2024年6月にまとまる予定の「経済財政運営と改革の基本方針(骨太の方針)」を前に、改めてグローバルヘルス(国際保健)をめぐる議論が活発化しています。ODA(政府開発援助)の枠組みを効果的に活用し日本が世界をリードするグローバルヘルスを実現する道筋を描くベく、2024年3月には自民党 国際協力調査会のもとに「国際保健から国益と国際益を考えるPT」(以下、「益益PT」)が立ち上がり、企業や投資家との積極的な連携や日本国内の人材育成についての議論が行われています。
政治ドットコムでは連載企画「なぜ、今グローバルヘルスなのか」と題し、グローバルヘルス政策に携わる政治家をはじめとするルールメイカーについて深掘りします。
コロナ禍の真っ只中に菅政権で外務副大臣を務め、現在は国際協力調査会 事務局長、「益益PT」では座長として議論の中心的役割を担う鷲尾英一郎議員に、「益益PT」における議論のポイントを伺いました。
(取材日:2024年5月14日)
(聞き手・文責:株式会社PoliPoli 井出光)
鷲尾英一郎(わしお えいいちろう)議員
1977年生まれ。2005年、新潟県第2区より衆議院議員総選挙で初当選。現在6期目。
2019年自由民主党入党。2020年外務副大臣を務める。
新潟県第4区支部長、党国会対策副委員長。
好きなものは炊き立てのご飯と味噌汁。
(1)医療と安全保障に注力するべく政治家の道に
ー鷲尾議員が政治家を志したきっかけは何だったのでしょうか。
3歳半で手術をしたことが大きなきっかけでした。実は生まれつき肺に腫瘍があることが判明し、右肺の3分の2を切除する大手術を受け、なんとか生きながらえたのです。今でも手術室の無影灯など当時の光景をよく覚えています。
「今の時代じゃなかったら死んでたな」と心底思いました。家族や親戚、その友人など多くの方から血を分けていただきました。命を助けていただいた分、世の役に立たなくてはならないという思いがその時から芽生え始めました。多くの本を読み、考えを深める中で「これだ!」と思ったのが、政治家だったのです。
ーでは小さい頃から政治家を目指していたのですね。
はい。しかし家族や親族に政治家はいなかったので、政治でどう身を立てていいものか、よくわかりませんでした。ただ手に職はつけておいたほうがいいな、とは思い、公認会計士の資格を取りました。選挙に立候補する時、どこかの組織に所属していると辞職しないといけませんから。資格持ちであれば仮に落選しても食いっぱぐれません。会計士の資格をとってから政界に臨みました。当時は政治家になるためにどうしたらいいか必死に考え、行動していましたね。
ー政治家として、どのように社会の役に立ちたいと考えていたのでしょうか。
一つは、医療政策です。自分は医療に助けてもらった原体験があるので、医療のよりよい進歩のために政治家の立場から尽力したいと強く思っています。
もう一つは外交と安全保障です。学生時代から関心を持ち、勉強していた分野ですし、政治家になったころは近隣諸国との歴史問題もあり、外交や安全保障に関する議論をすることが憚られる空気感もありました。国会議員になったからこそ取り組める分野だと思い、注力したいと考えていたのです。
しかし実際に政治家として歩み始め、地元を一軒一軒まわっていると「身の周りの生活をなんとかしてほしい」と声をいただくことが多く、当初自分が考えていた政治と、有権者のみなさまが期待している政治との間にギャップがあることを感じました。
もちろん政治家として有権者の声を政治に反映させていくことは重要です。ただ普段の暮らしと一見あまりつながっていないように見えながらも国益に関わる分野に取り組むことも政治家の職務です。そのバランスをいかに取るか、ここが難しいところですね。この思いが「益益PT」の立ち上げにもつながっています。
(2)「益益PT」立ち上げへの想い
ーグローバルヘルス政策との関わりは何から始まったのでしょうか。
外交や安全保障に力を入れていた中で、菅内閣で外務副大臣を務めました。当時は新型コロナウイルスが流行する未曾有の危機の真っ只中で、グローバルヘルス(国際保健)の重要性を認識し、積極的に取り組んできました。
たとえば「Gaviワクチンアライアンス」(2000年にスイスで設立された、開発途上国向けにワクチン支援を行う官民連携パートナーシップ)では当時の菅義偉総理に提言し、2021年6月にはGaviとサミットを開き、約6000万回分の新型コロナワクチンを提供することを決定しました。
コロナウイルスへの対応をめぐる政治決断は多くの人を巻き込むためリスクも高いものでした。世論の批判もある中で、それを押しのけ、不確実性がある中で判断することの厳しさと重要性を目の当たりにしました。
その中で日本がより国際保健の分野で世界をリードする必要があると痛感しました。
たとえば新薬創出の分野で、スピード感を持って世界のマーケットに進出していくためには海外のスタートアップなどとの連携も視野に入れる必要があります。
