2012年に民主党が政権を失って以来、旧民主党の分裂によって様々な政党が乱立しています。そんな中、2019年に、立憲民主党など複数の野党の若手議員による政策グループ「直諫(ちょっかん)の会」が発足し、2023年9月には「どうする、野党!?『大きな政治』と『新しい改革』で、永田町の常識を喝破!」が出版されました。
「直諫の会」会長を務める重徳和彦議員に、会の活動やこれからの野党のあり方についてお伺いしました。
(聞き手・文責:株式会社PoliPoli 中井澤卓哉)
※2023年10月31日取材
重徳和彦(しげとく かずひこ)氏
1970年生まれ。衆議院議員
総務省の官僚を経て、2012年愛知12区で初当選。
日本維新の会→無所属→立憲民主党
高校・大学の7年間ラグビー部。ポジションはスクラムハーフ。
(1)政治の力を体感し、総務省官僚から政治家へ
ー重徳議員は自治省(現在の総務省)の官僚から政治家になったとのことですが、どのような思いがあったのでしょうか?
元々、パブリックな仕事がしたいという思いはなんとなくありました。高校時代の友人によると、当時から政治家になるとか言っていたそうです。
まず官僚という道を選んだのは、私が総務省に入った平成6年(1994年)当時は、まだまだ官僚が日本の舵取りをしているという気概があったからでした。中でも、これからは地方分権・地方自治の時代だと感じていたので総務省を選びました。
しかし、昭和から平成に入り、少しずつ政治主導で世の中を変えていく流れになっていきました。当時の細川護熙総理大臣(1993年〜1994年在任/元熊本県知事)が「鄙(ひな)の論理」※という本を出し、地方分権が大事だと説いていました。エピソードの中の一つに、熊本市内のバス停を10m動かすにも、当時の運輸省(現国交省)の認可をとるために東京まで行く必要があり、「そんな馬鹿なことがあるか」という内容がありました。時の総理大臣が、これからは地方の時代だと宣言し、地方分権一括法というものを成立させ、国と地方が対等だという時代ができたんですよね。そして市町村合併、権限や財源移譲である三位一体の改革という流れができていきます。一連の2000年半ばまでの地方分権改革は、まさに政治の力で動いていました。官僚になって間もないころからそれを体感しました。
その後、日本が経済的にも国際的にも行き詰まりを見せていくにつれ、やはりここは政治の出番だと、官僚から政治家への思いを新たにしました。
※鄙(ひな):いなか
ー最初の出馬は愛知県知事選でした。やはり地方自治への思いが強かったのでしょうか?
総務省の官僚として地方自治の仕事をしていたので、自分の力で仕事をする場として地方自治体がふさわしいのでは、という思いはありました。
2011年に自民党推薦で愛知県知事選挙に出馬しましたが落選し、2年近く、浪人時代を送りました。その後、2012年の衆議院議員総選挙で日本維新の会の公認・みんなの党推薦で愛知12区より出馬し、衆議院議員になりました。
ー日本維新の会公認で国政に出馬されたのにはどのような背景があったのでしょうか?
巡り合わせが大きいのですが、一つは、日本維新の会が掲げていた「道州制」、そして大阪固有のテーマとして掲げていた「大阪都構想」に、自分の問題意識と近いものを感じたからです。地方自治体の組織体制を住民自身の意思決定で決定させるということに共感しました。
私自身、当時から地方自治を全て中央で決めていることに違和感がありました。「人口20万人で中核市、50万人を超えると政令指定都市」というように、地方の権限は国が一律で決めることではないと思っていました。まさに地方自治の個々の仕事じゃなくて、その体制そのものを住民投票で変えようという橋下さんの構想は魅力的でした。
もう一つは、当時代表を務めていた橋下徹さんが、大阪維新の会という地域政党を日本維新の会という国政政党にするという動きをしていたことです。これがなければ、愛知県の選挙区から出馬することはなかったので、こうした流れができていたのはまさに運でした。
(2)超党派の政策グループ「直諫の会」立ち上げへ
ー2015年に無所属になり、2019年には他党の議員と「直諫の会※」を結成しました。そのきっかけは?
