
第三者の精子または卵子を用いた生殖補助医療(特定生殖補助医療)に関する制度を定めた「特定生殖補助医療法案」が2025年2月5日、与野党4会派共同で参議院に提出されました。
日本では政府内で議論がまとまらず、第三者の精子・卵子提供に関する法律が長らく制定されていませんでした。しかし、ついに超党派の議員連盟が主導し、議員立法として特定生殖補助医療法案が通常国会に提出されたのです。
本記事では、特定生殖補助医療法案の目的や、どのような制度を設けるのか、また法律が成立した際の影響などについて解説します。
特定生殖補助医療法案の概要ーなぜ新しい法律が必要なのか
近年、生殖補助医療技術は目覚ましい進歩を遂げ、多くの子どもを望む人々にとって希望の光となっています。その一方で、特に第三者の精子や卵子を用いる生殖補助医療については、子どもの「出自を知る権利」が守られていないなど社会的な課題も多く、法的な整備が期待されていました。こうした背景のもと、2025年2月に国会に提出されたのが「特定生殖補助医療に関する法律案」です。
この法案は、正式には「特定生殖補助医療に関する法律案」といいます。目的は、主に第三者の精子や卵子を用いる「特定生殖補助医療」の適正な実施を確保するための制度を確立すること、そして、この医療技術によって生まれた子どもが自らの「出自に関する情報」を得ることに貢献する制度を設けることです。
特定生殖補助医療とは何か
では、この法律案における「特定生殖補助医療」とは、何を指すのでしょうか。「特定生殖補助医療」について知るために、まず、生殖補助医療について簡単に解説します。
妊娠を希望しているにもかかわらず、一定期間(一般的には1年以上)妊娠しない場合に、その原因を特定し、妊娠を成立させるための医学的な介入のことを「不妊治療」といいます。「不妊治療」には、大きく「一般不妊治療」と「生殖補助医療」があります。
「一般不妊治療」には、以下のような方法があります。
・タイミング法
排卵日を予測し、性交渉のタイミングを指導する方法
・人工授精
採取した精液から運動良好な精子を選び、排卵日に合わせて子宮内に注入する方法
また、「生殖補助医療」には、以下のような方法があります。
・体外受精
薬や注射で卵巣を刺激し、取り出した卵子と精子を培養皿上で受精させ、受精卵を子宮に戻す方法
・顕微授精
薬や注射で卵巣を刺激し、取り出した卵子に直接精子を注入して受精させ、受精卵を子宮に戻す方法
「特定生殖補助医療」とは、夫婦以外の第三者の卵子または精子をつかって人工授精、体外受精・顕微授精を行うことをいいます。夫婦の卵子または精子をつかった不妊治療については、この法律案の対象外となります。
なお、夫婦の卵子、精子をつかって受精させた受精卵を第三者の子宮に戻す代理懐胎(いわゆる「代理母出産」)についてもこの法律案では規定がなされており、のちほど詳しく解説します。
特定生殖補助医療法案のポイント
「特定生殖補助医療法案」では、具体的にどのような規定がなされているのでしょうか。大きなポイントとして挙げられるのは、1.医療機関やあっせん機関の認定・許可制度、2.卵子または精子提供者や生まれた子に関する情報の集約と長期保存、そして3.「出自を知る権利」への配慮、4.商業的利用の禁止です。
1.医療機関やあっせん機関の認定・許可制度
特定生殖補助医療法案の第一のポイントは、特定生殖補助医療を実施する医療機関や、特定生殖補助医療に用いられる精子・卵子を提供する医療機関(「あっせん機関」)について、国が認定制度を設けることです。
認定制度を設け、国が定めた基準を満たす医療機関のみが特定生殖補助医療を行えるようにすることで、特定生殖補助医療を安全かつ適正に実施することが期待できます。
また、医師には、治療を実施するにあたり、夫婦に対して、特定生殖補助医療について適切かつ十分な説明を行い、夫婦それぞれから書面による同意を得る義務が課されます。
2.卵子または精子提供者や生まれた子に関する情報の集約と長期保存
法案の大きな柱の一つが、特定生殖補助医療に関する情報の集約と長期保存です。
治療を受けた夫婦と生まれた子どもの氏名・住所・生年月日・個人番号、そして精子・卵子を提供したドナーの同様の情報や同意書などは、認定実施医療機関や認定供給医療機関を通じて内閣総理大臣に提出されます。
これらの情報は、内閣総理大臣から委任を受けた国立成育医療研究センターが一元的に管理し、原則として治療の実施の日から100年間保存されることになります。この情報管理体制は、後述する「出自を知る権利」の行使や、親子関係に関する紛争解決、将来的な医学的研究などに資することを目的としています。100年という長期保存期間は、世代を超えた影響を考慮したものであり、情報管理の厳格さと継続性が求められます。
3.「出自を知る権利」への配慮
特定生殖補助医療法案の目的の一つが、特定生殖補助医療によって生まれた子どもの「出自を知る権利」の保障です。
本法案は、基本理念として「特定生殖補助医療により出生した子については、その年齢及び発達の程度に応じて提供型特定生殖補助医療により出生した事実を知ることができるようにするとともに、その希望に応じて自らの出自に関する情報を知ることができるよう、必要な配慮がなされなければならない」と定めています。
