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政治ドットコムインタビュー政治家インタビュー自由民主党・河野太郎議員に聞く! これからの日本のグランドデザイン【前編】

自由民主党・河野太郎議員に聞く! これからの日本のグランドデザイン【前編】

投稿日2024.9.12
最終更新日2024.09.13

少子高齢化や急激な人口減少、厳しさを増す安全保障環境など日本を取り巻く国内外の情勢は厳しさを増しているとされます。その中で政治にはこれからの日本が進む方向を指し示し、日本社会のあるべき姿を描いていく役割が求められています。今回のインタビューでは、8月26日に自民党総裁選挙に立候補を表明した河野太郎議員に、これからの日本のグランドデザインについてお伺いしました。

河野太郎議員インタビュー
河野 太郎(こうの たろう)議員
1963年1月10日生まれ。1996年に初当選、神奈川15区で連続9回当選(9期)
外務大臣、防衛大臣、国家公安委員長などの要職を歴任。
コロナ禍ではワクチン接種担当大臣として、先進諸国の中でも高いワクチン接種率を実現。
第2次岸田第2次改造内閣でデジタル大臣、デジタル行財政改革担当、デジタル田園都市国家構想担当、行政改革担当、国家公務員制度担当、内閣府特命担当大臣(規制改革)

(本記事は「政治ドットコム」のYoutubeチャンネルに投稿されたインタビュー動画を元にしたものです。本編動画はこちらからご覧ください。)

留学時代の経験から政治家の道を志す

河野太郎議員インタビュー

ーはじめに、簡単な自己紹介をお願いします。

私は1963年に神奈川県の平塚市に生まれました。国会議員としての初当選は小選挙区制度が始まった1996年。当選直後は消費者問題に注力しました。当時の自民党ではあまり注力されていない分野でしたね。議員立法で「消費者保護法」を「消費者基本法」に改正し、消費者の権利保護の向上に努めました。

そのほかにも印象深いのは北朝鮮船舶の入港を禁止する法律を制定したり、臓器移植法の改正を実現したりしたことですね。ちなみに臓器移植法の改正を提案したのは父親がC型肝炎で肝硬変になり私の肝臓を父に移植したことがきっかけです。

閣僚としては、行政改革担当、国家公務員制度担当、内閣府特命担当大臣(防災、規制改革、消費者及び食品安全)をはじめ、外務大臣、防衛大臣、ワクチン接種担当大臣などを経験しました。

現在の岸田内閣ではデジタル大臣、デジタル行財政改革担当、デジタル田園都市国家構想担当、行政改革担当、国家公務員制度担当、内閣府特命担当大臣(規制改革)を拝命しています。

ー河野議員が政治家を目指したきっかけはなんだったのでしょうか?

政治家を目指したきっかけは学生時代の留学経験にあります。元々私は祖父と父が箱根駅伝に縁があったこともあり、子どものころから箱根駅伝を走ることを目標にしていました。

しかし、慶應義塾大学入学後に陸上部に入ってみると、その実力では箱根駅伝の出場は難しいだろうと諦めたんです。そこでアメリカに留学することにしました。進学先はワシントンにあるジョージタウン大学。最初は英語がそれほど堪能ではなかったので、英字新聞を読み始めたんです。すると日本に関する話題が全然出てこない。日本の新聞には日米貿易摩擦からメジャーリーグ、マイケルジャクソンからマドンナまでアメリカの話題だらけ。当時のアメリカ大使は日米関係ほど重要な二国間関係だと言っていたにも関わらず、です。

この非対称性は一体何なんだろうと驚きました。世界のなかでの日本の存在感を高めなければ、と感じました。政治家になることを意識したのはこのときが最初だったと思います。

外務大臣時代に感じた、実際に現地に足を運ぶことの大切さ

河野太郎議員インタビュー

ー河野議員は外務大臣時代、述べ123の国と地域を訪問されました。この記録は歴代最多です。なぜ積極的に外国を訪問されていたのでしょうか?

インドネシアの外務大臣の言葉が深く心に残っているからですね。外務大臣に就任して3日目、初めて国際会議に出席した際のことです。その外務大臣から「日本の外務大臣は電話一本で用が済むと思っている。もっと相手国に足を運ぶべきだ」と苦言を呈された。結構キツい口調で。初めて外務大臣として参加した場で、やや面食らいました。ただ言われたからには素直に実行することも大切だと思い、なるべくリアルで会う外交をしてきました。

結局、外務大臣時代には、述べ123カ国、国と地域の数で言えば77カ国を訪問。会談数は950回を数えます。現地に訪問することで公式な会議だけのコミュニケーションだけではなく、一緒に食事して自由に意見交換する機会を得られ、お互いの理解や信頼関係が深まりました。例えば、とあるパレスチナに関する国際会議では、ヨルダンの外務大臣から共同議長を直々に依頼されましたし、ある時は、当時外務大臣だったボリス・ジョンソン(元・英国首相)からミャンマー問題について直接議論し「君の言うことだから聞くよ」と方針がまとまった時もあった。

