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政治ドットコムインタビュー政治家インタビュー維新の会・足立康史議員に聞く!政治への信頼回復に必要な真の政治改革とは?

維新の会・足立康史議員に聞く!政治への信頼回復に必要な真の政治改革とは?

投稿日2024.3.11
最終更新日2024.03.11

自民党の一部派閥における政治資金問題によって、国民の政治への不信が高まっています。その中で、日本維新の会は2024年1月に「維新版『政治改革大綱』」を発表し、政治資金改革のみならず、選挙制度改革、国会改革にまで踏み込んだ議論を行っています。

今回のインタビューでは、「政治資金パーティーは全面禁止すべき」と訴え、「維新版『政治改革大綱』」についても積極的にご発信されている足立康史議員に、政治が国民からの信頼を取り戻すために必要な改革についてお伺いしました。

(聞き手・文責:株式会社PoliPoli 秋圭史)
(取材日:2024年2月21日)

足立康史議員インタビュー

足立 康史(あだち やすし)氏
1965年生まれ。大阪府出身。
経済産業省を経て、2012年に日本維新の会結党に参加。
衆議院議員(4期)
好きな食べ物は卵かけご飯。

(1)東日本大震災を機に政治の道へ

ー足立議員が政治家を志したきっかけは何だったのでしょうか。
私が政治家を志したきっかけは2011年3月11日に発生した東日本大震災にあります。当時の私は経済産業省の官僚として、EU(ヨーロッパ連合)本部があるブリュッセルに駐在していました。その時、震災と同時に発災した福島第一原発事故への民主党政権の対応に大きな疑問を感じました。行政官の立場で福島を支えることも考えましたが、このまま官僚として民主党政権下で働きたくはなかった。より抜本的に政治を変えなければ、といった思いが強く、2011年3月末に辞表を提出しました。

ー行政官の立場で国を変えるのではなく、政治家を目指した理由は
私が通産省(現在の経済産業省)に入省したのは1990年。当時は行政の権限が強く、官僚が国を動かしているとの自負がありました。しかし、その後、統治構造改革による政治主導への流れが強まり、政策を作る上で政治の権限が強化されました。それを見て国を変えるなら政治家になるしかない、と考えました。

ー他の政党ではなく、なぜ維新の会で出馬されたのでしょうか
私が大阪出身だったことと、みんなの党と維新の会の合流が失敗したことが大きな理由です。私は経済産業省を退官後は、渡辺喜美さんが率いるみんなの党に所属していました。

2012年8月には、みんなの党の渡辺喜美さんと、大阪維新の会の橋下徹さんの会談までこぎつけたのですが、結局は物別れに終わりました。2党は合流せず、私は新たに結党する日本維新の会から出馬することとしました。

足立康史議員インタビュー

(2)甘えの構造、55年体制の打破に向けたチャレンジを

ー当選後、どのようなことを感じられましたか
私は経済産業省で20年あまり勤めていたため、政治の世界のこともある程度わかっているだろうと思っていました。しかし実際に政治家になってみると、そうではなかった。

国会議員として経験する国会のあり方には幻滅ばかりでした。与党は法案を通すために野党に気を使う。野党は与党を叩いて目立とうとする。それでも本音では本気で政権を狙っているわけではないから、追い詰め方が甘い。

特に野党の姿勢に疑問を持ったのは、安倍政権下で、森友学園、加計学園の問題が報じられた時です。安倍総理は加計理事長とゴルフをしてましたが、追及する野党議員は日本獣医師会から100万円の献金を受けていたのです。森友学園への国有地払い下げは杜撰でしたが、民主党政権下では不動産鑑定すら行わずに売却価格を決めていた事例もあった。どの口で政権を批判するのか、と当時の民主党には強い憤りを感じました。

ー2012年に初当選し、現在4期目となりましたが、どのような課題を感じていますか
55年体制を打破するためには、どうしても維新のような新しい政党が必要です。

1955年当時と比較すると、与党には公明党が加わり、野党は社会党から民主党、立憲民主党などへ変化しましたが、やっていることは55年体制の時と変わっていません。私はこれを「甘えの構造」と呼んでいます。万年与党と万年野党の馴れ合いの政治を変えなければなりません。

足立康史議員インタビュー

ー足立議員は2022年に行われた日本維新の会の代表戦でも「政党改革」、「政治家改革」を掲げていました。
私は、2022年に安倍晋三元総理がお亡くなりになった時、日本政治を前に進めていくために命を懸けよう、徹底して保身を排し挑戦していこうと決めました。55年体制を叩き潰し、令和の時代に相応しい令和新政府を日本をつくるのが私の使命です。