具体的には、国立成育医療研究センターに対し、以下の情報を請求することができます。
①自らの情報の保存の有無
成年に達した子は、自らが特定生殖補助医療により出生したかどうかの確認を行うことができます。特定生殖補助医療により生まれた子どもの氏名・住所・生年月日・個人番号などは国立成育医療研究センターに保存されているため、情報の保存がある場合は自らが特定生殖補助医療により出生したとわかることになります。
②卵子または精子の提供者の個人を特定しない情報の開示
成年に達した子は、卵子または精子の提供者について、個人を特定できない情報を取得することができます。個人を特定できない情報とは身長、血液型、年齢など、内閣府令で定める情報です。卵子または精子の提供者の氏名などは、本人の同意がない限り開示されません。
③卵子または精子の提供者に対する情報の提供の要請
成年に達した子は、卵子または精子の提供者について、氏名などの個人を特定できる情報を開示するよう要請することができます。要請を受けた時点で卵子または精子の提供者から同意があった場合に限り、国立成育医療研究センターを通じて、個人を特定できる情報が開示されます。
④精子・卵子の提供者が死亡等に該当する場合の氏名の開示
③のとおり、成年に達した子は、卵子または精子の提供者について、氏名などの個人を特定できる情報を開示するよう要請することができます。ただし、卵子または精子の提供者が死亡しているなどの場合、生前に卵子または精子の提供者の同意があれば氏名などの個人を特定できる情報が開示されます。
4.商業的利用の禁止
本法案は、特定生殖補助医療に用いられるため卵子、精子の提供やあっせんに関して、金銭的な対価を授受すること、要求すること、または約束することを禁止しています。
この禁止規定は、代理懐胎(夫婦の受精卵を第三者の子宮に戻す、いわゆる「代理母出産」)にも適用されます。本法案では、「代理懐胎等(特定生殖補助医療により他人に代わってする懐胎又は当該懐胎に係る出産をいう)をすること又はしたことの対価として、財産上の利益の供与を受け、又はその要求若しくは約束をしてはならない」と明記されています。
特定生殖補助医療法案に対する批判
特定生殖補助医療法案は、長年の法的空白を埋める重要な一歩であると評価される一方で、その内容については様々な立場から懸念や批判が表明されています。特に、「出自を知る権利」の保障のあり方、治療対象者の限定、代理懐胎の位置づけなどが主な論点となっています。
1.出自を知る権利の保障
当事者団体(特に、第三者からの卵子・精子提供により生まれた方)や日本弁護士連合会などは、現行法案では「出自を知る権利」の保障が不十分であると強く指摘しています。
最大の懸念点は、卵子・精子提供者の個人を特定する情報(氏名など)の開示が、最終的に提供者のその時点での同意に大きく依存する点です。
当事者団体などからは、情報の開示請求は「権利」ではなく、卵子・精子提供者の意向に左右される「機会」に過ぎないとの批判があります。また、子どもが情報開示を請求できるのが成人に達してからであることも、子のアイデンティティ形成の観点から不十分との指摘があります。
2.治療対象者の限定
特定生殖補助医療の対象を「法律上の婚姻関係にある男女の夫婦」に限定していることに対し、事実婚のカップル、同性カップル、そして選択的シングル家庭など、多様な家族形態を望む人々や支援団体から強い反対の声が上がっています。
3.代理懐胎の位置づけ
本法案は、代理懐胎(いわゆる「代理母出産」)に対し、金銭的な対価を授受すること、要求すること、または約束することを禁止しています。
代理懐胎そのものの是非については、日本産科婦人科学会が「代理懐胎の実施は認められない」との見解を維持していることから、日本国内ではほとんど実施されていません。しかし、日本人の夫婦がアメリカなどの国外で代理懐胎を行っているケースもあり、国内での代理懐胎の実施を認めるよう求める声もあります。
特定生殖補助医療法案の審議の状況と見直し規定
本法案は、超党派の「生殖補助医療の在り方を考える議員連盟」により、2025年2月5日に参議院に提出されました。提出後、国会での審議が進められていますが、当事者団体や一部の専門家からは、内容の修正を求める声や慎重な審議を促す意見も出ています。
法案の附則には、施行後3年を目途に法律全体について、また公布後5年を目途に「特定生殖補助医療を受けられる者の範囲」および「出自に関する情報を知ることに資する制度の在り方」について検討を加え、必要な措置を講ずる旨が規定されています。これは、生殖補助医療をめぐる状況や国民の意識、医学的知見が変化しうることを踏まえ、法律を時代に合わせて継続的な検討の対象とすることを意味します。
まとめ
特定生殖補助医療法案は、長年にわたり法的な規制が十分でなかった第三者の卵子・精子提供による生殖補助医療の分野に、初めて包括的な法的秩序をもたらそうとする点で大きな意義があります。
一方で、卵子・精子提供者の同意を前提とした情報開示の仕組みが、子の「出自を知る権利」を保障するものと言えるのか、引き続き議論が必要です。
法案に盛り込まれた見直し規定は、これらの議論が一度きりのものではなく、今後も継続していくことを示唆しています。本法案は、むしろ広範な社会的対話の新たな出発点としての役割を担っているといえるでしょう。