外務大臣はみな国を背負って行動しています。とはいえ外務大臣同士の個人的な関係性も本当に大切です。その甲斐もあり、国際会議の場で「正直に言えば反対だけど、あなたが言うなら納得しよう」といくつかの国が賛成に回ってくれたこともありましたね。

それぞれの地方自治体で改革が前に進むための旗振り役として

河野太郎議員インタビュー

ー河野議員はこれまでデジタルを活用した規制改革・行政改革に力を入れられてきました。今、ご自身では改革はどこまで進んでいると感じますか。

富士山に例えると5合目くらいでしょうか。これまで省庁の縦割りを打破し横串を刺してきた自負があります。その象徴はマイナンバーカードです。その申請数は1億を超え、保有数は約9,300万枚。7割以上の方に活用いただいています。

今後よりデジタル改革を進めるためには、各役所の理解や協力が何より重要です。もし私が総理になったら、各省庁の次官級や局長級を全員集めて、「これから改革をしっかりやっていくからついてきてくれ」と伝えます。官邸が旗を振るから、一緒にがんばろう、と。

ースピーディーに改革を進める上で心掛けていることはありますか?

菅総理(当時)の「1日あたり100万回のワクチン接種を実現してくれ」と言われた時は、正直「これは無茶な指示だな」と思いましたが、結果的に1日170万回の接種を達成できました。

この経験から得た大きな学びは、国が細かな指示を出さなくとも、自治体が自らの最良で自由にやってもらった方が物事がスムーズに進むということです。

はじめ、厚生労働省ではそれぞれの自治体に画一的な号令をかけようとしたんです。例えばワクチンの接種の際には予診票を配り、接種にあたっては事前予約制とすることをすべての自治体に通知していた。

結果としてワクチン接種予約の電話が殺到し、コールセンターはパンク。Web予約のシステムはサーバーダウンしました。

しかし自治体には多様性があり、それぞれの事情や環境が全く異なります。だからこそ自治体ごとにやり方を変えるように動いたことでよい結果が得られた事例はたくさん生まれました。

例えば、福島県相馬市では、市内の約70人の町内会長を集めて、くじ引きをし、ワクチン接種の順番を決めました。また、とある村では医師と看護師がフェリーで各島を回ってワクチンの接種をしました。どちらもスムーズに接種日時を決めることができた結果、素早く二回のワクチン接種を終わらせることができたんです。

国が「ああしろ、こうしろ」と細かく決めるよりも、困ったときに相談してほしいというスタンスのほうが結果的にとても物事がスムーズに進みました。オンライン会議を活用して、首長の方ともたくさん直接コミュニケーションを取る機会を設けました。「医師も会場も手配したのにワクチンが届かなくて困っている」と言った生の声を受けて、倉庫からの直接輸送で解決するなど機動的な対応ができましたね。細かい指示を出さない代わりに私自身もワクチンを途切れなく供給するための交渉などに集中することができました。

最終的な責任を明確にして、メンバーに自由な実行を促すことが大切な役目です。ワクチン接種の現場でイレギュラーな事例が多く発生しました。例えば、予定よりも余ったワクチンを予診票のないその場の未接種者に打ってよいかどうか議論がありました。私自身が決断し現場に接種を実行するよう伝えました。決断とそれに伴う結果責任を引き受けることがリーダーの仕事だと思います。

その上でメンバーがリスクや失敗を安心して報告できる心理的な安全性を担保することが大切です。今、デジタル庁でも悪いことこそ早く情報を共有してくれと伝えています。怒られるのが怖くて、何も言えなくなることこそがリスクです。仮に失敗しても原因究明を大切にしながら、悪い話でも安心して話せる環境作りもリーダーの責務です。

ーこれからの行政改革・デジタル改革を進める上での課題について教えてください。

品質に対する期待が非常に高いことがネックだなと感じる場面があります。期待値がとても高い。ものを買ったら確実に動く。ものは使っても壊れない。それが当たり前の社会なので仕方ない部分もあります。

ただその結果、政府のやることはうまくいって当たり前。うまくいかないのはおかしいといった感覚が醸成されていることもまた事実だと思うんですよね。

以前、マイナンバーカードと保険証の紐付け間違いが約8,000件発生したことで、ものすごくお叱りを受けました。人が作業をする以上、どうしてもミスは発生します。しかも、1億2000万件の中で8000件。ミスは全体の0.007%ほどなんです。外国の方からは「さすが日本の品質」と受け止められました。

最初から100%を目指していては何も前に進みません。だからこそ私は政府はもっとアジャイルにー柔軟に動くべきだと思います。政策も一度やってみて、結果が思わしくなければ修正すればいい。70%くらいの完成度から徐々に100%に近づけていくような姿勢でありたいですね。改革には反発がつきものです。だからなるべくわかりやすく説明をすることを根気よく続けたいと思います。

(河野議員が総理になったら何をする?….<インタビュー後編>に続く)

この記事の監修者
政治ドットコム 編集部
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