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政治ドットコムインタビュー政治家インタビュー公明党・斉藤鉄夫代表に聞く!科学技術立国としての日本の未来像

公明党・斉藤鉄夫代表に聞く!科学技術立国としての日本の未来像

投稿日2024.12.27
最終更新日2024.12.27

2024年10月に行われた第50回衆議院議員選挙では、自民党・公明両党が過半数を割り「少数与党」となる中で、公明党のこれからの党運営が注目されています。

科学技術者から政治家に転身した異色の経歴を持ち、2024年11月に公明党の代表に就任した斉藤鉄夫代表に、現在の政治情勢における公明党の役割や、党として進めていく政策について伺いました。

(取材日:2024年12月9日)
(文責:株式会社PoliPoli 井出光)

公明党 斉藤鉄夫代表

斉藤鉄夫(さいとう てつお)議員
島根県邑智郡羽須美村生まれ。清水建設勤務を経て
1993年、衆議院議員総選挙で初当選(11期)。
工学博士。東京工業大学(現・東京科学大学)
大学院理工学研究科応用物理学専攻修士課程修了。
環境大臣、国土交通大臣などを歴任。2024年11月公明党代表に就任。
自他ともに認める鉄道マニア。

「少数与党」の時代に自民党と野党をつなぐ架け橋に

ー斉藤代表といえば、鉄道にもとても詳しいイメージがあります。事務所にも時刻表が積んでありますね・・!

基本的に私は鉄道に乗ることが大好きな「乗り鉄」なのですが、今はなかなか鉄道に乗る機会がないのでこうして時刻表を眺めて楽しんでいます。

鉄道には趣味以上の思い入れがあります。私は島根県の山奥にある貧しい農家で生まれ育ち、幼いころから父親に「将来ここを出ていくんだぞ」と言われ育ってきました。

当時は三江線(さんこうせん、島根県江津市の江津駅から広島県三次市の三次駅までを結んでいたJR西日本の鉄道路線。2018年廃止)が通っていて、その線路を眺めながら「この先に自分が将来過ごすであろう都会があるんだな」と思いを馳せていました。

なので自分の中で鉄道のレールは、子ども時代の「未来」への思いが重なっているんでしょうね。

ーありがとうございます。2024年10月の衆議院議員総選挙を経て、公明党の代表に就任されました。今のお気持ちはいかがでしょうか。

まさか自分が公明党代表に就任するとは思いもしませんでした。10月27日に衆議院選挙、11月9日に公明党の臨時全国党大会での代表の選任までわずか10日ほどの間に大きく環境が変わりました。

これから党を引っ張っていく立場として、改めて身の引き締まる思いでおります。

ー今回の衆議院選挙を経て、政界の勢力図が大きく変わりました。この状況下で公明党はどのような役割を果たしていくべきとお考えですか。

今回の衆議院選挙の結果、自民党と公明党は過半数を獲得できず、衆議院では少数与党となりました。国民のみなさんから「野党の意見も聞いて、一つ一つの事柄について合意形成しながら進んでいきなさい」というメッセージだと受け止めています。

ただ野党も一つにまとまって政権を作れるような状況ではありません。政策を前に進めていく上で与野党間のコミュニケーションがより一層重要になる中で、公明党が果たすべきは自民党と他の野党をつなぐことにあるのではないでしょうか。

これまでも公明党が自民党と野党の架け橋となった時代がありました。その一例が小泉政権時代に推進された郵政民営化です(2005年)。当時の小泉総理は完全民営化案を主張し、野党・民主党は国営化回帰案を提出していました。当時は自民党と民主党が衆参それぞれで多数派を形成する「ねじれ」の状態にあり、審議がなかなか進まなかった。その中で公明党が調整役として、将来を見据えた郵政改革を提案し、合意を取り付けたのです。

現在の政治状況は、まさにそうした調整力が求められる時代だと考えています。少子高齢化、経済の再生など日本が抱える課題は山積しています。これらの問題に対して、与野党が対立しているだけではよい政策の実現につながりません。公明党は、政策本位の建設的な議論を促進して、与野党の架け橋としてその役割を果たしていく決意です。

研究者から政治家へ 科学技術が照らす日本の進路

公明党 斉藤鉄夫代表

ーここからは斉藤代表個人についてもお話をお伺いしたいです。斉藤代表が政治家になるきっかけは何だったのでしょうか。

元々は政治家になるつもりはまったくなかったんですよね。それまで技術者・研究者として生きていましたから。

ー清水建設で超音波の研究をされていたんですよね。政治家としては珍しい経歴だと思います。

大学のころからずっと物理学を専攻していて、清水建設では物理学の理論を用いた超音波による超高層ビルの非破壊検査について研究を重ねていました。

そんな中で、1986年から3年間、アメリカ・プリンストン大学のプラズマ物理学研究所に留学したことが、政治の道を歩み出す大きなきっかけになりました。

当時、日本はバブル経済期で「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と称されるほど。しかし、私自身はアメリカで生活して、日本の将来に大きな危機感を覚えました。科学技術を研究する基盤がまったく違ったんです。アメリカは当時経済的には低迷期だったにもかかわらず、科学技術研究に資金と人材を惜しみなく投入していました。科学技術に対する政府の予算規模も日本とは桁違い。研究者の世界も熾烈な成果主義でした。