安倍元総理と菅官房長官は自民党内でも改革派でした。当時は野党と激しくやりないながら改革を進められていた。しかし、安倍さんは総理退任後、銃弾に倒れ、菅政権も改革の道半ばで退陣することになりました。

今の自民党では新しい政治を作るなんて無理でしょう。それは維新の会しかできません。ただ、維新も今のままではダメです。

例えば、維新の会を大きくした松井一郎さんが自民党を割って維新をつくった原動力は大阪自民党への怒りでした。だから、大阪自民党を選挙で焼け野原にしたことで、怒りの炎は消えてしまい、代表を降りてしまいました。あくまでも個人の怒り、大阪の怒り。個人の怒りや野心を超えて、より高次のパッションをもち、愚直に挑戦を続ける、闘う政治家がいないんです。

2022年の代表戦へ立候補したのは、そうした危機感からでした。

そもそも私にとって個人の自己実現とか野心とかは、どうでもいいものです。個人の欲望のために闘うのではなく、政治家は歴史の中で求められる役割を果たす必要がある。

だから私は個人の欲望や悲哀を越えたところに政治家としての道がある、と信じます。周りから批判を受けることもありますが、自分の道を貫いていきます。

(3)政治の信頼回復に向けた維新の取り組みについて

ー2024年1月に日本維新の会が策定した「維新版『政治改革大綱』」ついて教えてください。
自民党の政治資金問題を受けて、日本維新の会は自民党の議論に先駆けて「政治改革大綱」を策定しました。「政治改革大綱」では企業団体献金の完全廃止、旧文書通信交通滞在費(調査研究広報滞在費)の使途公開など、さまざまな政治改革を盛り込みました。

ー「維新版『政治改革大綱』」について足立議員はどのように感じていますか。
私は大きく2つの問題があると思っています。

1つ目は政策活動費の領収書の非公開を認めたこと、2つ目は政治資金パーティーを存続させたことです。1つ目の政策活動費について、日本維新の会は政党から個人への献金を「政策活動費」として容認してきました。この「政策活動費」は使途が不明のため、事実上の裏金との批判を受けました。

今回の維新版「政治改革大綱」では「政党から個人に寄附できるという例外的な規定を見直し、現行の領収書に紐づかない闇金である政策活動費は廃止し、透明性を向上させる。」としつつも、「実態としてすべての領収書を公開しづらいケースは政党運営にとって生じうることから、一部公開や将来的な公開・外部監査の強化を前提とした新たな制度を構築する」として「政策活動費について一部の領収書は公開しない」と言っているんです。

私は外交を担う政府には機密費が必要だと思いますが、一政党に支出を公表できない資金は不要だと考えています。

2つ目の政治資金パーティーについて、維新版「政治改革大綱」では、企業や団体が政治資金パーティー券を購入することを禁止しました。しかし政治資金パーティー自体は存続させ、個人へのパーティー券の販売を禁止しませんでした。私が懸念しているのは個人販売が企業・団体からの献金の抜け道となることです。個人献金は寄付控除の対象となりますが、個人のパーティー券購入費用は寄付控除の対象となりません。つまり、個人でパーティー券を購入する人は、別途、所属する団体や企業で経費処理をしているのではないか、といった疑念が生じるんです。

以上のような内容を含むため、みなさんから「日本維新の会は政治改革を遂行する覚悟が足りない」といった批判を受けることが少なくありません。政府与党自民党の「政治とカネ」を正していくため、これからも維新は自らの姿勢を不断に見直していく必要があると考えています。

ー最後に、足立議員が政治家として成し遂げたいことを教えてください。
日本維新の会の使命は昭和の政治を打倒し令和の政治を作りあげることです。日本は今、失われた30年を経て新しい勃興期の入口にいます。江戸幕府が倒れ、明治新政府ができたように、今こそ令和の新しい政府を作らなければなりません。世界はこれから激動、動乱の時代を迎えるでしょう。これまでの国際秩序を揺るがす強権的なリーダーが世界各国に現れ、世界全体が漂流していくはずです。漂流する世界で、日本の繁栄を維持することが、今の政治家に課せられた役割です。幕末の志士のような気概で、日本の繁栄をつくるための礎となって死ぬことができれば本望です。

この記事の監修者
政治ドットコム 編集部
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