10月の衆院選の結果、政権与党の自民党と公明党の合計議席は過半数割れとなりました。その結果、野党第一党の立憲民主党は国民の注目を集めるとともに、法案や予算に対する責任も問われる立場となっています。
今回は衆院選後、立憲民主党の幹事長に就任した小川淳也議員に、自治官僚から政治家となった経緯、そして現在の政治への思いなどを伺いました。
(取材日:2024年12月12日)
(文責:株式会社PoliPoli 秋圭史)
小川淳也(おがわ じゅんや)議員
1971年香川県生まれ。東京大学法学部卒業。
自治省での勤務を経て、2005年初当選(7期)。
総務大臣政務官や立憲民主党政調会長を歴任。
2024年10月に立憲民主党幹事長に就任。政治理念は「競争力ある福祉国家」
自治官僚から政治家へ、それぞれを目指した経緯
ー本日はよろしくお願いします。小川議員は自治省の官僚を経て政治家というキャリアをお持ちですが、最初に自治省へ入るまでの経緯を教えてください。
私は18歳まで香川県高松市で育ちました。実家は美容室で、小さい頃から父親に「日本の政治はろくなもんじゃないけど、お役人が立派だから豊かないい国になったんだ。だからお前も政治家に影響されない立派なお役人になって世のため人のために働きなさい」と言われて育ちました。私の原点はこの父親の言葉にあります。なので大学卒業後は、中央官庁で働こうと決めていました。
東京の大学生活では方言が全く通じず、自分自身が地方出身者ということを痛感しました。しかし人口で考えれば、首都圏の3,000万人に対し残り9,000万人は首都圏以外で、首都圏以外の人口がはるかに多い状態です。中央官庁で仕事をするなら地方の立場に立って仕事ができる自治省がいいな、と思ったのが自治省を志望した動機ですね。
ー自治省は省庁再編で現在、総務省となっています。また自治省出身の政治家や知事、市長も多いですが、どのような組織文化を持つ省庁だったのでしょうか。
自治省は戦前に強大な権限を持っていた内務省をルーツに持つ官庁です。戦後、内務省はGHQによって分割され、地方局、警察局、厚生局、建設局などがそれぞれ今の各省庁の母体となるのですが、自治省は内務省の長男的な立場にありました。戦前は内務省から全国に知事が派遣されており、我々がGHQに解体された内務省の嫡流、というプライドを持って地方自治の仕事をしている方が多かったです。このため、今でも自治体のトップや幹部には自治省の出身者が多いです。
ー自治官僚から自治体のトップではなく、なぜ政治家を志すことになったのでしょうか。
中央官庁では、ほとんどの官僚が自分たちの権限と予算と天下り先を守ることに必死であり、その姿に驚かされました。「ろくでもない政治家に影響されない立派なお役人」という考えの父親に育てられましたが、立派なお役人はどこにいるんだろう、と思ってしまいました。ろくでもない政治家が多いのも事実かもしれませんが、お役人のほうも権益を守るのに必死でそれ程立派ではない、と気付いてしまったんです。
この状況を立て直すのは政治の仕事ではないのか、と思い詰めるようになったのが政治家を目指したきっかけです。また、自民党以外の選択肢を作らないとこの国は持たない、とも思い民主党(当時)の門を叩きました。
国家のグランドデザインの書き換えが必要、現在の日本の状況に対する認識について
ー10月の衆院選で自民党は大敗し、与党は過半数割れとなりました。政治に地殻変動が生じる中で、日本の状況についてどのような認識をお持ちでしょうか。
現在の日本は静かな有事を迎えている、と私は考えています。年間100万人単位の人口減少と、40%に向かって進む高齢化比率。昭和の時代に比べるとこの2つが逆回転を始めています。昭和の時代は、年間100万人の人口増加があって、高齢化比率は5%でした。若い世代の社会保険料で見ると、昭和時代の国民年金は月100円でしたが、現在は月17,000円。会社の社会保険料も、かつての月3%が現在は年金も合わせて30%。それでもお金が足りず、莫大な財政赤字が続き円は売られて円安が進んでいます。
人口減、高齢化、社会保障の痛み、莫大な財政赤字、円安などの問題は今も解決されないままです。失われた30年が40年、50年となり、最終的には財政破綻などのハードランディングになりかねません。極端な主張を行う政党も出現して一定の支持を得るなど、人心が乱れている状態です。最終的に行き着く先として戦争や革命が絶対にないとも言い切れず、その意味で危機の時代であり静かな有事と考えています。
いま政治に求められているのは、構造問題にアプローチして国家のグランドデザインを昭和型から書き換えること、そしてそれに向けて安定的に移行することではないでしょうか。これまでは制度のつぎはぎの対処療法で対応していましたが、もう制度の維持ができなくなっています。
注目する2つの政策分野について
ー国家のグランドデザインの書き換えが必要、とのお考えの中で、現在注目している政策分野について教えてください。