このままでは科学技術の世界で日本は置いていかれる、と実感したのです。

そんな思いを募らせていたころ、ある日、日本から当時の塩出啓典 公明党参議院議員(科学技術特別委員会委員長)が私が研究する大学に視察に来ることになりました。塩出さんを研究所に案内する中で、日本の科学技術政策への危機感を正直にぶつけたんです。

私が広島県出身、創価学会員ということもあり、塩出さんの印象に残っていたようで、塩出さんが国会議員を引退する際に後継者として指名してくださったのです。

後継者としてのお声かけがあったとき、私は留学を終えて帰国していました。そして40歳をすぎて、研究者としての限界のようなものを感じていたころでもありました。これまで研究してきたことを生かして、政治の世界でやってみよう、と思い立ち、広島1区から出馬したのです。

公明党 斉藤鉄夫代表

ーちなみに、プリンストン大学留学中は宇宙関連の研究をされていたと知って、これも驚きでした。どのような研究だったのでしょうか。

清水建設での研究は、超高層ビルの非破壊検査の手法を社内で早急に研究を進める必要があったもので、この研究で博士号を取得し、一定の成果を出すことができました。実はこの手法は今でも使われています。

そこで、次なる挑戦として物理学の中で他の分野にも挑戦したいと考えました。それが宇宙でした。宇宙そのものは、当時の清水建設の事業とはまったく関係のない世界でしたが「アメリカでこの分野について勉強がしたい」と話すと、すぐに背中を押してくれました。帰国後は、清水建設で若手社員を中心に「宇宙開発室」を新設しました。当時の日本はバブル絶頂期。社内で提案すると「どんどんやってみなさい」と言われるような時代でした。具体的な研究テーマは挙げるとキリがないのですが、月面でのコンクリート製造や宇宙ホテルなど、半分は遊びのようなものもありました(笑)。

ー今では宇宙観光が現実になっています。先を見据えていたんですね。

「地球上で人間が暮らす空間を作るのは建設会社。これからの時代は、宇宙で暮らす人間の空間も作るのも建設会社の役割になってくるのではないか」。そんなことを言って、新規の宇宙開発事業を展開していきました。究極の建築技術を研究すれば、それは地球上でも宇宙でも役に立つはずだという信念もありました。

ーこれからの日本の科学技術政策について、どのようなビジョンをお持ちでしょうか。

日本が平和国家として国際社会に貢献していくためには、高い科学技術力は不可欠です。資源のない日本が国際競争力を持って生き残る術は、日本が得意とする科学技術分野を伸ばすことに尽きるのではないかと。

清水建設では様々なチャレンジをさせてもらい、得難い経験を得ることができました。だからこそ若い人たちがしっかり勉強し、思い切った挑戦ができるような環境づくりに政治家として注力しないといけないと考えています。

日本経済再生への処方箋 挑戦する社会への転換

公明党 斉藤鉄夫代表

ー公明党として、政治改革にはどのようなスタンスで臨んでいく構えでしょうか。

賃金が上がり物価が上がる。そしてさらに賃金が上がる。この好循環を作るために注力しなければならないと思っています。

これまでは「物価が上がれば庶民の生活が苦しくなる」という考えが根深く、社会全体にデフレマインドが定着してしまっていました。時期的にはバブル崩壊後だったかと思います。当時の公明党もこの流れを形成することに加担してしまっていた部分もあり、今では反省しています。

悪い循環を断ち切り、よい循環を作るためには高い付加価値を持つ商品がしかるべき金額で購入されることが重要で、健全な物価の上昇は賃金の上昇にもつながっていくはずです。今、賃金上昇のよい流れがきていますから、このよい循環を作るための分岐点にきていると思っています。

ー斉藤代表は国土交通省大臣も務められ、防災にも注力されています。石破政権では防災庁立ち上げも構想されている中で、どのように国土交通政策を進めていく考えでしょうか。

これからの時代は「予防防災」が大きなポイントになってきます。これまでは新しいインフラを作ることにほとんどの予算が使われてきました。これからの時代、限りある予算の中で新しく作るインフラは耐久性も考慮し長く使えるものを整備していくべきです。それに加えて避難所の整備も待ったなしの課題です。「TKB(トイレ・キッチン・ベッド)」と呼ばれる避難先での生活に必要な物資・環境整備を行うことを行う必要があります。

ーまだまだお話をお伺いしたかったのですが、時間が来てしまいました。読者へのメッセージをお願いします。

公明党 斉藤鉄夫代表

これまでの公明党はどちらかというと高齢者や社会的弱者向けの政策を中心に推進してきたというイメージを持たれる方も多いかもしれません。しかし私たちは第二次安倍政権のころから「全世代型社会保障」という考え方を提唱し、与党として現役世代・若者世代への社会保障政策を推進してきました。

私が公明党の青年局長だった時代、若者からの声を聞くべく取った政策アンケートで最も要望が多かったのは自動車関連のものでした。その声を受けて、与党として税制の簡素化や自動車にまつわる税負担軽減を実際に実現してきました。

たとえば携帯電話の番号ポータビリティ(携帯電話・PHSの利用者が携帯会社を変更した場合に、電話番号はそのままで変更後の携帯会社のサービスを利用できる制度)や携帯料金の引き下げなどは若い世代の声を聞いて実現した政策です。

公明党としてこれからも一つ一つの声を丁寧にお伺いし、政策立案に活かしていきます。

この記事の監修者
政治ドットコム 編集部
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