初当選した2012年当時は、日本維新の会とみんなの党の2つが「第三極」といってブームだったわけです。ここから当選した議員が7、80人いました。
ところが、2014年、2017年の3回目の選挙を経て、3期連続で当選した第三極出身の議員は、大阪を除くと5人だけになってしまいました。この同期5人の全員の頭文字をとって「GOーNAIS(ゴーナイス)」というグループを結成しました。当初のメンバーは自分のような無所属から、旧立憲民主党や旧国民民主党と、所属政党が分かれていました。
G:源馬謙太郎議員
O:小熊慎司議員、落合貴之議員
N:中島克仁議員
A:青柳陽一郎議員
I:井出庸生議員(2021年に自民党へ)
S:重徳議員、篠原豪議員
このグループで話す中で、中島議員が初当選から訴えていた「日本版家庭医療制度」を看板政策にしよう!と盛り上がりました。これは、治療中心から予防医療を中心にする医療制度に変えようという大改革です。国民本位で健康長寿で100歳まで生きるため、かかりつけ医として継続して生活習慣も含めて診てくれる体制があったらいいね、と。すでにこれを実践している長野県佐久市の佐久総合病院などを視察し、グループで勉強を重ねていました。その流れで、2019年に、超党派の政策グループとして「直諫の会」を立ち上げることになりました。
※直諫:遠慮することなく、目上の人をいさめること
2023年10月5日 直諫の会動画
ーそれぞれが異なる党に所属する中で大変な思いはありましたか?
まず、各々がすでに所属していたグループ(「派閥」)に退会届を出して「直諫の会」を結成したものでしたから、それぞれ反応はありました。
私は当時、野田佳彦元首相の「花斉会(かせいかい)」という派閥に所属していました。野田元首相からは「自分は2期目に派閥を立ち上げた。重徳議員は3期目、十分やれるよ」と激励していただきました。
ただ、いかんせん、党が違うのでグループ内のそれぞれの立ち位置が異なり、意思決定がなかなかできなかった面も最初はありました。
グループ結成時から、とにかく自分たちは大きくならなきゃ駄目だと、党が異なっていても一つになり、力を発揮しなくてはならないという思いが一貫してありました。
ー現在、「直諫の会」には18人の議員が所属し、全員が立憲民主党です。基本的に4期目までのメンバーで結成されていますが、どういう意図があるのでしょうか?
4期生以下は、2012年、民主党政権が終わってから政界に入った議員です。すでに民主党政権で活躍していた議員とはちょっと気風が違うメンバーです。
実は、今、立憲民主党の6割は中堅若手の議員です。しかしその姿は世の中に全く見えていないと思います。立憲民主党=昔の民主党、というイメージが強いのではないでしょうか。
政治の世界というのは基本的に「権力闘争」です。ベテラン議員でも「次はお前がやったれよ」と次世代に任せられる”お人よし”はなかなかいません。逆にいうと、中堅若手議員がいつまでも引いていたら駄目で、「もう我々にまかせろ」という気概で立ち上がるべきなんです。その時期が今訪れていると思っています。
ー思いの現れが、2023年9月に15名のメンバーで出版した「どうする、野党!?」なんですね。
「直諫の会」立ち上げの時期から、自分たちの思いをまとめた本を出そう、というアイデアがありました。
厳密に、出版した2023年9月というところに狙いがあったわけではありませんが、4期生以下のメンバーがだんだんと委員会の筆頭理事や、部会の部会長など最前線で仕事をするようになり、今こそ思いをきちんと形にすることは低迷する立憲民主党において我々が果たすべき役割だと考えました。
ー臨時国会の会期中ですが「直諫の会」としてはどういった活動をしていますか?
「直諫の会」のような派閥と、党の組織は別系統です。派閥だけで法案を出すということはないのですが、インターネット投票のための法案では「直諫の会」のメンバーが中心になり法案を作り提出しました。
また、毎週木曜日の昼はメンバーで集まり、箱弁当を食べます。昔の自民党の竹下派(現茂木派、平成研究会)では「一致団結、箱弁当」と言うくらい、派閥の結束の源です。そこで次の選挙情勢分析、他党の動きなどそれぞれが情報を持ち寄って交換しています。
あと、他の派閥ではやっていないことで挙げると、夕方に有楽町駅前(東京都千代田区)街頭演説をしています。地元以外で街頭演説をする機会はなかなかないので、定期的に取り組むようにしています。補欠選挙や地方選挙にも、派閥として積極的に応援に入るようにしています。
(3)どうする、野党!?日本のグランドデザインを考える
ー今回の臨時国会で立憲民主党として重点的に取り組んでいることは何でしょうか?