社会保障に加えて注目している政策分野は2つあります。食糧問題とエネルギー問題です。
食糧問題については、高い関税で国内農産物の価格を高く維持して農家に収益を上げてもらうか、関税を下げて安い外国品が輸入され国内製品も安くなる代わりに農家を所得保障で支えるか、という2つの選択肢に限られてしまいます。大雑把に言えば、高関税・高価格維持政策か、低関税・所得保障政策かの2つに1つです。ただし、前者は消費者の負担が生じ後者は税金の負担が生じます。いずれにしても国民負担は回避できません。
現在はTPP(環太平洋パートナーシップ協定)を始め、国が自由に高関税政策を行いにくい環境で、関税は引き下げの方向にあります。その一方で、農家に対する所得保障政策はほとんど行われていません。これで農家はどうやって生活していけばよいのでしょうか。農家の高齢化及び人手不足も深刻化しています。本格的に農家が農業で生活できるようになれば、専業農家は増えるのではないでしょうか。
ーエネルギー問題はどのようにお考えでしょうか。
私見ですが、日本が化石燃料と原発に頼らずにやってきたのは江戸時代までで、当時の日本の人口は約3,000万人です。その後、エネルギーの9割近くを輸入に依存して、現在の人口1億2,000万人にまで拡大しました。エネルギーの海外依存なく自給自足でやっていけた時代の人口は約3,000万人、というのは歴史的な事実として理解すべきと考えています。エネルギーの約9割を輸入しないと維持できない人口1億2,000万人という規模は果たして持続可能なのか、という点は意識する必要があります。
原油などを海外から買い続けるのか、リスクがあり廃棄物の問題もある原発を作り続けるのか、自然エネルギーではあるものの山を削って太陽光パネルの設置を続けるのか。いずれにしてもエネルギー問題に対する選択肢は多くありません。ただし、その中で浮体式洋上風力発電には可能性があると考えています。欧州中心に海外では着床式の洋上風力発電がかなり普及しているものの、日本は海溝に囲まれていて着床式の展開は困難です。しかし浮体式で洋上風力発電を計画的に全面配備すれば、今のエネルギー供給の2倍以上を自国生産できると言われています。その結果、エネルギー輸出が産業となり、さらに今後化石燃料の代替として期待される水素やアンモニアを国内で作り、それらの輸出国となることも夢ではないとされています。
ー浮体式洋上風力発電のインフラは、どのように整備するのがよいとお考えでしょうか。
かつて移動のインフラとなる鉄道を敷設したのは国家です。郵便網や電話網の整備もそうでした。必要とされる大規模なインフラは国家が整備してきた歴史があります。エネルギーや気候変動政策が手詰まりとなる中で、国家が大規模に浮体式洋上風力発電に関与して、風力発電を日本の領海やEEZに設置する事業を国家プロジェクトとして推進すべきではないでしょうか。
もちろん、風力発電が景観や漁業へ与える影響も加味しなければなりませんが、風力発電の海面下の部分が漁しょうになっているような事例もあり、このような研究も進めるべきでしょう。
幹事長就任後の政治に対する思い
ー10月の衆院選の後、立憲民主党の幹事長に就任されました。
身に余る重責で打ち震える思い、というのが正直な所です。野田佳彦代表がやりたい政策、抱えている熱意などを実行ベースに乗せていくのが幹事長の仕事です。野田代表の思いを実現するポジション、ということを充分に認識した上で職責を全うしなければと思っています。
一義的には政調会長が政策を担当し、国会対策は国会対策委員長、選挙対策は選挙対策委員長が担当します。幹事長はそれらの個別の機能をサポートしつつ、党全体を俯瞰して矛盾や齟齬が生じないように統合機能を果たしています。幹事長の仕事は、政策などのそれぞれの機能を立憲民主党として全体整合が取れるようにとりまとめること、と考えています。
ー幹事長となった今、改めて政治に対しどのような思いを抱いていますか。
繁栄している国は定期的に政権交代が行われている国だという、漠然とした確信があります。政権交代を実現するためには、その受け皿となる野党第一党の確固たる存在感が絶対的に必要です。10月の衆院選で与党は過半数割れとなり、野党の協力なしでは国会で予算案や法律案を可決できなくなりました。ただし立憲民主党も、将来政権交代を目指す責任政党と、国会の議決毎に責任を持つ野党第一党の両立が求められる難しい立場となりました。しかしこの両立なくしては責任は果たせないと思っています。
その中で、今年度の補正予算案は一部修正され、12月12日に衆議院を通過しました。予算案が国会提出後に修正されるのは1996年以来28年ぶりで、補正予算の修正は憲政史上初です。与野党の勢力拮抗で着実に政治に変化が現れています。難しい立場ではあるものの、責任政党そして野党第一党としての役割を果たしていきたいですね。