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立憲民主党・馬淵澄夫議員に聞く! これからのライドシェア政策

投稿日2024.8.9
最終更新日2024.08.09

タクシードライバーのなり手不足が深刻化するなか、一般ドライバーが自家用車で乗客を運ぶライドシェアに注目が集まっています。今回のインタビューでは、民主党政権下で国土交通大臣を務め、ライドシェアに関しても精力的に活動する馬淵澄夫議員に、ライドシェアの解禁の是非について、また馬淵議員が政治を志した原点などについてインタビューしました。

(文責:株式会社PoliPoli 秋圭史)(取材日:2024年7月18日)

馬淵澄夫議員インタビュー

馬淵 澄夫(まぶち すみお)議員
1960年奈良県生まれ。元国土交通大臣。
横浜国立大学工学部卒業後、サラリーマン、上場企業役員を経て政界へ。
2003年、衆議院議員選挙に初当選。当選7回。

 

(1)田中角栄に憧れて政治家の道へ

ーまず、馬淵議員が政治家を目指したきっかけについて教えてください。

原点は小学校6年生のときです。三木武夫、田中角栄、大平正芳、福田赳夫の4人(三角大福)が立候補した1972年の7月5日の自民党総裁選をテレビで見ていたのですが、その時の光景が目に焼き付いています。当時小学生でよくわからないながらも、画面に出てきた田中角栄というダミ声のおじさんが全身から発するエネルギー、熱がほとばしるような姿に強烈な印象を持ちました。

父も「小学校しか出てないのに総理大臣になった」「コンピュータ付きブルドーザーと言われてて、パッとすぐに数字が口をついて出る。頭が良いんだなぁ!」と絶賛していて、子供心に「すげえな政治家」と思いました。政治家になるという夢をあまり人に話してきませんでしたが、大学で土木を専攻し、卒業後にゼネコンに就職したのも角栄さんへの憧れからです。「自分も土建屋になって、商売で成功して政治家になるんだ」という思いでした。

最初に就職したゼネコンを5年で辞め、不動産事業を営むオーナーとのご縁でいつの間にか32歳で大証二部上場会社の取締役を任せていただくことになり、生意気ですが39歳のときに、「もう商売についてはかなり学んだ」と納得して政界に踏み出すことにしました。当選してすぐに40代で総理になるくらいのつもりで挑みましたが、当然そうはいかず、初出馬の2000年は落選。2003年に初当選しました。

ー民主党政権時は、大臣も務めておられましたが、大臣時代のご経験について教えてください。

国土交通副大臣・大臣在任中の1年4ヶ月、現場を抱える巨大官庁ということもあり、常にトラブルに忙殺されていました。八ッ場ダムの問題や尖閣諸島で起きた接触事案、北朝鮮が韓国を砲撃した際には邦人救出のミッションにも向き合いました。

とにかく大臣という職は、自分の主義主張や判断に起因しないものも含めて、対応すべき案件が山のようにあります。当時の睡眠時間は1日2~3時間でした。また東日本大震災後は、官邸で総理大臣補佐官として原発事故担当として収束に向けて日々奔走しました。

大臣時代も含めて、本当に政権交代時は大変な思いしか記憶にないですね。ただその分、めちゃくちゃやりがいもありましたし、2003年の初当選以来、政権交代を目指してひたすら国会質問で戦って政権交代を果たし、政権運営中は日本の危機を乗り越えるその一翼を担った自負もあります。

馬淵澄夫議員インタビュー

ー2012年に民主党が下野し、その後ご自身も落選をご経験されていますが、当時どのような想いでしたか?どのような活動をなさっていましたか?

