自治の徹底をすべきだと思います。軍隊というと、中央集権的な組織だという観念があると思うのですが、中には分散的な組織をつくっている国もあります。日本にはそれができると思うんです。
これは自衛隊だけの話ではありません。自衛隊は日本の組織文化のセンターピンだと考えています。たとえば教育。日本の教育は軍事訓練に端を発しています。自衛隊に入った後に小学校の運動会を見学した時「これは軍事訓練だ」と思いました。右へならえ、前へならえとする教育も、色々な課題が出てきていますよね。
長いものにまかれるとか、出る杭は打たれるとか、日本の文化にネガティブな側面があるとしたら、自衛隊を変えることでこの国全体を変えられると思うんです。23万人の組織が変われば、霞が関も大企業も変わります。国が徐々に変わっていくことを見据えて、自衛隊の改革に取り組んでいきたいです。
党派を超えてこれまで見過ごされていたテーマを議論する国会に
―今回の選挙では与党が過半数を割り、国民民主党は躍進しました。今の政治状況をどのように捉えていますか。
投票率はそこまで上がらなかったかもしれませんが、有権者の方々がこれまでと違う行動をしたので、選挙結果が変わったわけですよね。選挙の結果が変わったら議会の構図が変わる。議会の構図が変わったら、民主主義のルールが変わってきたわけです。
自民党が「熟議の国会」と言い出しました。それほど高尚な言葉ではないですが、当たり前のことが当たり前に言われるようになったという点で大きな一歩だとは思います。私たちが取り組んでいる「103万の壁」だけでなく、立憲民主党や維新の会もいい国会運営をしようと考えているはずです。各党が次の選挙で有利な状況をつくりたいという下心もあるかと思いますが、そうであったとしても今の国会には国民の声で政治が変わる希望があると思っています。
―最後に、今後の意気込みをお願いします。
国会よりも部会が大事だと考えているような自民党の議員や官僚はいまだにいらっしゃいますので、そこをぶち破っていくのが私の役割だと思っています。予算委員会と安全保障委員会という国家の根幹に関わる場を預かりましたので。
先ほど申し上げた、自衛隊の組織文化の話など、これまで光が当たってこなかったテーマをどんどん突いていきたいです。党派は関係なく「今まで考えてこなかったのだから、一緒に考えていこう」という国会にしたいなと。
それから選挙制度の改革も必要です。小選挙区制では穏健な多党制になりません。阻止条項を導入して完全比例代表制にする、もしくは中選挙区制にして単一政党から複数候補者を出せないようにする。このような選挙制度改革の議論も進めていきたいです。