一つは、「直諫の会」の看板政策でもある「日本版家庭医制度」です。
もう一つは、「新しい資本主義」です。立憲民主党として考える真の新しい資本主義とは、企業の利益が誰のためにあるのかという定義を大きく変えることです。
日本の会社経営は、1990年代までは社員を家族に見立て、2000年代に入るとアメリカ流の経営の流れで「会社は株主のためである」という考えが強いものでした。人件費や研究開発費は抑えられ、賃金が上がらない状況が長く続き、日本型の年功序列で終身雇用でした。
我々が考える「真の新しい資本主義」とは、この状況を再び転換し、働く人や社会という様々なステークホルダーのために利益を出す会社を評価していこうというものです。こういうことは、今までのアベノミクスなどの自民党の路線ではできないものだと考えています。
ー政権交代を目指すとなると、何年後を見据えていますか?
早ければ早いほど良いです。ただし、次に来る選挙一つ一つに勝っていかなければなりません。一気にいかなくても、野党が伸びたという状況を作ることができれば、今の政治の状況とは全く違う風景が待っています。
今は、野党がバラバラで力がなく、野党としての役割を果たしていないと思います。野党が非力だと与党も緩みます。党によって多少の違いはありますが、政権を奪還し大きく世の中を変えるために団結してやっていく胆力や我慢が必要です。今、大きくなっていかなければ、我々は永久に野党です。
大きくなって、政権をとる。これが「どうする、野党!?」という問いかけに対する答えです。
ー政権をとった後の、センターピンとなる政策は何でしょうか?
子どもが増える社会と書いて「増子化社会(ぞうしかしゃかい)」です。誰もが子どもを産みたい、育てたいと自然に思える、あたたかい地域社会のことです。
まずは最重要閣僚として「増子化担当大臣」を置かなくてはならないと考えています。今の自民党政権では少子化担当大臣がいますが、初入閣ポジションで、政治的手腕を発揮できるかというと不十分です。本来は、財源が必要であれば財務大臣に直接指示したり、法改正が必要であれば厚生労働大臣や文部科学大臣に強く伝える力をもった政治家が担うべきポジションです。
子どもが増え、経済にプラスの影響が出るには時間がかかる政策ですが、政策の優先順位を示すことは、政治の重要な役割です。
ー重徳議員が政治家として成し遂げたいことは何ですか?
国を守る。これからの日本のグランドデザインをつくることです。
一つは、「増子化社会」にも繋がりますが、人口が東京に集中し、地方の人口が減ると、これは圧倒的な自然減に繋がります。教育や医療、子育て環境など、人々がどこに住みたいかというところまで様々なことを加味しながら環境を整える必要があります。
単に「〜手当」を配ることで子どもが増えるとは、私は思いません。もっと大きな話だと考えています。
もう一つは、安全保障です。日本は、北朝鮮、中国、ロシアに囲まれ世界で一番緊張が高まっている地域だと言っても過言ではありません。一方で、日本の国力は落ちています。そこをどう守るかを考えなくてはなりません。これは防衛力だけでなく、人口やエネルギー、食料自給率など多岐に渡ります。
農林水産省の試算によると、今後20年で日本の農業従事者が12万人から4分の1、30万に減ります。私たちの構想である「国立農業公社」は、農業をしたい若い人を国が一括採用し、技術指導し全国の農業に安心して取り組んでいただけるように所得や社会保険を保障する制度です。
「危ないから防衛兵器をたくさん買うんだ」という論理が飛躍していて、そこだけを一生懸命やっていても支出ばかりが増え、国は寂れていくと思います。
ー最後に、読者へのメッセージをお願いします。
新しいものにどんどん挑戦をしていくという気風を若い人たちには持っていただきたいし、日本国内だけでなく海外でも活躍することも必要だと思います。
議員にも言えることですが、メタバースやブロックチェーンなど、こういった新しい世界に対し及び腰だったりすると、どんどんビジネスチャンスが海外に出ていってしまいます。
テクノロジーの力で世界の言葉の壁がなくなると、海外に出ることも怖くなくなると思います。世界中で、日本語だけでも仕事ができる環境を政治家がつくっていくことが大事です。若い人しかできないことは若い人にやってもらう、そんな世界を我々政治家がつくるので、どんどんチャレンジしていただきたいです。