下野してからも再び政権交代を果たすために尽力していましたが、今度は党自体がなくなり、希望の党から出馬することになった2017年の総選挙では落選してしまいました。初出馬を除くと初めての落選でしたが、この時は本当に政治家を辞めようかと思いました。14年間勝ち続けてきたが、「もう政治家としての自分の役割は終わったのかな…」と思いました。

しかし全国の後援会からの応援の声や、負けて諦めそうになる若手を見て、「頑張らなきゃ」と踏ん張りました。2018年に落選した仲間と「一丸の会」を結成し、現職ではない間も定期的に勉強会を開いたりしていました。

その後ほどなくして自分自身は繰り上げ当選で政界に戻ることができましたが、次の小選挙区で勝たなければ本当に信任を得たことにはならないと、自分の政治活動を見つめ直しながら頑張っていました。

そんな中、繰り上げ当選から約9か月後、2019年の11月4日ですね。今度は交通事故で、ドクターヘリで緊急搬送されるほどの瀕死の重傷を負いました。次から次へと試練の連続でしたが、すべて自分の「使命」だと受け止めここまでやってきています。

(2)地方交通の課題解消には「ライドシェアありき」ではない本質的な議論が必要

ー地域公共交通の人手不足が叫ばれている中で、一般ドライバーによる旅客事業を導入する「ライドシェア」政策の検討が進んでいますが、どのようにお考えでしょうか?

地方の公共交通が完全に破綻している状態であることは間違いないです。岸田総理が言うように、その要因がドライバー不足であることも事実であり、解決策の一つとしてライドシェアが挙がることも理解できます。

ただ人口減少・少子化で働き手が減る中で、「ライドシェア」がすべての問題を解決する魔法の杖のように語られることは大きな間違いだと思っています。ライドシェアを導入しても、そもそも働き手がいなければ成り立ちません。地方の公共交通を今後どう機能させていくかという根本の課題や議論に踏み込むことなく、「ライドシェア賛成/反対」という議論になってしまっていることは非常に残念です。

「ライドシェア」のような目新しい方法を頑張って導入する前に、もっと足元で地道にできることもあるはずです。10月1日には、いくつかのエリアがタクシー業務適正化特別措置法の準特定地域から外れ、タクシー台数が増えることが見込まれています。さらに、タクシードライバーになるために必要な第二種運転免許の取得の簡素化も実施されており、こうしたことでドライバー不足も解消されるかもしれません。地道な施策を行い、「本当にタクシーが足りない地域がどこなのか」という課題が浮き彫りになるはずです。

馬淵澄夫議員インタビュー
ーライドシェアに関して、安全の管理や事故対応の必要性が指摘されていますが、この辺りはどのようにお考えですか?

ライドシェアの品質を法制化すべきという話だと思いますが、少し様子を見た方がいいと思います。車両点検なども含めて、事故のリスクを厳密に回避しながらライドシェアに参画しなければならないとすると、それなりに稼働しなければ管理コストを賄えないはずです。これは当然地方でも同じで、そもそも路線バスが減便・廃止されるようなエリアでそれが成り立つとは思えません。

こうした時に、「デマンド交通」「デマンドバス」という方式についてもっと考えても良いのではないかと思っています。一部コミュニティバスなどでは似たような形を採っている例もありますが、問題は相当の割合で行政の持ち出し、つまり福祉事業になってしまっているところです。

これでは路線バスの話と同じで、予算が続かなくなったら当然廃止になってしまう。これをどうすれば持続性のある収支バランスを保てるか、という現実的なことをまずはしっかり考えるべきです。

日本中のコミュニティバスも乗客から回収しているのは収支の10%程度の所もあり、赤字前提ですが、デマンド形式にすれば需給バランスが調整でき、さらに料金もシビアに見直せばある程度持続性ある形で運営できるバランスポイントがあるはずです。その上で、「補いきれない部分も含めてライドシェアと共存する」というのも一つの方策だと思います。

ー実際に「ライドシェア」が日本に馴染むかという点についてはどのようにお考えですか?

現場への落とし込みはもう少し丁寧に考える必要があると思います。ライドシェアをはじめとするシェアリングエコノミーという考え方については非常によくわかるし、そういう理想図としての希望を持てますが、現実問題にフィットするかが重要です。

我々政治家がやらなければいけないことは、理想と現実の狭間で、どこに着地させるか、落としどころを見つけることです。例えばこの潮流にマッチしない事業者が撤退するしかないような未来が見えていたときに、それを完全に仕方ないこととして受け入れてしまうのではなく、ある程度移行期間というか、バッファーを作らないといけない。