ただ日本では国内の一流の研究者でも自分の研究アイデアが流出するリスクを考慮し躊躇する間に、結局海外企業が一歩先に出てしまう、といったことがあります。国内のプレイヤーの意識改革はもちろん必要ですが、そう簡単に変えられるものでもない。そこに政治家がイニシアチブを持って介入し、よりよい姿を作れるように継続的な議論を行っています。
ーコロナ禍後、鷲尾議員は国際協力調査会の事務局長を務め、2024年4月には「国際保健から国益と国際益を考えるPT(「益益PT」)」を立ち上げ、議論を始めました。この狙いは何でしょうか。
このPTには、私自身、政治家としての難しさとして実感している「有権者の皆様との意識のギャップをどう縮めるか」という問題意識が根底にあります。国際協力や開発援助に力を入れても、国内の有権者にはなかなか理解されないんですよね。日本の社会・経済にどのようなメリットがあるか見えづらいので。
日本による国際協力を持続可能なものにするためにも、これまで以上に民間企業によるコミットが必要です。すでに民間企業の投資が公的資金による投資よりも大きくなっている分野もあります。アフリカは魅力的な市場で、企業にも利益がちゃんと出る。民間企業が投資を行い利益が出るところまで政府側もサポートしなくてはならないのです。それが回り回って日本の社会経済に還元され、日本で暮らす方達の生活にもよい影響を与えます。
その意味で「益益PT」は「成長と分配の好循環」を掲げる岸田政権の「新しい資本主義」の考えのもとで進めていて、要は「世間が納得する、持続可能な国際貢献」を研究している部隊なんです。グローバル展開を進める企業のトップなどにもヒアリングを重ねています。
ー「益益PT」は3月に立ち上がり、5月には提言がまとまりました。スピーディーな議論だった印象があります。
政府が6月に取りまとめる「骨太の方針(経済財政運営と改革の基本方針)」に反映させるためです。
4月から5月にかけて、それぞれの政策領域で「骨太の方針」へ盛り込む内容に関する議論が行われています。国際協力調査会としては外交力の一つとしてODA(政府開発援助)のあり方を議論しています。
せっかく「益益PT」を立ち上げたのなら、今回の国際協力調査会の「骨太の方針」に向けた提言にもエッセンスを盛り込もうと、かなり急ピッチで進めました。ただもちろん「益益PT」は今回の「骨太の方針」に限らず、この後も幅広い切り口で議論していきますよ。
ー今回の骨太に入る要素として大事なポイントは何でしょうか。
やはりODAのあり方自体を議論していることです。それに加えて、カントリーリスクが高い国を抱えるアフリカのような地域への国際協力を、政府がどうサポートするべきなのか。財政的な融資のみならず、仮に投資分を回収できなかったとしても政府が補償に入るような支援の仕方も考えられるのではないか、といった議論もあります。保障という側面で政府の支援が必要なのではないかといった点も議論されています。また、これまでは大企業に偏りがちだった国際協力の分野への中小企業の参入にも力を入れていて、中小企業に特化した調査業務をODAとして予算化する動きも出てき始めています。
ーグローバルヘルスの人材育成についても議論になっていましたが、どのようにお考えでしょうか。
「世界で働きたい」と考える若い世代が育ってきていることを頼もしく思っています。その中でJICAの「海外青年協力隊」のような事業を通じて、世界でグローバルヘルスに携わった人が、日本に戻ってきた時にどう活躍していくか、どのような成功事例があるかを研究しています。魅力的なキャリアパスを提示することでより若い人は国際舞台に出やすくなると思いますし、企業側にもその意識を共有していきたいですね。国際社会で経験を積んだ人材が日本の企業や国際機関を行き来する循環ができると人材輩出の好循環が生まれてくるだろうと思います。
(3)リスクも背負える政治決断力を
ー鷲尾議員が政治家として成し遂げたいことは。
日本の国力を伸ばしていくことに尽きます。その文脈の中でグローバルヘルス政策も進めていきたいと考えています。
日本では少子高齢化と人口減少が進んでいます。国力を維持することがますます厳しくなることが予想されます。ただ日本の国力が低下すれば、国内的には社会保障制度の運用も難しくなり、国際協力も難しくなる。日本が国内外の社会的な不条理を解決する力が弱まってしまうのです。
その中で政治家は世論の反対を押し切って決断しなければ将来のための政治を実現することはできません。リスクを背負って実行しなければ「予防的に」何かを解決することはできません。例えば今、「異次元の少子化対策」が行われていますが、20年前に支援を決めていたら、よりよい結果が今得られていたかもしれません。ただ当時は現在の状況を予見して、今の予算規模で政策を実行することは社会的合意を取ることができなかったんですね。
こういうことが政治では多く起こります。政治家として、悔しい思いしかない。その悔しさを忘れず、諦めずに少しでも前進する情熱を持たないと、この仕事はできません。たとえ世間に評価されなくても。選挙で選ばれ、政治家をやらせてもらっているのですから、今すぐに世間に評価されないかもしれない決断ができる政治リーダーになるための努力を重ねていきたいと思います。