改革を望むような若い人たちからすると面白くないのももちろんわかりますが、社会はゆっくりとしか変わらないんです。人間の身体だって細胞が入れ替わるのにある程度時間がかかるし、精神構造だって同じはずです。たとえばトレーニングの世界でいうと、肉体改造をしようと、無理に負荷をかけすぎると逆にマイナスになってしまったりしますよね。要は人間が耐えられる変化速度でなければ、結局社会に浸透せず、人々が納得できなくて上手くいかないということです。だからこそ政治家はそういう世の中の人の感性みたいなものを敏感に感じ取る力を持っていなければならない。田中角栄さんはその辺が天才的だと言われているし、かつての名宰相と呼ばれるような政治家たちはみんなそうだろうと思います。

(3)スタートアップや若い起業家が活躍できる世の中にしたい。そのためには「税の集め方」を変える必要がある。

ー最後に今後注力したい政策テーマ、政治家として成し遂げたいことについて教えてください。

スタートアップや若い起業家たちが本当に活躍できる世の中を作りたいと思っています。そのために税の集め方を見直して、公平な税制を作りたい。

今の日本社会の閉塞感はどこから来ているのかと考えると、結局格差が拡大してしまい、さらにその格差が硬直化していることが原因だと考えています。戦後長きにわたって日本は「とにかく企業を育てる、とにかく事業者を育てる」というところに注力して、その結果雇用が拡大し生活者が安定し、給料も上がっていくという仕組みを基本に考えてきました。

この時、どんどん業法とともに租税特別措置法というものが作られていき、いわゆる大企業と呼ばれる企業が優遇されて世界でも活躍していくようになります。ところが日本にある企業の99.7%が中小零細企業であり、多くの人たちはこうした中小企業に勤めているわけで、そんな大企業で働ける人たちばかりではないですよね。大企業があまりにも優遇されているので価格転嫁も進まないし、それによって中小零細企業は価格転嫁ができずずっとコストを抑え込まれ、賃金が上がらない状態になっている。結果そこに勤めている人たちはいわゆる「ワーキングプア」、働いても働いてまったく収入が上がらない状態になってしまうという構造が今のこの状況を生んでいます。

どこを変えないといけないのかというと、徴税と給付の仕組みだと思っています。徴税の部分で言うと、法人税と消費税のバランスです。この30年間だけ見ても、法人税を下げ、消費税を上げて税収をまかなうということが繰り返されてきましたが、これは間違っていると思います。

日本の消費税は仕入れ原価方式といって、最終納付者が売り上げから仕入れ原価を除いた分が税の対象となる仕組みです。この仕組みでは、実は川上にいる大企業が払う消費税の割合は意外と少ないんです。おまけに法人税も下がっており、大企業は非常に優遇されています。民主党政権下の事業仕分けも含めて、昭和から平成は「税の使い方」が注目されてきましたが、令和は「税の集め方」を抜本的に見直す必要があります。

さらに税の再分配機能にも目を向けると、給付の仕組みが日本はとにかく弱いということがコロナ禍で明らかになりました。各国が素早く実施していたプッシュ型で給付する仕組みが、日本はできていないんです。

実はずっと提案していることなのですが、よく考えたら国税の仕組みを逆回しすれば、給付が即座にできるはずなんです。会社員であれば源泉徴収を捉えて給与支払報告書が市町村に流れるし、自営業者も確定申告データは市町村に流れるので、市町村で集約できるはずです。そうやって徴税の仕組みを逆回転させれば本来給付は一瞬でできるはずなのですが、そういう仕組みを使わないから、毎回給付金の度、その給付の手続きコストで数百億かかったりする。ずっと同じことを繰り返していて、非常にもったいない。

税の集め方を見直して公平な税制を作り、給付の仕組みを構築することで、スタートアップや若いアントレプレナーたちも含めた99.7%の中小零細企業が活躍できる世の中を作りたいと思っています。

自分はビジネスの世界から政界に来た人間ですが、政治の世界にはビジネス志向な人間が少ないと言われます。そういう意味でもスタートアップだとか、若いアントレプレナーたちが本当に活躍できるような世の中を作っていくことが自分の使命だと思っています。

馬淵澄夫議員インタビュー

この記事の監修者
政治ドットコム 編集部
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